第11話 水見さんは近づきたい ③
「ああ、キミが噂の……えっと何くんだっけ?」
「小寺です」
「ああ、そうそう。小寺くん。私はアキちゃんの姉の
俺と水見さんが席に着くなり、けらけらとビールを片手に水見さんのお姉さんの千冬さんは話しだした。水見さんとは顔立ちが似ているが、似ているのはそこだけでどうやら社交的というかお喋りな人みたいだ。
水見さんに連れられ席に合流すると、千冬さんに「キミとアキちゃんはそっちに座りな」と言われ、千冬さんと向かい合うように並んで座ることになった。店員に追加の注文をお願いすると、千冬さんは座り直し、顔つきが変わる。
「それでキミはどんな人なのかな?」
「どんなって、ある程度は聞いているんでしょう?」
「まあね。でも、キミの口からどんなか聞きたくてね。私はまだキミの苗字とアキちゃんの隣に住んでいること、同じ大学の同じ学部に通ってるということしか知らないのよね」
「それ以上に何が知りたいんですか?」
ちらりと隣を見ると水見さんは静かにお酒を飲んでいる。おそらくチューハイだろう。視線を戻すと千冬さんが真っ直ぐに視線を向けてくる。そのことで思わず背筋が伸び、固まってしまう。
「だから、キミのことを教えてよ。私はね、アキちゃんが大事で、心配なだけなのよ」
「ちょっとお姉ちゃん。それだと、小寺くんが何か悪い人みたいじゃない」
「だから、そうじゃないってことを信じたいから知りたいの」
水見さんはもごもごと何か言いかけてるが言葉にならないようで、そんな水見さんを見つめる千冬さんの目は優しかった。
「分かりました。何でも話します。なので知りたいことを聞いてください」
「キミ、なかなか素直で男らしいじゃないの。じゃあ、自己紹介からよろしく」
「そんなんじゃないですよ。俺は、小寺春樹って言います。小さい寺に季節の春に街路樹の樹と書きます。それで水見さん――秋穂さんと同じ大学、学部の二年生で、ご存知の通り隣の部屋に住んでるものです」
「へえ。キミも名前に季節が入るんだね」
「そこですか?」
「キミが春で、私が冬、アキちゃんは秋。あと夏がいればよかったけど、残念ね」
千冬さんは楽しそうに笑う。どこまで本気で言っているのか分からない。
「それで、大学以外ではどんなことしてるの?」
「大学以外って……バイトくらいしかしてないですよ」
「なんのバイト? ベタにコンビニとか?」
「違いますよ。えっと、Bラウンドってアミューズメント施設のスタッフしてます」
「ああ、あそこね。私の彼氏がストレス発散だって言って、よくバッティングセンターに行ってるわ」
「そうなんですか」
リアクションに困ってしまうが、千冬さんはうんうんと頷いているので、とりあえず、悪い印象は持たれていないようで安心する。緊張から喉が渇くので、届いたばかりのビールに口をつける。
「それで小寺くん。アキちゃんとはどこまで進んだの?」
思わず口に含んだビールを噴き出しそうになる。水見さんも隣でびくっと反応し、「ちょっとお姉ちゃん!」と珍しく声を張り上げる。それを見て、千冬さんは楽しそうに笑う。
「冗談よ」
「冗談にしてはきつすぎますよ。千冬さん」
「そう? ああ、やっと私のこと名前で呼んだね。私もキミのことハルくんって呼ぼうかしら」
そう悪戯っぽい表情で口にする。変に反応すると楽しませるだけな気がしたので、「お好きにどうぞ」とできるだけ興味なさげに応える。それを見て、「アキちゃんと違って、ハルくんはかわいくないなあ」とわざとらしく文句を言われる。
「まあ、冗談はこれくらいにしておいてね、ハルくんには感謝してるのよ。アキちゃん、最近、毎日が楽しそうだし」
「俺は何もしてませんよ。むしろ、何かしてもらってるのは俺の方だし」
「なになに? アキちゃんに何してもらってるの? お姉さんに教えてちょうだいな?」
千冬さんは前のめりに聞いてくる。
「少し前に体調崩したんですけど、その時、おかゆ作ってもらったり、看病してもらったりと本当に助かりました」
「へえ、アキちゃんがね」
千冬さんは意味ありげな視線を水見さんに送る。水見さんはそれを受け流すかのように視線を逸らし、ちびちびとお酒を飲んでいる。
「アキちゃん、最近本当に変わったわよね。前までのアキちゃんなら、こういう居酒屋に行きたいだなんて言いださなかったのに」
「別にいいじゃない。そういう時があっても」
「そうだけど、アキちゃん。ご飯がおいしいお店に行きたいって言うから毎度食べに行くときはリサーチ大変だったのよね。あんまり高いところは金銭的にきついし」
千冬さんが肩をすくめるが水見さんはつーんという感じでリアクションが薄い。そして、水見さんはすっと立ち上がる。
「どうしたの? アキちゃん」
「お手洗い」
水見さんは歩き出す直前に千冬さんの方に向き直り、「小寺くんに余計なこと言わないでよ」と念を押してトイレに向かって歩き出す。それを見送った千冬さんが、プっと噴き出す。
「あんなこと言われたら、余計なこと話してって言ってるようなものじゃない」
「それはさすがに……」
「いいのよ。ねえ、ハルくん」
「なんですか?」
「アキちゃんといると息苦しいとか、居心地が悪いとか本当は感じてない? アキちゃんは、家族――とりわけ、私以外の前で感情を出すことも、本音で話すこともあまりない子だからね」
「そんなこと――」
千冬さんの目は優しくて表情はどこか寂しそうだった。ここは変に
「確かに、千冬さんの言うように最初は何を考えているか分からなかったし、水見さんのことが苦手だったかもしれません。でも、水見さんのペースとかそういうのに慣れたら、そういうの気にならなくなったし、最近ではまだ短い付き合いのはずなのに僅かな表情の変化で気持ちを少しは察せれるようになってきたかなって思ってます」
「そっか。ハルくん、キミは聞いてた以上にいいやつみたいだね」
「そんなことないですよ。こんなこと千冬さんの前で言うのはあれかもしれませんが、とてもかわいらしい人と仲良くなるきっかけができたのだから、それを逃したくないってのも内心ではあるんですよ」
そう話しながら自嘲気味にはははと、から笑いをする。
「それは別にいいんじゃないかな。アキちゃん、かわいいし、スタイルもいいしね。ハルくんもそう思うでしょ?」
「ええっと……はい。すごい美人だと思います」
真面目にそう答えたのが千冬さんにはツボだったらしく、笑われてしまう。ひと笑いされた後、千冬さんは静かに話しだす。
「私はアキちゃんがかわいいんだ。妹だからってのもあるけど、あの子がもっと笑って過ごせたらって、いつも思ってる。もしキミがアキちゃんを傷つけるなら絶対に許さない」
「そんなことするわけ――」
「わかってる。キミはそんなことをするような子じゃない。アキちゃんが気を許しているのがいい証拠だよ。ねえ、もしハルくんが本気でアキちゃんとの関係を進展させたいって言うんなら協力するよ。なんたって私は名前に冬がつくからね。秋と春の間を繋ぐにはピッタリでしょう?」
千冬さんは笑顔でそんなことを言い放つ。その笑った顔には姉妹らしく人を惹きつけてやまない眩しいものだった。
今の自分にとって水見さんはどんな存在なのか考えてみる。
同じ大学の同じ学部に通う同級生で、隣に住む女の子で――少し前までほとんど接点もなくて、顔と名前を知っているくらいの遠い存在だったはずだ。それが今では一緒にご飯を食べるほどの仲になっている。
変化のきっかけはいつも水見さんだ。隣に引っ越してきて、何故か俺の部屋で半裸で寝ていたり、ご飯を作ってくれると言い出したり、他の人には見せない楽しそうな顔でたくさん話したり、一緒に笑ったり。それではまるで水見さんは俺のことを――。
「ねえ、千冬さん……」
「なあに?」
「水見さん――いや、秋穂さんは俺のことどう思っているんですかね?」
千冬さんは目を丸くして、そのあと肩を揺すりながら笑う。そして、優しい声で「それはアキちゃんに直接聞きなさい」と、
その直後に水見さんが席に戻ってきた。
「お姉ちゃん、余計なこと話してないよね?」
「なあに、アキちゃん。そんなに話されると困ることでもあるのかしら?」
水見さんはそれに返す言葉がないのか、小さくうううと
「ねえ、小寺くん!」
水見さんの様子を隣で眺めていたら急にびしっと視線を合わされ、名前を呼ばれるので驚く。
「な、なに?」
「本当にお姉ちゃんに変なこと言われなかった? もしくは変なこと吹き込まれなかった?」
水見さんはぐいっと顔を寄せて尋ねてくる。ただでさえ『氷の女王』の
視線を水見さんの方に戻すと、水見さんは変わらず真っ直ぐに顔を見つめてくる。心なしか頬が膨れているように見える。
「で、どうなの? 小寺くん」
「なにもなかったよ。ただ水見さんがかわいいって、千冬さんと話していただけだよ」
「えっ? えっと……その、ありがとう。でも、どういうこと?」
水見さんはすっと視線を外し、髪の毛の先をいじる手が止められなくなる。
「アキちゃんのそういうところ、本当にかわいいわあ」
千冬さんがニヤニヤとしながら放つ言葉に、水見さんは「もう、お姉ちゃん!」と声を上げ、
「そんなにいじわるばかりするなら、もうお姉ちゃんにご飯作ってあげないからね」
と、口にすると、千冬さんは「ごめんって、許してアキちゃん」となだめていて、それを見ておかしくて楽しくて笑ってしまう。
楽しい時間は空になったグラスの量に比例して、あっという間に過ぎていく――。
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