16-9

 絶望神セウス=ベラ……ミヤビに力を与えた神霊種オールドデウス


 絶望の魔力は、強大すぎるがあまり、ミヤビを苦しめることが多かった。だが、それ以上に彼女を救ってきた存在でもある。俺が暴走したあのとき、こいつが居なけりゃ、ダラムクスを自分の手でぶち壊していたかもしれない……。



「そうだろ?」



 ナイフを持つ手が緩む。どうやらビンゴのようだった。



「俺は敵じゃない。ミヤビの『核』の場所を教えてくれ」



 ――意識の世界の仕組み。

 俺が念力を使えるようになったのは、それを理解したからだ。

 この世界は初めから、地獄なんかじゃなかった。いや、俺にとっては地獄そのものだったが、「地獄」という空間をミヤビが故意的に生み出しているわけではなかった。

 つまり、「対話」だった。対話と言っても、ミヤビの話をずっと聞いているようなもの。そこに俺が力で「抵抗」したとしても、相手に伝わるわけが無かったのだ。


 悲しみに暮れる相手をぶん殴ったところで、立ち上がってくれないのと同じように。


 「優しい心」、「助けたいと思う心」……もしかしたら、俺のそれは、偽物かもしれない。此処から出たいが故に想う、間接的な感情かもしれない。が、ともかく今までの物騒なイメージを取っ払って、「語り掛ける」イメージでやったら念力が使えたのだ。


 俺の力が届いているということ、すなわち、俺の気持ちが届いているということ。



「……頼む」



 悪魔は、セウス=ベラは、ゆっくりとナイフを下ろした。ニヤニヤ笑う仮面の奥の表情は見えない。たとえ見えたとしても、それが本物かどうかは分からないが。しかしながら、どこか切ない感情が伝わってくる。立ち姿に覇気がないからだろうか。殺気が無いからだろうか。


 彼女は俺の目を見た後、何かを理解したかのように頷いた。そしてくるりと振り返り、そのナイフを振り上げる。

 そこに力が集まっていく。お得意の、絶望の魔力だろうか?


 だが、それは「莫大の」とは言えなかった。俺の感覚では非常に小さな力のように思える。ナイフが薄皮一枚おおわれる程度の、弱々しくて、頼りない力。今までのやつに比べれば、拍子抜けだった。



 ……振り下ろした。

 地面に突き刺さった瞬間、そこから、俺の死体もルベルの死体も含めたすべてに亀裂が入り、白く眩い光が漏れだす。壊れた世界は更に崩壊し、そして恐ろしくシンプルな姿を取り戻す。



 ――――真っ白な世界。

 ただひたすらに、白い世界。地面はしっかりある。石で造られたように堅い。この空間にいるのは、俺とセウス=ベラだけだった。辺りを見回したが、世界はどこに注目するということも無く、どこかが歪んでいるわけでもなく、ただただ至極平坦な世界が広がっているだけだった。



「……ミヤビは?」



 セウス=ベラは正面を指さした。そして振り返り、顎でしゃくって、「行け」と合図する。

 俺が歩き出した瞬間、彼女は消えた。風に飛ばされる灰の如く。だが、本質的な意味合いで消えたわけではないだろう。彼女は俺の理解の及ばないところで、見守っているはずだ。


 走った。ただ真っすぐ。

 変な気持ちだった。恐怖感も怒りも未だ消えては無かったが、妙な爽快感があった。

 風はない。だが、空気があって吸い込める。心臓も動く。


 生きているという感覚を、久々に感じた。



 ふと、瞬きをしたらミヤビが居た。遠くの方で膝を抱えて座っていて、俺に背を向けている。彼女が身に着けているのは、宝物の「青い上着」だ。


 近づくと、その空虚な背中がよりはっきりと見えてくる。泣いてはいないようだった。肩は震えず、その声も聞こえない。



「……来たんだ。もっきゅん」



 その言葉は、どこか乾いていた。

 それでいて、細かった。



「……ああ。帰ろう」


「……無理」


「どうして?」


「何もできなかったんだよ、私」


「何が、何もできなかったんだ?」


「皆を守ること。ただ、呆然とすることしかできなかった」


「守ったじゃないか」


「……誰を?」


「今生きてる皆を」


「……嘘」


「嘘じゃない。君が居なきゃ、俺自身が皆を殺してしまうところだった。運よくぶつかり合ったから、状況が変わって、レンも殺せた」


「……嘘!」


「嘘じゃない」


「嘘だ!! いいよ、もっきゅん。私、そんな優しい嘘要らない!」



「――――ルベルも生きてる」



「やめてよ!! 放っておいてよ!!! お願い、だから」


「……何がそんなに不満なんだよ? 半分は生き残ったんだ」


「半分は死んじゃったんでしょ!? 救えなかったんだ!! 私が殺したんだ!!」


「……」


「見たでしょ? 私の過去。私は、レンが来ることを予想できなくは無かった! 皆に伝えて、事前に注意しておくように仕向けることもできた! 私の過去を隠したいがために、その欲のために、皆は死んじゃったの!!」


「……なら、俺も殺したな。俺は、君たちの親子喧嘩がめんどくさくなって、逃げたんだ。結果的に、多くの人が死んだ。俺が殺した」


「……ずれてるよ」


「ずれてない」


「……ルベルが生きてるってのも、嘘でしょ? 私をここから出すためだけの、優しい嘘。でもね、もっきゅん、要らないの。そんなの。私見たんだ、首の骨、折られるところ」


「天才アビーが治したってよ」


「だからっ!!!! ……ああ! もうっ!!!」


「天才ファンヌも手伝ったそうだ」


「……うるさい!! うるさいうるさいうるさいうるさい!!!!! 私は何もできなかったんだ!!!!!」


「……ルベルも生きてるし、君も生きてる。この事実だけは揺るがない」


「だから何!? のうのうと生きろっての!? 死んだ皆に顔向けもできないこんな私に!?」


「……うん」


「……っ」



 相当、取り乱しているようだ。それもそうだ。さっきまでの俺と、同じような状況にいるのだから。時間はたっぷりあるんだ。彼女が納得するまで、俺はここに居よう。というか、多分俺一人じゃ出られないし。



「一つ訂正。死んだ皆に顔向けできないってのは、違うと思う」


「もっきゅんの感覚じゃん。ほんの数日しかいなかったくせに!」


「死んでるから、顔向けするのは無理がある」


「……はぁ?」


「……ごめん。でもね、君が居てくれる、それだけでいいって思ってくれる人がいるってことも、忘れちゃいけないと思うよ」


「……」


「チエ、アビー、ルベル……ダラムクスの、皆じゃないかもしれないけど、ほとんど。死んでしまった人の中にも、必ず居る」


「……」


「俺も、そのうちの一人だ。ディアも……多分」


「……分からない」


「何が?」


「分からないよ、私自身が」


「……」


「滅茶苦茶なの。全部」


「当たり前だ。滅茶苦茶じゃないやつなんて、どこにもいない。人間皆、矛盾にまみれて生きてる。平和な現代社会でそうなんだから、ここじゃ、もっとそうだろう」


「もっきゅんも?」


「ああ。君を助けたい一心でここへ来た……とは言えない。本当は、安易な考えでここに入ったことを後悔してる。すげぇ後悔してる。地獄だ。地獄地獄。何度も何度も殺されて、痛い思いをして、ここに来た。でも君の方が、もっと辛い思いをしてるってことも、知ってる」

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