女王様の逃避行~If you want to be happy, be.~

中瀬一菜

序章(1/2) わたしの神様

 私は、神様を知っている。

 その男は、誰にでも笑顔と慈悲を振りまいて(そのせいで女の敵と称されるが、それはまた今度語ろうと思う)、指先一つで人々の心を揺さぶる芸術を作ってみせる。今までに抱いたことのないような激情を、いとも簡単に他人に抱かせるのだ。それでいて、作った張本人は、自らの作品を「カップラーメンが出来上がる三分間の暇つぶしに描いた落書き」と称するのである。まるで世間の評価とまるで一致しない自己認識である。

 常に視線を注がれ、存在を持ち上げられ続ける存在。

 だから、私は、一色遼平という男を神様だと思わざるを得ないのだ。

「ねぇねぇ~、五鈴さん、もう帰って良いでしょ? 僕の出番終わったよね?」

 神様もとい遼平は、スタイリストに整えてもらった髪をボサボサに乱して、拗ねていた。

 この日のために誂えた上等なスーツが浮いて見える。まるで七五三だ。ここが控室で、私とコイツしかいないからといって、羽目を外し過ぎである。

「アンタの出番はこれからでしょうが。今、上中下トリオが、記者連れて館内案内から戻ってくるから、その後は記者会見。アンタが全部答えるの」

「それ、嫌いなんだよな。しつこいし、話が通じない。五鈴さん、代わってよ」

「マネージャー如きが社長の代わりをするなんて、聞いたことない。ふざけるのも大概にして」

「僕はモノを作れたらそれでいいのであって、こういうのは嫌いだって、ずっと、ずぅーっと言ってるのにさぁ……マネージャーならそこんとこさぁ……」

 遼平の愚痴を聞き流していると、耳に差したトランシーバーから上中下トリオの上・塩上くんから合図が入ってきた。館内の案内を終え、記者会見の準備が整ったらしい。

 私は遼平の後頭部を小突いた。「ほら、出番。しっかりして」

 あれだけ嫌だ嫌だと言っておきながら、遼平はわたしの声を聴くとすっと目つきが変わった。

 乱れっぱなしの髪を後頭部に撫でつけるようにして整え、緩めていたネクタイを締め直した。立ち上がってスーツの皺を払うと、溜息を一つ吐く。

「でもまぁ……きっと誰も僕の言うことを分からないと思うけど、知ろうとしている気持ちは無下にはできないよね」

 ふとした瞬間に、コイツは神様のような顔をする。

 なにを偉そうに、ただ素直にやればいいものを! だけど、私は今日も何も言い返せなかった。それが真実だから。だれも遼平のことを理解できない。彼の作る芸術を、彼の心の中を、暴ける人間はいないのだから。

 今回の記者発表は、国外の大手リゾートホテルが東京都心にコンパクトリゾート施設をオープンしたことに関するものである。遼平率いる私たちカンパニーは、施設の総合プロデュースを任されたのだった。インテリアのひとつひとつから、職員の制服、館内のBGM、絵画や、モニュメントのデザイン・製造まですべてを手掛けることが話題となり、オープン前から様々なメディアで報じられていた。

 ホテルのロビーに特設された壇上で、遼平は微笑みながら記者たちを見下ろしていた。結局、あれだけ嫌がっていたのに、遼平は記者たちの質問を素直に聞き入れて、短い言葉ではあるけれど答えてはいた。ただし、記者たちが遼平の言わんとするところを理解できたかは置いといて。かくいう私も、横で聞きながら完全な理解はできなかった。

 記者の一人が気難しそうな顔をして、遼平に質問を投げかけた。

「一色さんと言えば、イケメン芸術家とSNSを中心に人気が高まっていますが、そのことについてどうお考えですか?」

 カメラのフラッシュがひと際激しくなった。キーボードを叩くたくさんの音が混ざりあった。下世話と凡俗が飽和した嫌な空気。そう、これだけ多くの報道の記者たちが集まったのは、遼平への純粋な評価だけではない。遼平というただの顔の良い男への注目も相まってのことだった。思うに、遼平は綺麗な顔立ちだと思う。それが原因で、女性問題ばかりこしらえて、何度私に泣きついてきたことか。女性が放っておかない男。彼はそういう人間だ。こういう意味でも、遼平は神様みたいだと思う。完璧なのだ。指先一つで人間の心を支配できるうえに、その顔に笑顔を作って見せれば衆生はみな引き寄せられるのだから。

 しかし、当の本人が、己の顔やアイドル性について良く思っているかどうかは別問題だ。

 私は咄嗟にマイクを握ったが、遼平はわたしの方に視線を一瞬投げて微笑んだ。

「僕自身への注目は嬉しくは思うけど、どうしてその質問をしようと思ったんですか?」

「えッ? あの、一色さん個人のことについて注目が集まっていまして……」

「僕の作品よりも、僕の顔の方が良いってこと? アンタ、此処に何しに来たの?」

 遼平はあくまで微笑んだまま、記者に対して質問を投げ返した。

 会場の音がすべて消えた。質問をした記者だけが、マイクを握りしめて手元の何かを必死に捲っていたが。遼平はニコニコと笑ったまま、その記者を見下ろしていた。私まで背筋が凍る。コイツのこういうところが、私は理解できない。本気で疑問に思って聞いてるんだから。

 その時、遼平の方から小さなバイブレーションの音が聞こえた。きっと、遼平のスマホが鳴っているのだ。全く、事前に電源は切っておけと言っておいたのにこれだ。遼平はジャケットのポケットの中をちらっと覗くと、ぱっと私の方を見た。

「五鈴さん。質問もないみたいだし、時間もちょうどいいし、もういいでしょ?」

 そういうことを堂々とマイクを通して言うな。しかし、遼平の言う通りではあった。

「お時間になりましたので、質疑応答の時間は以上で終了とさせていただきます」

私がマイクを通してそう言うと、遼平は小走りで壇上を降りた。去り際に私の耳元で「ちょっと電話が来たから、僕はこれで戻るよ。後のことはヨロシクね」と囁いた。

 ふざけるな。これから名刺交換やらなんやらがあるんだ。お前の出番はこれで終わりじゃないんだよ! 首根っこ捕まえてやろうと伸ばした腕はすんなり躱されてしまい、遼平はさっさと控室の方に姿を消した。

 ――そして、この日のあの囁きを最後に姿を消した。

 まさか、あんな阿呆みたいなやりとりが最後になるだなんて思ってもみなかったし、神様がいない世界がこんなにも音が無くて味も無くて色も無いなんて、知りたくも無かった。

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