36. 昔の町並み

「今日はわたしが案内するね」


 辺津宮神社の鳥居をくぐりながら、ニオは笑顔でそう宣言した。


「迷子になったりしない?」


「学校の遠足とか社会科見学で何度も来てるから、だいじょうぶだよ」


「でも、ニオはのどかがそばにいると理性が迷子になるから」


「しーちゃん!? そういうのはもっと小さな声で!」


 まずは、辺津宮神社のすぐ近くを通る人工のお堀、八幡堀はちまんぼりめぐりだ。


「八幡堀は豊臣秀次とよとみのひでつぐ公がつくらせたんだよ。琵琶湖から城下町まで舟で入れるように水路で結んだの」


「へえ。……その人何様? 殿様?」


「関白様だよ。豊臣秀吉の甥っ子で、ここの山の上に八幡山城を建てた人」


 と、のどかが補足する。


「近江八幡では、街の基礎を築いた名君として慕われてるんだよ。結局は、秀吉に謀反を起こして切腹させられちゃうんだけど……」


「若くして悲劇的な最期をむかえるところも人気の一因かもね。そうだ、ニオ。秀次は謀反をくわだてた乱暴者だっていうのが定説だったけど、最近は異説も出てるんだよ」


「え、そうなの?」


 二人の話が右の耳から入って鼻の穴から出ていく。


 あ、舟だ。人がいっぱい乗ってる。楽しそうだなー。


「おーい」


 と手を振ったらみんな振りかえしてくれた。今もここって舟で通れるんだね。


「ん?」


 八幡堀にかかった橋をわたっているとき、気になるものが視界に入った。


 橋のたもとに、和装の女の人が立っている。

 黒のヴェールを被っていて顔は見えない。


 なぜか、その女の人から目がはなせない。

 あたりの世界から浮いているような。

 そのヴェールの黒さはどこかで見たことがあるような……。


「しずか?」


 のどかの呼び声に、はっと我に返る。


 振りむくと、二人がけげんな顔でわたしを見ていた。


「しーちゃん、行くよ?」


「あ、うん」


 もう一度橋のたもとに目を向ける。


 しかし、もう誰もいなかった。




 大きな道をわたると、そこは江戸時代だった。


 のどかが楽しみにしていた近江商人の町並みだ。


「ここが新町通りだね。町並み保存地区の一画で、商家町を再現しているんだけど、」


「ニオ、こっちこっち! 松! 松が壁の向こうからこんにちはしてる!」


「見越しの松だね。見栄えのよい松を街ゆく人に見てもらうためとも、屋敷の中にいる商人が、高い壁の上に頭を出す松を見て浮世ばなれしないように自らのいましめとするためとも、」


「見て見て、格子が出っぱってる!」


「それは出格子でごうしといって、通常の格子窓よりさらに通気性にすぐれ、」


「ほら、二階の壁に穴があいてる!」


虫籠窓むしこまど、」


「ニオ! あっちあっち!」


「しーちゃん。ちょっとはかーくんの話聞いてあげようよ……」


「だいじょうぶ! 聞かなくても楽しいから!」


 どうせ誰も聞いてなくても、のどかはひとりでしゃべり続けているしね。

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