第2話 ボーイミーツガール in 二日酔い ②

「はい、コーヒー」

「ありがとう」


 水見さんと隣の部屋になったという衝撃の事実を受け止めきれないうちに廊下で立ち話もあれだからと部屋の中に通された。まだ部屋の隅には段ボールがいくつかあり、さらには生活感の薄さから本当につい最近引っ越してきたんだなと実感する。

 辺りを見回してそう思いながらも、女の子の部屋に入るのがこれが初めてで緊張してしまっている。

 水見さんはというと、カップを手にテーブルを挟んで向かい合うように座っている。


「インスタントしか用意できなくてごめんなさい」

「いや、いいよ。コーヒーなんて自販機かコンビニで買ったのしか飲まないし、おいしいよ」

「そう? でも、実家やお姉ちゃんの部屋ではコーヒーメーカー使ってるから、本当はそっちの方がいいのだけれど」

「へえ。水見さんってお姉さんいるんだ」

「うん」


 そう返事をしてカップの液面に水見さんは視線を落とす。会話が唐突に終了して、間を持たせるためにコーヒーに口をつける。


「それで水見さん」

「なに?」


 その機械的に返される言葉に居心地の悪さのようなものを感じてしまう。表情も変えず、声に抑揚もなく、ただ言われた言葉に対するマニュアル回答をしているようなそんな印象を受ける。それゆえに水見さんに話しかける人は減り、水見さんとお近づきになろうとした男がをあげ、逃げ出したくなるのかもしれない。こうして向き合ってみるとそうしたくなる気持ちもわかる。

 どこか得体が知れない不気味さがあるのだ。


「えっと……水見さんはいつ引っ越してきたの?」

「おととい」

「そうなんだ。隣なのに気付かなかった」

「そう。私も隣が小寺くんの部屋だなんて知らなかった。挨拶に行ってもいなかったから」

「それはすいません」


 思わず謝罪の言葉を口にする。そして、またしても訪れる沈黙。

 その沈黙を利用して、水見さんが引っ越してきたというおとといのことから振り返ることにした。おとといは三連休の最初の日で、昼前からバイトで終わったのは夕方だった。そして、晩飯を兼ねて、いつものメンバーの川村と市成に連絡し、市成はバイト中だったようで返事がなかったので川村と二人でチェーン店の中華料理屋で晩飯を食べ、そのまま居酒屋で飲んだ。途中からバイト終わりの市成が合流し、日付が変わるまで飲んで、全員が翌日の予定がないことが分かり、翌日は明るい時間から飲みまくろうと約束をした。そして、家に帰りシャワーを浴び、そのまま眠りについた。

 翌日、つまり昨日は起きて、朝昼兼用の食事を牛丼屋で済ませ、その足で酒やつまみを買いに行き、集合場所の川村の部屋に行き、いつもの三人で酒盛りを始めた。夕方から居酒屋に行き、そのあたりから記憶が曖昧になっていき、カラオケに行った辺りからは完全に覚えていない。

 ここ数日、部屋にいる時間が深夜から朝にかけてで、水見さんが引っ越し作業をしている際は不在だったことと、水見さんとこの部屋を見る限り、生活音もおそらく静かで壁一枚隔てた隣の部屋で誰かが住み始めたことにすら気付けなかった。

 もともと普段から家にいる時間は多くないので、今のような連休でなかったとしても気付けなかったかもしれない。


 そう思いながら、コーヒーに口を付け一つ息を吐き視線を水見さんの方に戻すとふいに目が合ってしまい、固まってしまう。水見さんはすっと視線をカップに落とす。


「ねえ、小寺くん」

「は、はい。なんでしょうか?」


 突然、名前を呼ばれ敬語になってしまう。それを気にせず、水見さんをすっと立ち上がる。何をするのか、もしくは何をされるのかと身構える。ビンタの数発くらいは仕方ないと思っていると、水見さんは玄関の方に歩いていき、すぐに戻ってくる。


「これ」


 そう短い言葉とともにギフト用のタオルを差し出される。


「どうも。これは?」

「引っ越しの挨拶」

「ああ、なるほど。水見さんって律儀なんだね。でも、女の子の一人暮らしなら、こういうの配らない方がいいんじゃない?」

「なんで?」

「いや、ほら。女の子一人だと分かると犯罪に巻き込まれたりするリスクもあるし、それに水見さんみたいに美人だとストーカーだとか変な被害に遭うかもだし」


 水見さんはふいに黙り込む。そして、今の状況を思い返し、もしかして、自分が不審者だと疑われてるのかもしれないと不安になってくる。


「そういうこと、考えてもみなかった。でも、大丈夫」


 先ほどの心配は杞憂に終わり、水見さんは気にしていないようでホッと胸を撫でおろす。


「でも、大丈夫って、他の部屋にも渡しに行ったんじゃないの?」


 水見さんは小さく首を横に振る。


「じゃあ、俺だけなの?」


 水見さんは今度は首肯して見せる。


「俺だけってどうして?」

「挨拶するのは隣だけでいいかなって……それにこの部屋、角部屋だから」

「ああ、なるほど」


 水見さんは相変わらず口数は少なく、表情の変化に乏しいけども、少しずつ水見さんの空気感というものに慣れてきた。

 会話のテンポの悪さは仕方ないが、それでも律儀で真面目な水見さんにはなんだか好感がもてる。


「ねえ、水見さん。お隣になったのも何かの縁だし、これからよろしくね」


 水見さんは今日初めて視線を合わしてきて、柔らかい表情になり頷いた。こういう顔もできるのだと驚きつつ、内心ではドキッとしてしまう。

 それを悟られないように視線を逸らし、首の後ろをさすりながら、


「それでさ、引っ越し祝いをしようか?」


 と、口にするも、水見さんはぽかんとしているようで、こちらの言葉の続きを待っているようだ。


「引っ越しをしたらそばを食べるって言うじゃん? あれ、正確には近所に配るんだっけか? まあ、それは置いといて、よかったらそばを食べに行かない?」


 誘っておいて断られたらどうしようとドギマギするも、小さな声で「いいよ」と返事が返ってきたので安心する。


「このアパートから歩いてちょっと行ったところにおいしいそば屋があるんだ。そこでいいかな?」


 水見さんは首肯する。そして、じゃあ今から行こうかと言いかけて、その言葉を躊躇ちゅうちょする。

 今の状況を思い出したのだ。水見さんも自分も起きてから一時間もたっておらず、おそらく昨日から風呂に入ったりシャワーを浴びたりしていないだろうし、服や下着も着替えてはいないだろう。そのままで外出しようというのはなんだか色々とダメな気がした。

 そう思いながら、下着と服というワードからついさっきの水見さんのベッドでの寝姿を思い返し、目の前にその本人がいると思うと気恥ずかしい思いになる。


「それじゃあ、着替えたりとか準備もあるだろうし、三十分から一時間後でいいかな?」


 その言葉の意味することに気付き、水見さんも同じように今朝のこととか思い返したのか、顔が薄っすらと紅潮している。水見さんが顔を逸らし、無言で頷いたのを確認して、話しかける。


「じゃあ、きっと準備は俺の方が早く終わるだろうし、水見さんが出かける準備できたら、俺の部屋のインターホン鳴らしてくれる?」

「わかった。じゃあ、その……またあとで」


 水見さんは玄関先まで見送ってくれる。これからまた会うのに見送られるというのも不思議な感覚だなと思いつつ、同時に遠足前日のような楽しみとワクワク感が胸の中に湧き上がり高揚感に満たされる。

 そして、自分の部屋に戻ると、惨憺たる光景が目に入り、高揚感は悲壮感に代わり、がっくりと肩を落とした。

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