第20話 水見さんは誘いたい(海) ⑧
買い出しから帰ってきてからの水見さんは圧巻の一言だった。一休みして体を休めた後、夕食に向けた準備を始めた。手際よく調理を進めていき、遠目に見ているだけでも声が漏れるほどだった。
「何を作るの?」
邪魔にならない場所から、水見さんに声を掛ける。
「見た目豪華に見える、お手軽パーティメニューかな」
「へえ、すごいね。何か手伝えることはある?」
「野菜洗うくらいかな」
「わかった」
水見さんの隣に立ち、言われたように野菜を洗っていく。それにしても主食がないというのが主な理由で買い出しに行ったのに、それらしいのは食パンだけで水見さんが何を作ろうとしているか分からない。
「そういや、ご飯とか主食がない問題はどうするの? 米類も麺も買ってなかったよね?」
「大丈夫だよ。食パンでキッシュ作るから。他にも餃子の皮使って即席のピザとか作ろうかなと思ってるんだ」
「キッシュ?」
「もしかして食べたことない?」
「聞いたこともない」
水見さんは手を止めて肩を揺らしながら、くすくす笑う。
「簡単に言うなら、おかずになるケーキみたいな料理だよ」
「へえ」
「それで余った食パンを明日の朝、フレンチトーストにしようかなって思ってるんだ。ただ漬ける容器ないからこっちも簡単なやつになっちゃうんだけど」
「なんというか、本当に水見さんってすごいね」
「すごくないよ」
「だって、俺なら適当にパスタを大量に茹でて、ソースの缶複数買って好みの味につけて食べようとかやってたかもだし」
「それはそれで楽しそうだね」
水見さんは楽しそうに笑う。野菜を洗い終えるとやることがなくなり、水見さんを一人にするのも悪いので、キッチンからも見えるソファーに座り、足を伸ばしてのんびりすることにした。けっこう歩いたからか足が疲れている感じがした。水見さんもきっと同じなのだろうけど、立ちっぱなしでもくもくと作業をしている。こういうときもっと何か出来たらと思うが、邪魔になるのも嫌で手を出さないのも最善に思えてくる。
外は相変わらず明るいが少しずつ色味は暗くなってきている。
しばらくすると、ロッジのテラスから千冬さんが戻ってきて、
「買い出しから帰ってきてたのね。ありがとう」
と、声を掛けてくる。千冬さんは水見さんの方をちらりと見ると、さっとソファーの後ろに回り込んで、小声で、
「それでアキちゃんとは何かあった?」
と、耳元で聞いてくる。釣られるように小声で、「何もありませんよ」と、即否定する。
「本当に? 今のアキちゃん、すごい機嫌いいじゃん」
「そうなんですか?」
「そうよ。その証拠にほら」
千冬さんが口元に人差し指を立てる。静かにして水見さんのほうに聞き耳を立てると、いつか聞いた鼻歌を小声で口ずさんでいるようだった。
「ね? アキちゃん、楽しそうでしょ?」
「ええ、まあ」
「ただ料理作るだけではああはならないよ。だからさ、ハルくん。何かあったでしょ? 千冬お姉さんに全部話しなさい」
千冬さんは笑いながら髪をくしゃくしゃに撫でまわしてくる。
「本当に何もないですって。一緒に買いに行って帰ってきただけなんですから」
「まあ、そういうことにしとくわ」
千冬さんは水見さんの方に行き、声を掛ける。水見さんが食い気味で「ちょっとお姉ちゃん!?」と声を上げているのできっと千冬さんが、からかったり余計なことを言ったのだろう。
「ハルくん、ちょっといい?」
いつの間にかテラスにいたヨシさんが声を掛けてくる。クーラーボックスを肩から提げ、その手には畳まれたシートとパラソルがあった。ソファーから立ち上がり、ヨシさんに近づきながら、
「返しに行くんですか?」
と、尋ねると、ヨシさんは「ああ。だから、また手伝ってくれないか?」と言われ、二つ返事で了承する。借りてきた時と同じようにパラソルやシートは自分が、ヨシさんはテラスにあるコンロを手に管理棟まで行く。
戻ってくると、ソファーには水着から着替え、ラフな服装で頭にタオルを巻いた千冬さんが買ってきたさきいかをつまみにビールを飲んでいた。それを見てヨシさんはいいなあと口にした後、「俺も着替えるわ」と言い残し、着替えを部屋に取りに行きバスルームに入っていった。
「ハルくん。先にやってるわよ。一緒にどう?」
「早いですよ、千冬さん」
「そんなことないわよ。ほら、外はいい感じに夕焼けになってきてるじゃないの」
「そうですね。じゃあ、他にもつまめそうなもの持ってきますね」
「気がきくねえ、ハルくん」
千冬さんの言葉を流して、キッチンの水見さんに声を掛ける。
「どう? 何かできることある?」
「じゃあ、そこのサーモンのサラダ持って行ってくれる? あと取り皿や箸も」
「オッケー」
水見さんが言われるがまま、料理と皿を運ぶ。さらに千冬さんのお酒のおかわりを持って行き、まるで居酒屋の従業員みたいだと心の中で笑う。自分がホールで水見さんがキッチンで。
ヨシさんも着替え終わり、タオルを首に巻いて食べる方に加わる。そこにホール担当らしくタイミングよくビールを運ぶ。ヨシさんはありがとうと口にし、風呂上りの一杯という至極のひとくちに舌鼓を打っている。
「小寺くんも先に食べてていいんだよ?」
水見さんが調理の手がひと段落したのか、キッチンのシンクの脇に軽くもたれて声を掛けてくる。
「大丈夫。水見さんと一緒に食べたいから、全部終わるの待つよ」
「気にしなくていいのに」
水見さんは口角をわずかに上げる。その笑みもどこか疲れているのが透けて見える。
「そういえば、今はオーブントースター使ってる?」
「えっ? キッシュ焼いてる」
「そっかあ。じゃあ、コンロでいいか。場所代わってもらっていい?」
「うん」
水見さんは不思議そうな顔をして代わってくれる。おつまみとして買ってきたエイヒレを袋から取り出し、コンロの火の上であぶる。軽く焦げ目がついたところで火から外し、包丁で食べやすい大きさに切っていく。しょうゆとマヨネーズを小皿に出し、水見さんに「どうぞ」とすすめる。水見さんはおそるおそるといった風にエイヒレをひとかけ手に取り、しょうゆとマヨネーズを付け口に入れる。しばらく噛んだ後、
「おいしい」
と、ぽつりとこぼす。
「本当は七味があれば完璧なんだけどね」
「そうなんだ。こういうのあんまり食べないけど、クセになりそうな味だね」
「これでお酒を飲めばうまさも倍増なんだよ」
そう言いながら、焼きあじもさっと手際よくあぶる。オーブントースターのない川村の部屋で家飲みをしているときに身に付いたちょっとした小技がこんなところで役に立つとは思わなかった。
ソファーの方からお酒のおかわりが聞こえるので、あぶりたての乾きもの二種を載せた皿と一緒に持って行く。千冬さんとヨシさんからは、「いいねえ」「酒がすすむわあ」と好評の声が上がる。空き缶を手に戻ってきて水見さんと顔を見合わせて思わず笑う。
しばらくするとキッシュが焼き上がり、オーブンを開けるとふわりといい匂いが立ちあがる。水見さんはキッシュを取り出すと、用意していた餃子の皮を使ったピザをオーブンに入れる。そして、キッシュを型から慣れた手つきでさっと外し、包丁で切り分けお皿に盛り付ける。型に残った生地の欠片で味を確認して頷いているのを見るとうまくいったのだろう。よだれが出そうになるのを堪えていると、
「あとはピザ焼き終えるとおしまいだし、私たちも食べようよ」
と、水見さんがお皿を手にしながら言ってくる。
「そうだね。見てるだけでもお腹がすきすぎてやばいよ」
そう答えると、タイミングよくお腹が鳴り、水見さんはくすくすと肩を揺らす。
「じゃあ、行こうよ」
水見さんがメインになるキッシュをテーブルに置くと、千冬さんが目を輝かせる。そして、いの一番に手を伸ばしひとくちかじる。
「なにこれ、おいしい。やっぱりアキちゃんの料理は世界一だね」
「お姉ちゃん、褒めすぎ」
「そんなことないよ。私の自慢の妹だよ」
千冬さんは楽しそうに水見さんに絡む。それをヨシさんは焼きあじを
どこか自分だけ、この空間で異物なのかなと胸がチクリとするが、ヨシさんが突然ガっと肩を組んできて、
「いやあ、ハルくんもだよ。なかなかつまみのセンスが渋い。そこにさらにひと手間とか憎いねえ」
と、楽しそうに話してくる。適当に「そうですか?」と相槌を打つ。
「もしかして、ハルくんは普段は焼酎や日本酒の方が好きだったりするのかい?」
「なんで分かるんですか?」
「いや、飲む人間からすれば分かるでしょ。つまみのチョイスがそっち系だもの」
「ですよね」
「まあね。帰ったら俺の部屋にあるとっておきの焼酎をハルくんにあげようか?」
「いいんですか?」
「ああ。俺が持っててもなかなか飲む機会ないからね。今度アキちゃんと一緒に飲んだらいいと思うよ」
「なんでそこで水見さんが出てくるんですか?」
「分かってるだろ?」
ヨシさんは小声で意味ありげに口にする。この場できっと水見さん以外は俺が水見さんのことが気になっていることを知っていて、それぞれのやり方で背中を押してくれているのだ。
ありがたいようなありがた迷惑のような気もするけど、嫌な気はしない。
水見さんもお酒を飲みながら楽しそうにしている。分かりやすく顔には出ないが、いつもより頬は緩んでいるし、一番心を許している千冬さんが隣でからかったり話したりしているので、水見さんの表情がくるくると変化していく様が面白かった。きっと水見さんのことを知らない人から見れば、あんまり楽しそうに飲んでいるように見えないかもしれない。それでも俺から見れば、水見さんは今日は一段と表情豊かで楽しそうだ。
ロッジでの
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