16-8
長い間、悪夢を見ていたようだ。
いや、実際悪夢の中にいるのだ。
ここは意識の深淵。
すなわち、「ルベルが殺された」記憶。
地面も天井も右も左も前も後ろも何もかもが滅茶苦茶で、赤黒い亜空間がどこまでも広がる。無秩序なこの中で唯一輝く……輝く? 違う、輝いてはいない。輝いてはいないが、その周辺の空間だけが青白く変色して、それこそ「世界が注目」しているのが、「宙ぶらりんのルベル」だ。ぐったりとして、覇気がない。
――――そして、その辺に散らばっているのが、俺の死体。
そう、俺の。何百人分だろうか?
ここに来てから、例の悪魔に何百回も殺された。加えて、ミヤビの意識の世界が壊れすぎていて、俺の核の方にも影響してしまった。結果的に、地獄を見る羽目になった。
今も変わらない。未だ、奴は俺を殺す。
また死んだ。
痛みに慣れた、とまではいかないが、なんだか作業のように感じ始めている。
……まだ、希望はあるはずだ。
この「深淵」にたどり着いた初めのうちは、ただ成すすべもなく苦痛を受け続けるだけだったが、今は物事を考えることができる。恐らく、散らかっている死体のお陰だろう。今まではミヤビの感情が強すぎて介入できなかったが、しかし、俺の感情も僅かながらこの空間に影響を与え始めているということだ。悲しみか苦しみか怒りか諦めか……そのすべてか。
――――なんで、助けないといけないんだ?
たった数日一緒に過ごしただけの他人だ。命を賭してまで救う価値は無いはずだ。何のために俺は苦しんで嘆いている? 興味のない親子喧嘩を見せられて、何故俺が罪悪感を感じないといけないんだ。
そうだよ、全て今まで味わった苦しみは、自ら選んだものじゃないか。
サングイスを殺したのも、俺が選んだこと。ディアの言う通り、関係ないと割り振って放っておけばよかったじゃないか。
ダラムクスに戻ったのも、俺が選んだこと。関係ないとルベルに断って、逃げてしまえばよかったじゃないか。
なんなら、姪の誘拐犯を殺したのも。警察に任せて放っておけば……。
高校進学をあきらめて、中卒で働くことにしたのも。親戚のおじさんたちに甘えて行けば……。
こんな苦しみを味わうことは無かった。
「……クソッ」
しっかりしろよ! 上原基之!!
そんなこと考えたって仕方がないだろう!?
刺された痛みが消えるのか!?
ここから解放されるのか!?
すべてを捨て去れるのか!?
幸せになれるのか!?
「――――んなわけねぇだろ!!」
今俺にできるのは、ミヤビを救うことただ一つ!
偽善だ? 何度でも言え!
俺が今までやってきたのは全部偽善だ!
すべては俺が惨めだったから!!
俺自身に手を差し伸べてくれる人が欲しかったんだ!!
……うるせぇ、考えろ。
俺は一体、何を見落としている?
何に気が付けば、打開できる?
ナイフは煌めく。
この混沌とした世界の中で、確かに。血を滴らせながら、俺への殺意を募らせて、一歩、また一歩と悪魔が近づいてくる。
肩を刺される。激痛が走る。思考が飛ぶ。
心臓を刺される。息が止まる。体温が消え去る。
……死体がまた一つ。
奴は何者なんだ?
レンの刺客か?
違う。レンの能力が影響を与えているのは、今この空間。ルベルが殺された事実を、悲しみを、絶望を、何倍にも増幅させて壊している。悪魔を生み出せるほど影響力があるならば、最初から最後までぶっ壊れているはずだ。
ミヤビ自身か?
違う。ミヤビ自身が俺を殺す理由が分からない。こんなに自由に動けるのなら、今頃とっくに外に出ているはずだ。はっきりと奴は俺を拒んでいる。苦しめている。明確な悪意がある。
……死体がまた一つ。
何故、俺は念力が使えない?
ホルガーの場所では使えたはずだ。……俺の感覚だけだから、本当は使えなかったのか? 違う。「意識の世界」なんだ。使えないはずがない。念力だ。念じる力だ。この世界でも確実に使える。使えないのは、俺の気持ちが弱すぎるから。今、この空間で影響を与えることができるのは、俺の「負の感情」。その感情に乗せて使えば……。
……死体がまた一つ。
使えねぇ!!
念力じゃ、悪魔は一切止まらない。命を刈り取る足音を止めることはできない。ぼんやりとして、感覚が鈍い。壮大で莫大なミヤビの絶望に塞き止められている。そんなに絶望の壁が厚いのか!?
何を忘れているんだ!?
ミヤビの人生をさかのぼって、ここまで。彼女の周りには、傷つける奴もいれば支えてくれる奴もいた。彼女に足りなかったのはなんだ? 強さじゃない! 勇気じゃない!
……死体がまた一つ。
滅茶苦茶だ! 頭の中が滅茶苦茶だ!
焦りすぎて論理的に考えられない!!
……死体がまた一つ。
「はぁー、はぁー、はぁー……」
絶望の底。ぺたんと座り込んでいる。
どんな言葉で取り繕っても、結局真っ暗闇。
「……」
……死体がまた一つ。
「…………」
……死体がまた一つ。
「……………………」
……死体がまた一つ。
――――――――あ。
ふと、思いついたその考え。
それは、悪魔が何者なのかという問いの、「答え」だ。
悪魔。俺をこの世界から排除しようと、何度も邪魔をしてくる存在。どうしてか、幸せな記憶には干渉してこない。レンの刺客でもなく、ミヤビ自身でもない。この世界に住み、そして「仕組み」を知っている。
……ミヤビの味方。
チエでも、アビーでも、ルベルでも、ダラムクスの皆でもない。
ミヤビを一番近くで支え続けた、味方。
ナイフは煌めく。
この混沌とした世界の中で、確かに。血を滴らせながら、俺への殺意を募らせて、一歩、また一歩と悪魔が近づいてくる。
――ナイフを、止めた。
念力が使えた。俺が今まで使ってきたのと同じ、底なしの念力。分かったんだ。なぜ、ここで念力が使えなかったのかが。
たとえ悪魔であろうと、俺の念力を破ることはできない。
ぎりぎりと、力を加えているのが分かる。彼女の手が筋肉の緊張で震え、さらに両手で押すようになり、胡坐をかく俺の脳天に突き刺そうと必死にあがく。だが、バリアはどこまでも堅い。
ナイフの柄で、ぶん殴ってきた。恐ろしい力。きっとあれを食らっていれば、俺の頭は風船の如く弾けていただろう。悔しいことに、すぐに復活するが。
「やっと分かった……君のこと」
尚も、悪魔は攻撃を続ける。
俺はゆっくりと立ち上がり、前を見た。死体の絨毯が眼下に広がる。
「――――――――セウス=ベラ。君か」
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