第7話 水見さんは関わりたい ①
試験が目前に迫り、大学内はにわかに緊迫感を増していく。普段の倍以上の学生が図書館に吸い込まれ、またそこかしこで勉学に励む姿が散見できる。
大学生というのは勉強が本分ではあるが、時間の使い方を縛られないので、人によって同じ期間で得られる経験に差ができやすい。勉強をするのも、しないのも自由でその結果どうなるかは試験で測られ、単位という結果で還元される。四年間無為に過ごせば、何も得られないまま卒業するが、自己の研鑽につぎ込めば大きな成長につなげられる。バイトだってそうだ。バイトに時間を割けば、社会経験と給料を得ることができる。
そのなかで勉強とバイトに多くの時間を費やし、余った時間をバイトで得た給料を用い酒を浴びるほど飲むというのが俺、
試験が始まる前の最後の週末は肉体的にも精神的にも辛いものだった。
大学の図書館や自分の部屋で、パソコンの画面と資料となる本やコピーの束とにらめっこしながら、レポート課題を進めていく。レポート課題の合間に気分転換で試験日が近い科目からテスト勉強もこなす。さらには試験が近いということでシフトに入る頻度と時間を減らしてもらっているとはいえバイトに行かなければならない。
そんな生活のせいで、水見さんはおろか川村や市成とさえ、ご飯を食べに行ったりということができずにいた。
そして、日曜日の午後、朝から大学の図書館に
アパートの近くまで帰ってきたところで、ご飯をどうしようかと考える。どこかに食べに行く気力がわかず、コンビニに寄るのさえ面倒くさいと感じてしまう。部屋にきっとインスタントのラーメンが残っていたはずだからそれでいいかなと思えた。こんなときに水見さんにご飯を作ってもらえたらと自分勝手に思ってしまうが、この週末は忙しく余裕がないことが分かっていたので、あらかじめ水見さんに断りを入れていた。そのことを今さらになって後悔してしまう。
「小寺くん?」
水見さんのことを考えていたからか、水見さんに呼ばれる声が聞こえた気がした。幻聴にしてもタイミングが良すぎる。きっと疲れと眠気が限界にきているのだろう。
「大丈夫、小寺くん?」
またしても聞こえる幻聴に「ああ、大丈夫だから」と返事をする。声に出すと、ふいに頭が重くなり、体から汗が噴き出す感覚がする。
「そう? よかったらご飯食べにくる?」
「もしそうできたらいいよなあ。ちょうど水見さんの手料理が恋しくなってたんだよ」
そう言ったところで足元がふらっとする。しかし、体勢を崩したのは一瞬で誰かが支えてくれたのか触れられている部分に温かさを感じる。夏場で汗ばんでいるのに申し訳ないとさえ思ってしまう。
「そういや、しばらく水見さんに会ってない気がするなあ」
そう口にしたところで目の前が真っ白になり、意識はブラックアウトした。
どこからか鼻歌が聴こえてくる。昔、テレビで聞いたことがあるような気がするけれど、何だったか思い出せない優しい旋律の曲。
その鼻歌に導かれるように次第に意識がはっきりとしたものになっていく。おでこと首回りがひんやりとしてなんだかとても心地がいい。ゆっくりと体を起こすと鈍い頭痛が走る。起き上がったことでおでこと首のあたりからぼとりと何かが落下する。落ちたものを手に取ってみるとそれは濡れタオルだった。
「気が付いた? 小寺くん」
最近よく聞くようになったいつもの調子の声が聞こえる。はっと声の方に向き直ると、水見さんがいた。
「ここは……?」
「私の部屋だよ」
そう言われて辺りを見回すと、ここ数日尋ねることがなかった水見さんの部屋だった。最近、こんな気が付いたら思いもよらない場所にいることが多い気がする。そう思うとため息が出る。
「どうして、俺は水見さんの部屋に?」
「それはアパートの近くで小寺くんがぐったりしてたから、連れて来たんだよ。それで、はい、これ。飲んで」
水見さんはそう言いながら、スポーツドリンクを差し出してくる。それを受け取ると、
「その様子だと、きっと軽い熱中症だったんじゃない?」
「そうかも。あと、最近ちゃんと休めてなかったのもダメだったのかも」
「そうかもね」
水見さんは相変わらず抑揚のない調子で話してくる。きっと心配かけただろうし、迷惑もかけただろう。
「ちょっと気になったんだけどさ……水見さん一人でここまで俺を運ぶの大変だったんじゃない?」
「ああ、うん。でも、まあ前にも同じようなことあったし」
そう言い視線を逸らす水見さんにそれ以上の質問はできなかった。もしかしたら、以前聞いた水見さんのお姉さんを運んだ経験があるのかもしれない。
状況が飲み込めてくると安心したのかお腹が鳴り、空腹だとアピールしてくる。その音はすぐ隣にいる水見さんの耳にも届いてしまったかもしれない。横目で水見さんを見ると肩を小さく静かに揺らしているのでこれは間違いなく聞かれてしまった。なんだか少し恥ずかしい。
「ねえ、小寺くん」
「な、なんでしょうか?」
「ご飯、食べる?」
「はい、お願いします」
思わず敬語になってしまう。それを水見さんは隣でくすくす笑って聞き流す。
「じゃあ、できるまで横になってて」
「ああ、そうさせてもらうよ」
「おかゆとか軽めのものしようと思うけどそれでいい?」
「任せるよ」
水見さんがすっと立ち上がり料理の準備に向かうのを見て、さっきまでそうしていたように床のカーペットの上で横になる。そして、クッションに頭を預け、濡れタオルをおでこにセットし直す。
ゆっくりと目を閉じると、冷蔵庫を開ける音、テンポよく何かを切る包丁とまな板のあたる音などが聞こえてくる。それに混じり、鼻歌も聴こえてくる。それらすべての音を子守唄代わりにまどろみに意識をゆっくりと惑わせる。
きっと水見さんがいるということに慣れてきたのだろう。水見さんといることに抵抗感がなくなってきたうえに、どこか安心感のようなものまで感じ始めている。
そんなことを思いながら、うとうとと眠りの波にゆっくりと飲まれていった。
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