聖餐

綿貫むじな

第1話:依頼


「今日も依頼は無し、か」


 毎日の習慣として、仕事場である事務所に来たらまず私はメールボックスを確認する事にしている。

 今日もメールボックスは空だ。

 迷惑メールは山ほど来ていると言うのに。その中にたまに依頼メールが紛れている事もあるからここも見ないといけないのだが、今日も卑猥なサイトからのメールやフィッシングメールしか着ていなかった。完全に削除する。

 今時はポスティングも流行らない。

 一軒一軒ダイレクトメールを入れた所で中身を見ずに捨てられる事も多い。

 インターネットで広告を打ってみたものの、やはり大手の広告戦略には敵わない。

 

 所詮、私は個人でやっている探偵だ。


 入ってくる依頼も逃げたペットを探してほしいだの、浮気調査をしてほしいだの零細にふさわしい、よくある依頼ばかりだ。

 刑事を辞めて探偵になった時は、これで自由に様々な事を調査できると意気込んだものだが、実際は刑事だった時の方が出来る事は遥かに多かった。

 探偵はあくまで民間人に過ぎない。自由を得たと思い込んで実際は自分に枷をハメたわけだ。


 猫を探すのも浮気調査も依頼には変わりなく、飯のタネであり事務所を構えている雑居ビルの家賃になる事は間違いない。

 先月は何件かの依頼をこなし、それで糊口をしのいだが今月は既に一週間経過してまだ依頼が入らない。このまま漫然と日々を過ごしていては不味い。

 街にポスターでも貼ってみるか……。


「いや、あれやって怒られたばっかりだったかな……」


 このご時世にポスター貼りとか何考えてるんですか先輩、ってかつての後輩に怒鳴られたっけ。繁華街ならトラブルも多いし探偵の需要もあるだろうと見込んで貼ったのだが、全く失敗だった。


 事務所の自分の机から立ち上がり、窓の外を眺める。

 思い悩んでいる風の人々はおらず、皆真っすぐ自分が行く方向を見すえて歩いている。

 うちの事務所に入ってくるような人は今日も居ない。


 ため息を吐いたところで、腹の虫が鳴った。

 

 そう言えば今日は起きてから何も食べていない。

 冷蔵庫の中には何があっただろうか。

 扉を開けて漁ってみると、パティを大豆で作ったベジタブルバーガーとフライドポテトが置いてあった。

 昨日買って後で食べようと思って置いといたものだ。

 最近は代用肉の味も向上し、本物の肉と遜色のない物もある。

 とはいえ、三十年前に食べた本物の牛合い挽き肉の味に比べれば……。


「いやいや、今はこれが肉、肉だよ」


 かぶりを振って、私はオーブントースターでベジバーガーとフライドポテトを温める。

 飲み物はペットボトルの無糖紅茶だ。

 チンと音が鳴り、バーガーとポテトがカリッと暖まる。レンジで温めるよりもちょっと焼いた方が脂も抜けて食べやすくなる。

 暖まったベジバーガーにかぶりつく。

 代用照り焼きソースの濃い味が口の中に広がり、その後に大豆ハンバーグがしっとりとした食感で、まあ美味い。

 バーガーの大きさは俺の手にも余るくらいの大きさなので満足感もある。

 野菜もふんだんに使われていてトマトにレタス、ピクルスも入っているし、マスタードとケチャップも使われていてばっちりハンバーガーをしている。

 フライドポテトも安定の味だ。いつもの定番だ。

 半分くらいバーガーにかぶりついたところで、事務所の呼び鈴が鳴った。

 一週間ぶりのベルの音に慌ててバーガーを取り落としそうになる。

 

「はいはい、今出ますよ」


 ケチャップで汚れた手をふき取り、事務所の扉を開けた。


「こんにちは。探偵さんですか?」

「はい、探偵事務所ミシマ、のシンイチ=ミシマです」

「少しお話ししたいことがあってお伺いしました」


 随分と身なりの整った女性だ。

 一言で言えば金持ち、セレブ。それ以外に表現のしようがない。

 派手ではない格好ながらも持っているバッグやピアス、指輪の類はどれもブランド物に身を包んでいて、自分がどの階層に属しているのかをしっかり周囲に示している。

 自分で言うのも何だが、何故こんな場末の探偵事務所にやって来たのだろう。

 彼女を応接室に案内した後、急いでベジバーガーをお茶で流し込み応対する。

 

「何というか、随分と質素な事務所ですね。ミシマさん」


 それには触れないでくれ。

 まずは依頼人の名前から聞いてみるか。


「貴方のお名前は何と仰いますか?」

「ケイト=グリーンです」

「お仕事は?」

「とある組織で職員をやっています、とだけ」

「はあ。という事はCIAとかNSAとか、そういう部署の?」


 半ば冗談で言ったが、何かが相手のカンに障ったのか彼女は懐から身分証を取り出した。


「これでいいかしら?」


 ケイトと名乗る女性が出した身分証には、<地球食料環境統括機構>という文字が並んでいた。それと顔写真。

 長々とした名前の組織名だが、要は食料についての世界的な組織だ。

 長いので統括機構とか呼ばれるが、彼らは普段おいそれとは他人に身分を明かさない。

 必要に駆られた時は偽の身分を用意しているともっぱら噂される組織。

 実際にお目に掛かれるとは思わなかった。


「本当に、貴方は統括機構の人間なのですか?」

「疑われるのなら私は帰りますけども」


 それは困る。

 今月の始めての客だ。


「それで、なんでこんな場末の探偵事務所に足を運んできたのですか? 失礼ながら、貴方なら余裕で大手の探偵事務所に足を運ぶなり、何なら警察に話を通してもいいのでは」

「木っ端などとんでもない。元刑事の探偵さんならこれ以上心強い事はないでしょう」

「あ、一応私の事は知ってらっしゃるんですね?」

「ええ。過去に不祥事で半ば解雇される形で辞職されたことも」


 本当にこの女はどこまで私の事を知っているんだ?


「……その話はまあいいでしょう」

「ええ。私も無駄話するつもりはないので」

「では早速、依頼の話をしてほしいのですが」

「とある会合に潜入調査してほしいのです」

「と、言いますと」


 ケイトはおもむろに鞄から写真を取り出した。

 このご時世に現像された写真にお目に掛かれるとは。


「これは私個人で、とある場所から出てくる人たちを撮影したものです」


 写真には廃墟と見まがうようなボロいビルに入っていく人々が写されていた。

 有名な役者、政治家、スポーツ選手、はてはマフィアの要人まで。

 今にも崩壊しそうなビルの中にこれだけの人々が集まるなど、普通なら絶対にありえない事だ。子供でもこの中で何かが行われていると予想出来る。

 

「興味深いですね。この写真は」

「そうでしょう」

「会合で何が行われているか、ケイトさんはご存知ですか?」

「具体的にはわかりませんが、私の仕事に関わるものではないかと思います」


 統括機構に関わる仕事。

 となれば、今では禁忌とされている食べ物がらみではないかと推測する。


「ミシマさんは今何歳ですか?」

「三十七歳になります」

「となると、禁忌食材を食べた事はありますね?」

「ええ。恥ずかしい話、未だに夢に見る事もありますよ。もちろん、今の食事に違和感を覚える事はありません。なんせ三十年前ですからね。いい加減、慣れました」

「そうですか」


 多少言い訳がましい感じになってしまったが、ケイトは素っ気無く返答する。まるでそれが当然と言わんばかりに。


「最初は私が潜入調査しようかと思ったんですが、どうも会合の案内すら掴めなくて。相手としては当然なんでしょうが、統括機構の職員は全て顔が割れているみたいなんです」

「それは間違いないでしょうね」


 大々的に違法行為を行っているのだから、その辺の調べはついている事だろう。


「そういう訳ですので、貴方に調査を依頼したいわけです」

「警察に協力は申し出なかったのです?」

「写真だけでは証拠が足りないと。面倒くさそうに追い出されましたよ」


 仏頂面をするケイトに対して、過去の仕事の負い目か私は多少申し訳なくなった。


「大手の探偵事務所はこの手のリスクは背負えないと尻込みするばかりでして……」


 それは当然だろう。

 なんせ会合には政治家、マフィアのボスも来ている。

 勿論彼らが違法行為を行っているとなれば、間違いなくお手柄の事件になるが会場で調査が露見でもすれば間違いなく生きては帰ってこれない。

 所詮探偵如き、命の危険がある事件に関わろうとする気概のある奴は少ない。


「お願いです。こうなったらもうミシマさんだけが頼りなんです。絶対に、これは大きな何かが行われているに違いないんです。私の勘でしかないんですが、それでよければ依頼を受けてほしいんです」


 だからこそ、私のような奴にお鉢が回ってくる。

 危険だからと言って尻込みしていては何時まで経っても私の事務所は大きくならない。


「なるほど、面白いですね」

「面白い、ですか?」

「ええ。とても興味深い。貴方の依頼、受けてみようかと思います」

「本当ですか? ありがとうございます」


 ケイトは深々と頭を下げた。


「いやね、ペット探しや浮気調査には飽き飽きしていた所なんですよ。たまには危険な仕事もこなしてみたいなと思いまして。刑事だったころは銃撃戦や潜入調査もやっていましたからね。それで料金なんですが」


 するとケイトは鞄から現金を取り出した。束ねられた現金一束をまず私の前に差し出す。

 久しぶりに見る現金の束に、思わず目を丸くした。


「珍しいですね。現金を用意するなんて」


 キャッシュレスになって久しい世の中、目の前で現金を見たのは何時ぶりだろうか。


「やはりこういう時は現金の方が雰囲気が出るかな……と思いまして。あと私の本気度も伺ってもらえれば」

「それは勿論、覚悟の程も伝わりましたよ」


 そして束の山から現金一束を俺の前に差し出した。


「こちらは手付け金になります。成功報酬はのちほどお支払いします。潜入調査の内容次第では色を付けてお支払いします」

「助かります。今月の家賃がこれで支払えそうです」

「次の会合は来月の頭に開かれるという情報を得ました。偽の身分をこちらで用意しますので、それで会合には潜入して下さい」

「あ、ちょっと良いですか。一番気になっていた事があるのですが」

「はい」

「どうやってその会合に潜入するんですか? この手の集まりは招待制か何かだと思うのですが」

「実はこの会合、開催する場所と時間さえ知っていれば誰でも入れるんです。入る前に身元のチェックは厳重にするんですが。その手のフォーラムのサイトを見つけるのが大変で、私も苦労しました」


 と言って、ケイトは下敷きのように薄いPCを出してURLとサイト画面を示してくれた。


「URLはここでメモしてください。あと入るためのIDとパスワードも今示しますね」

「会員にはなったんですか?」

「ええ。貴方に教える偽の身分でね。それではまた後程、こまごまとした事は連絡します」

「あ、最後に一つ」

「何ですか?」

「会合で出された禁忌の食べ物とやらは、当然私は調査する以上、食べなければ怪しまれると思います。食べても問題ないですかね?」

「……私の立場からは何とも言えませんが、怪しまれれば調査継続は無理でしょう。となれば、あとは貴方の判断にお任せします」


 ケイトは最後に連絡先を私に教えて帰っていった。

 基本的には先方から連絡するらしく、私からの連絡は調査終了時かあるいはケイトが指定した日時に連絡が無かった場合、あるいは緊急時にのみ限ると言う条件が付いた。

 緊急時って私が誰かに追われているとか、調査がバレて問い詰められているとかそういう状況を想定しているのだろうか? もしそうだとしたら連絡した所で手遅れな気もしなくはないが……。


 来月まで自分でも色々と情報を集めてみようと思う。

 久しぶりに腕が鳴る。なまっていなければいいが。

 成功すればこの雑居ビルから引っ越ししてより良い物件に移る事だって出来る。

 

 しかし妙に、私は会場で提供されるという禁忌の食べ物が気に掛かっていた。

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