30. 祭祀の準備

 次の日には、またニオが神社にやって来た。


 前回と同じく、祭祀のためだ。

 その祭祀はニオの不運体質を和らげるため、いつもなら週に一回のペースで行っているらしい。


 前回は三日前に済ませているけれど、今週は特別にもう一回やっておくそうだ。

 翌日にはニオも近江八幡までお出かけする。

 琵琶湖や姫神神社から離れてしまうので、念のためだとみちるさんは言っていた。


「今日はあんたたちも参列しなさい」


 ということで、わたしたちは社務所で祭祀用の服に着替えることになった。


「今日着るのは常装つねのよそいよ。日常的な祭祀のときに着るの。もっと特別な祭祀のときには斎服いつきのふくというのを着るわ」


 のどかは男性用の狩衣かりぎぬを、わたしは女性用の水干すいかんという衣装をはおり、浅葱色の袴をはいた。


「どれもサイズが大きいわね」


 と、みちるさんがうなる。


 のどかのはおじいちゃんので、わたしのはお母さんのお古らしい。

 たしかに水干も袴もタンスのにおいがした。


 当たり前だけど大人用のサイズなので、同い年と比べても小柄なわたしやのどかに合うわけがない。


「ちょうどいいから、明日町の祭具店で注文してくるわ。後で採寸しておきましょう」


「わたし、新品よりお母さんのこれがいいな」


「ダメ。装束が体に合っていないとみっともないし、気持ちが引き締まらない」


「そのうち背も伸びて、またつくり直しになるともったいないよ」


「それじゃ遅いわ」


 と、みちるさんは首を横に振った。


「御役目はあんたたちの成長を待ってはくれないの」




「ねえ、みちるさん。質問というか、確認なんだけど」


 拝殿に向かう途中、のどかが問いかけた。


 みちるさんが「うん?」と軽く振りむく。


「神仕えじゃない人に、神気は見えないんだよね。神世とか魂鎮めのこととかは黙ってたほうがいい?」


 たしかに言われてみれば。もしかして秘密にしなくちゃいけないのかな?


「別にしゃべってもかまわないわよ」


「いいの!?」


 みちるさんは立ち止まってわたしたちのほうを見た。


「しずか、神社で神頼みをしたり、おみくじの結果で喜んだり悲しんだりする人たちを、おかしいって思う?」


「ううん。思わないけど」


「じゃあ『おみくじで大凶をひいたおまえは呪われてるから神社でお祓いしないと死ぬ』ってって他人をおどす人は?」


「それはかなりヤバい人ね」


 みちるさんがうなずく。


「そういうものよ。要はね、何が見えても、何を信じてようとも、他人に押しつけなければいいの。祭祀もそう。わたしたちは魂鎮めの神業をおこなう。神気が見えない人にとってはただの祭祀に見える。それでいいの。意味は受けとる人が自分で決めることだから。神仕えは来るものこばまず、去るもの追わず。ただ自分にできることをするだけ」


「……うん。それはわかったけど」


「まだ何か引っかかる?」


 みちるさんは穏やかな笑みを浮かべてわたしを見た。

 たぶんこれは大事なお話で、怒られたとしても本音を話したほうがいい。

 みちるさんの顔を見て、そう思った。


「信じることを押しつけないっていうのは、いいと思う。でも、それだと誰も神社に来なくなっちゃうんじゃないかな」


「神仕えがいる意味がなくなっちゃいそうだね」


 のどかがつけくわえる。


 みちるさんは腕を組んで少し考え、それから答えてくれた。


「しずか。信じる信じないと、感情は別の問題よ。神気が見えなくとも、神さまのありがたさを感じることはできる。魂鎮めの本当の意味がわからなくても、神社での祭祀に参加して心を浄めることはできる。一昨日までの自分たちがどうだったか考えてみて。それこそ神気とか神世なんて知らなくても、神社で神頼みしたり、おみくじに一喜一憂したり、当たり前のようにしてたでしょう」


「たしかに」

「してたね」

 のどかと顔を見合わせる。


「神社はね、昔からそうして人の社会の中にあり続けてきたのよ」


 そう言ってみちるさんは片目をつぶり、また歩き始めた。




 拝殿に向かう前に、祭具庫に立ち寄った。


 祭祀にはいろいろと祭具を使う。


 例えば大幣おおぬさ

 大幣というのは、木の棒に紙垂しで(ぎざぎざに切って折った紙)をたくさんつけた祭具だ。

 祭具の形にはやっぱり意味がある。大幣では、ほこりをはたくみたいにまとわりついた神気を御解しする。

 そして紙に水を染み込ませるように神気をまとわりつかせる。


「みちるさん、今日やるのも魂鎮めなんだよね?」


 と、大幣を抱えたのどかが聞く。


「……いいえ。ニオちゃんにしているのは、魂祓たまはらえよ」


「魂祓え?」


「後でわかるわ」


 みちるさんはそれだけ答え、後は黙って拝殿へと向かっていった。

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