16-5

 ミヤビが相手をしていたゴブリンが倒れた。何の前触れもなく。



「――――おい、貴様はなんて名前だ?」


「え、へ、あ……み、みやび」



 どす黒い混沌の世界に現れたのは、「雨野蓮」だった。やはり、この時から赤いフードマントを身に着けている。俺が意識の世界で出会った姿よりも、どこか元気がなくやつれているが、しかしその時からその醜い心は変わらない。

 ……彼は自殺したばっかりだろう。しかし、強い能力があることを鼻にかけ、人を支配しようとするゴミ屑だ。



「君が僕の好みだから、助けてやろうって言ってんだ。それに、良い魔力も持っているし」



 にやりと笑った彼の口角は、右側しか上がらなかった。その高圧的な態度により、ミヤビは半ば本能で悪意を感じ取ったようで、「世界」は彼に一気に注目する。まるで強いスポットライトが当たったかのようにゴブリンとその他の女性たちは闇の中に消え、一対一で話す構図になる。


 ……良い魔力、恐らく「絶望」の祝福のことだろう。彼女は、今ここで自分をうまく知覚できておらず、自身がどんな状況にあるのか分かっていない。だが、「負の感情」でまみれているのだから、絶望の魔力が暴走し、彼女の体には激痛が走っているはずだ。それが、慰みの痛みと苦しみだと勘違いしているのだろう。だから俺には見た目で分からない。


 想像を絶するくらい苦しいはずだ。現にこの世界は、ミヤビが親に罵倒されていた時よりも、歪んでいる。



「俺様は雨野蓮。今までにない強さの能力を貰ったらしい。紅緋派の代表だってさ」


「い、やだ……」


「なぁ、俺様の女になれば、人間を好きなだけ殺させてやるよ。好きなもんだってなんだって買ってやる。こっち側に来ないか?」


「……いで……こないで」


「なに、ゴブリンよりは優しくするさ」


「来ないで!!!!」


「――――チッ。じゃあいい。いつまでも犯されてろ。はーあ、せっかくクソ汚いお前を助けてやろうと思ったのになー!」



 ……ミヤビは雨野蓮と接触していたようだ。

 そして、彼女は彼を拒んだ。もしも思考力がまだ鈍ってなくて物事を合理的に判断できる状態だったら……ミヤビは、彼の要求を飲み、人を殺して回っていただろう。ここで慰み者になるよりも、人を殺してでも生き延びた方が幸せだろうから。


 それか、一度仲間になっておいて、裏切ることを考えたかもしれない。

 ただそれは……不可能だろう。「紅緋派代表」ということは、そのときから既に「紅緋派」と呼ばれる者たちはいた訳で、何も力のないミヤビがすべてを振り切って逃げることはほぼ不可能に近い。


 つまり、偶然にも彼女は一番良い選択をしたのだ。

 良いといっても、最悪であることには変わりないが。





 ――――あれから、悪魔に二回ほど殺された。痛みは洒落にはならないが、ミヤビが受けてきたものと比べれば天と地の差があるだろう。……俺の精神は限界を迎えていた。


 ミヤビは、限界を超えたようだった。一回目の死と二回目の死の間から悲鳴が聞こえてこなくなり、ふと俺がみたその光景で、彼女は真っ黒に変色していた。幼児に黒いクレヨンを扱わせたように、ぐるぐると雑な渦を巻いている。



 ……やっと、休憩ポイントに来たようだ。

 今度は極端に色が薄く、色鉛筆で塗られたような世界だった。どこかの船室のなか。ぼやけた海の波が、ぼやけた窓の奥で動いている。


 そこで、布で体を包むミヤビと「アビー」が机を隔てて話していた。ミヤビは死体のように色が悪く、顔もぼやけているものの、まだ死んではいない。

 アビーももちろん少し若い。あの下着にエプロンという際どい格好ではなく、しっかりと「作業服」を着ていた。この頃から彼女は魔法道具技師エンチャンターだったようだ。


 彼女は何かを縫っていた。



「……どうして、こんな私を助けたの?」


「捨てられた、人たちの、中で、あなただけ、が、『生きようと』してた、から」


「……?」


「アタシは、いろんなものが、視える、の。主に、魔力の動きと、痕跡、くらい、なんだけど……たまに、『オーラ』が視えることが、ある。それが、あなた」


「……何が目的、なの?」


「と、いうと?」


「私を助けた目的。それから、を、直す目的」


「……さぁ? どっちも、分からない、わ」


「……自尊心エゴ。私たちが、憐れだったから、でしょ? あんたは何にもできないから、まだ息のあった私を適当に選んで助けた。そうすることによって、労力を使わず、尚且つ自分の良心を満たせる。理由なんて適当に言えばいい」


「あなたが、そう言うのなら、そう、ね」


「……」



 なんだか邪険な雰囲気だった。

 だが、ここに悪魔はいないし、明るく暖かな光で溢れている。ミヤビが「良い記憶」として置いているということだ。

 敵対心を剥き出しにするミヤビに対して、アビーはやはり眠そうな顔で対応する。その声はどこまでも優しい。



「――だいたい、『直す』ってどうすんの? 私、まだ、それが元々何なのか説明してないし」


「言った、でしょ、視える、って。完全には、戻せない、かもしれない、けど」



 「それ」、それは青い布。ミヤビの上着の切れ端だ。

 さっきのミヤビの話から、どうやら彼女は用済みになり、どこかに捨てられたらしい。大方、海辺とかゴミ捨て場とか……。幻魔が魔物に食わせないくらいだから、相当汚れていたのだろう。息のあった、とかそんな話もしてたから、死体もいくつか混ざっていたはず。そんな絶望的な状況の中で生き延び、たった一つだけ握りしめていたのが、宝物の切れ端。


 アビーはそれを、直してくれた……それが今。


 だから、全く同じではないし、色も少しだけ褪せてしまっていた。だが、ミヤビはそれが嬉しかったんだろう。この記憶もまた、宝物としているのだから。



「それから、あなたには、『負の感情を魔力に変換する』能力が、ある、みたい」


「……じゃあ今は、魔力にまみれてるんだね」


「いいえ、あなたに貸した、その毛布。それに、魔力を抑える、魔法を、エンチャントした、の。しばらくすれば、『痛み』も、無くなる、わ」


「……能力とか、魔法とか、エンチャントとか、意味わかんない」


「お勉強、しましょ?」


「……生きるための?」


「ええ」





 ……それから、しばらく悪魔は襲ってこなかった。



 ミヤビは、ダラムクスの人と、最初は打ち解けなかったらしい。邪険な雰囲気をガンガン出して、他人を寄せ付けない。魔物に対して凶悪なトラウマを抱いた彼女は、敢えてそれを掻き消すために、乱れた性に走ったり、冒険者となって魔物を殺す選択をしたりした。

 これに関しては、俺は何とも言えない。彼女が楽しかったのならそれで良いと思うが……やはりどこか引っかかるものだ。


 ……明らかに世界は鮮明な姿を取り戻していった。同時に、ミヤビの大人しい性格が、だんだんと荒く大雑把に。


 だが、自分に正直な生き方になったと思う。

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