しずかのうみで

村井なお

第一部

第一章 五年生最後の日

1. 風に舞うもの

「ちょっと、のどか! 起きなさいって!」


「んぁ」


 小声で呼びかけ、隣にいるのどかをひじでこづく。


「……春休みが終われば新しい一年生が入学してきます。みなさんは先輩として……」


 校長先生の話で眠くなるのはわかる。だけど、立ったまま寝ないの!


「寝へないよ」


「寝てたから! ていうか今も寝てるから!」


 今日は五年生最後の日、終業式だ。グラウンドには全校生徒が並んでいる。

 わたし、息長おきながしずかと、双子の弟である息長のどかは、朝礼台の横に立っている。児童会の役員は、先生と並んで立つことになっているからだ。


 それなのに、のどかったら!


 列の前のほうの生徒がのどかを指さして笑っている。

 そりゃ笑うよ。副会長が、立ったままかっくんかっくん舟をこいでるんだから。


 のどかとわたしは双子だけど全然似ていない。女と男の二卵性双生児だし。

 顔はそっくりだってよくいわれる。髪型を同じにしたら見分けがつかないって。


 正直、自分ではよくわからない。鏡の前で自分のおさげを隠してみても、のどかの顔とは見わけがつくし。

 まあたしかに、ちょっとは似てるかもしれないけれど、見分けがつかないは大げさだと思う。


「……昨日の帰りに商店街で買ったコロッケが絶品で……」


 校長先生は何の話をしているの!?

 少し聞き逃している間に、話はよくわからないところにいっていた。


「……最近ベルトがきつくて、これではいかんと朝のジョギングを……」


 うーん。校長先生のお話はおもしろいといえばおもしろい。

 結局何が言いたいのかはさっぱりわからないんだけどね。


「……ふわ、あ」


 湧いてきたあくびをかみころす。


 のどかじゃないけど、わたしも眠い。寝不足かな。

 うかんだ涙を指でふいても、まだ目がかすんでいる。


 ここ最近はとにかく忙しかった。

 三月はイベントがいっぱいだし、春休みに向けて準備もしなくちゃいけない。


 何しろわたしは児童会会長で図書委員長で、美化と保健の副委員長で、風紀委員で学級委員で女子フットサル部の副部長だ。やらなきゃいけないことは、ひっきりなしにやってくる。


 一昨日は卒業式の準備と送辞の練習で遅くまで学校に残り、帰ってからは春休みに向けて図書室の当番表、美化活動のしおり、部活の練習メニューをつくった。


 そして昨日の卒業式では在校生代表として送辞を読み上げて、お世話になった先輩たちを見送った。

 と、卒業式の感動にひたるひまもなく、卒業式の後は仕事、仕事、仕事!


 そんなふうに、わたしの毎日はいそがしくて、目まぐるしい。


 でもそれはいいことだ。

 わたしが忙しかったって、それでみんながハッピーになるなら、こんなにいいことってないよね。


「――みなさんもビールの飲み過ぎにだけは注意して――」


「……ん?」


 まだ視界がぼやけている。涙はもうひいたのに。

 左右で見比べてみると、どうも左目の調子がよくないみたい。視力が落ちちゃったかな。


「きゃああああ!」


 と、突然、悲鳴があがった。


 列の後ろの方からだ。


 飛び上がっても全然見えない。


 仕方ないので、朝礼台によじ登る!


「お、おい、こら!」


「ちょっと邪魔です!」


と、校長先生の大きなお腹を押しのける。


 朝礼台の上からは、列の一番後ろまでが見わたせる。だから、どこでトラブルが起きているかはすぐわかった。


 遠くでド派手な砂ぼこりが舞っている。砂は、渦を巻くように空に上っていく。


 つむじ風だ!


「きゃああああ!」

「うわああああ!」


 つむじ風は、よりによって下級生の列に向かっていっている。


 助けに行かないと!


 朝礼台から飛びおりる。


「しずか、危ないから、」


 のどかの呼びかけを無視して、つむじ風に向かっていく。


「みんな、校舎に入って! こっちよ、こっち!」


 逃げ遅れた子や、おびえてしゃがみこんでしまった子に呼びかける。

 砂が全身にビシバシ当たって痛い。風で体が浮く。

 これ、小さい子は本当に危ないんじゃ……!


 と、変なものを見た。


 つむじ風の中で、ひもが舞っている。


 ひらひら、ひらひらと、そのひもは、白くてほのかに紫がかっている。


 ちょうちょ結びだ。空中に結び目が浮いている。


 暴風の中なのに、どこにも飛んでいかない。空に結ばれているみたい。


 何だろう、これ?


 わけもわからないまま、ひもに手をのばす。


 あ、つかめた。

 そのまま引っぱってみる。

 するする解けて、そして、風が止まった。

 

 一瞬だった。一瞬のうちにつむじ風が消えていた。

 解けたひもは、水に粉末の洗剤を溶かすようにうすまって、かすみになった。


 もう風はない。

 なのに、白いかすみがするすると流れてくる。


 かすみが、わたしを取りまいて……。


 そして、意識がとぎれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る