38. 黒づくめの影

 ロープウェーをおりて、駅から出る。


 ……何だろう。この違和感。


 耳鳴りがしそうなほどに音がない。


 昼すぎに出かけるときも、山に上るため前を通ったときも、ロープウェーの駅前は人でいっぱいだった。

 すぐそばには辺津宮神社もあるし、八幡堀もある。

 駅前は観光客はひっきりなしに通る場所なのに。


 それなのに、人がいない。


 あたりは夕暮れの暗いオレンジに沈んでいる。


 そこに人かげがひとつ。


 ひとつだけ立っている。


 まだ電灯もつかない時間だから、人かげは真っ黒で顔も姿もはっきりしない。


「あれ、何だろ、足に力が」


 ニオがうずくまる。


 すると、いきなり。


 ニオの足もとから、もやもやと赤黒いかすみがわきあがった。


 見まちがえるはずもない。

 幽気だ!


「ニオ? ニオ!?」


 のどかがニオの背中をぱしぱしとたたきだした。


「しずか! この黒いの、これが神気かむきなの!?」


 のどかがめずらしくあせった表情を浮かべる。


「ううん、ちがう。これは幽気かそけき!」


 道の向こうから、人かげがすべるように近づいてくる。


「何だ、あの人。人?」


 ぶ厚い黒の着物に、黒い霧のようなヴェール。

 さっき八幡堀で見かけた女の人だ。


 と、ニオが寝そべった地面から、幽気がぶわあっと一気にあふれだした。


 わたしとのどかは幽気につつみこまれて、このにおい、何だっけ、夏の終わりを思い出すような。


「……きんもくせ、い?」


 と、つぶやいたのどかが道に倒れこんだ。


 今ここでのどかまで倒れたら……。

 二人引っぱって逃げるなんて……。


 だったら立ち向かうしかない!


 まずはニオについた幽気を何とかしないと。


 手で払うと、幽気にかくれていたニオの頭が見える。


 顔が真っ白で、血の気がなくて。


 そして髪の毛が真っ白だった。


 背筋に冷たいものが走る。これじゃまるで……。


 黒づくめの女がさらに近づく。

 きんもくせいのにおいに、果物がくさったようなにおいが混じってきて……。


 ダメだ! ここで意識をとばしたら!


 自分のほほをつねって目を覚ます。


 手もとには守り刀がない。武器になるようなものが、何も!


 もう目の前に、黒づくめが、せまってきて……!


 しかし黒づくめは、わたしの横を素通りして、そしてニオに手を伸ばして。


「ーーーーーっ!」


 舌をかむ。血の味が口中に広がる。


 よし! 目がさめた!


 駆けより、黒づくめの背中を蹴る!


 しかし、まったく反応しない。


 黒づくめの女は周囲の幽気をひも状につむぎ、ニオの左手に結び始めた。


「この! はなれて! はなれろ!」


 ひっぱる。蹴る。肩から突っこむ。


 何もきかない。まったく動かない。


 ニオに幽気が結ばれていく。

 ひとつ、二つ、三つ……。


 わたしには、それを見ていることしかできなくて……。

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