8-4

 調査隊は奮闘した。これが闘いと言えるかどうかは誰にも分からなかったが。ともかく、奴の攻撃は圧倒的で、かすることさえ許されなかった。肉弾戦ができるのはミヤビを除く金級四名、そしてギルドマスターであるブライトンのみ。特に銀級の二人、ニック、ジョンは傍観するほかなかった。



「くっそ、やっぱあの時帰っときゃよかった……」



 ニックが言う。死を間近で体験した彼の言葉には、一切の曇りがない。大男が恐怖で足をすくませる光景は異様であったが、ジョンは皮肉を言うことができなかった。なぜなら彼もまた、「帰りたい」と叫びたい気分だったからだ。



「――――あ」



 ジョンがその声を漏らしたとき、レオの右手の皮膚がそぎ落とされた。一瞬の出来事だった。レオはしっかりと拳鍔で防いだつもりだったが、やはり無意味だったようで、右手が残っているだけ幸運だったのだろう。皮膚のそぎ落とされたそれは、赤い肉が見え、薄っすらと骨も見える。ジョンは、鳥肌が全身に立っていくのを感じた。



「下がれ! レオ!!」


「まてよ、マスター! 俺はまだいけるって!!」


「無理だ!! 死なねぇうちに離れろ!」



 レオが好戦的な性格であることをブライトンは分かり切っていたが、それでもなお、怒鳴るように下がらせる。なぜなら彼もまた、焦り始めていたからだ。調査隊の人数を半分にしなければ、あの騎士相手に善戦していただろう。一対多数ならば、人数が多い方が圧倒的有利なのだ。だが、一つの魔物がこれほどまでの強さを誇ることなど予想できなかったため、今、全滅の危機が迫っている。そして、今この場の「命の責任」は彼が持っている。誰も死なせやしない、という半ば意地にも似た感情に襲われいるのだ。


 そして、一同は「妙な魔力」に気づき始めていた。

 ルーメンの魔力が、自分たちの体内に入り始めているのだ。そして、どことなくふわふわとする気分になり、まるで麻薬を撃ち込まれたかのような感じだった。



「マスター! 催眠系の魔法が!!」



 特別回復支援士ヒーラーの一人が叫んだ。ブライトンは苦虫をすりつぶしたような表情をして考え込むが、その焦りと「催眠」のせいか、上手く思考がまとまらない。





 ――――それどころか、この状況に、高揚感を覚え始めた。


 このまま皆死んでしまってもかまわないんじゃないか。どうせ、ダラムクスにとって大きな損害になるわけではないし、紅い月にもしっかり対抗できる。ここで抵抗するだけ、銀騎士様に迷惑なのではないか。それならば、殺されることを望み、神と一体となることのほうが、よっぽど有意義じゃないか。あぁ、大変なご迷惑をおかけしてしまった。早く償わなければ。





「な、なんだ。皆の動きが……」



 ニックが言う。傍観していた銀級二人組には、何が起こったのか分からなかった。アーリーンを含めた、戦っていた奴らが急に地面にへたり込み、奇妙な笑みを浮かべていることに。



「……や、やばくないか」


「やばいつったって、どうすんだよ!?」



 白銀の騎士は、ブライトンの首筋にその剣を当てた。



 ――――グオオオオオオ!!



 今度の咆哮はどこか、「笑っている」ような印象だった。もちろん、表情は甲冑のせいで見えなかったが、想像したくも無い。あれの中に入っているのは人間でなかったが、人間のような邪悪を感じた。



 ……マスターが殺される。

 そう感じた時に、ニックは足が動き始めていた。一直線に白銀騎士に走っていく。ジョンは何もできずに、彼が勇敢に走っていく後姿をただ眺めているしかなかった。



「やめろぉ!!」



 奴の胴体に、思いきり剣を叩きこむ。だが、やはり鎧は鎧で、金属音が大きく響いただけだった。奴は怯みもせず、ゆっくりとニックの方を振り向く。そして、

 強力な催眠波だった。「銀騎士」というものを崇め奉り、命と引き換えに極楽を得られる、そんな根も葉もない事を、ニックは頭の中に流し込まれる。



 ……だが、彼の心の傷は、それを拒む。

 家族を殺され、命を賭して戦うことを選んだことを思い出したのだ。


 何が極楽だ。何が銀騎士様だ。そんなものにすがったところで、あいつらが戻ってくるわけない。



「返してくれんなら、返してくれよ!!!!」



 催眠の中で、極楽に反発した。何度も何度もその剣を胴に打ち付けた。恐怖に塗られた勇気であったが、どちらかというと、「絶望」に似たものだった。すでにブライトンを守るという目的を忘れ、殺されかけている状況も忘れ、ただただ、嘆く。



 銀騎士様万歳。


 糞鎧野郎。


 神に跪け。


 魔物風情が。


 命を差し出せ。


 ああ、くれてやる。てめぇを殺すために。


 極楽へ導いてやる。


 ここが俺の極楽だ、邪魔するな。


 お前の望むものがすべてある。


 あるわけねぇだろ。


 すべての邪悪から解放される。


 邪悪はてめぇだ。


 さぁ、魂を神にささげよ。


 お前は神なんかじゃねぇ。



「――――突風ウェントス・インヴァル!!」



 ジョンの魔法により、ニックが吹き飛ばされ、騎士の剣が空を切る。彼は「あっぶね」と呟き、そして頭が真っ白になる。ニックを間一髪で助けたはいいが、そのあとなんて考えてるわけない。何も考えず、直感的に「お前の相手は俺だ!」と怒鳴っておいて、石を投げる。

 ――――ゴンという音が響き、騎士がゆっくりとこちらを向いた。


 ……やっべぇ。

 死ぬかもしれない。ごめん、皆。

 そんなことを考えながら、踵を返し、一目散に逃げる。足音を聞いてはいないが、奴がこちらを獲物として捉えたことがはっきりと分かった。光魔法の中に隠された殺意が、背中を突き刺してくる。



「くっそ……!」



 高い音と同時に、剣先がどこかへ飛んでいく。振り向きざまに奴の剣を受け止めたつもりだったが、まるで野菜を切るかのように、剣も切られてしまった。運よく攻撃は当たらなかったが、もしそのときは、剣と同じようなことになってしまうだろう。


 尚も、追撃は続く。ジョンもまた戦闘センスはある方で、なんとなく行動を読むことはできたが、攻撃の質が雑魚とは比べ物にならない。一度体制を崩せば即死、それに恐怖する間もないほど、彼は回避に集中する。銀級冒険者、それも、金級昇格へ近づいている男が、情けなく逃げ惑う。今この瞬間を生き残ることだけを考えて、それ以外は何も考えない。それが幸運だったのか、ジョンにも催眠が効かなかった。

 だが、とうとう姿勢を崩し、ついにトドメを刺されそうになる。



 ……俺って、カッコいいヒーローになれないんだな。やっぱり。



 殺されている最中、究極の緊張状態。こんな土壇場なのに、唐突にめんどくさくなって、なんだか悔しさでいっぱいになる。刃折れの剣を振り回したところで殺せないのと同じように、実力のない自分には何もできない。結局のところ、ここまで来れたのは、皆が連れて行ってくれたからであって、ジョンの実力など何も関係なかった。運だった。運は運でも悪運だが。



 冒険者たちが闘志なら、

 ニックは復讐で、

 ジョンは諦念だった。





 ――――そして、ミヤビは絶望だ。





 刹那、空気が変わった。

 さっきまで、穢れた希望で満ちていたこの二十階層が、誰かの死を悲しむかの如く、絶望の世界へと変わった。クリスタルの太陽のような輝かしい光が灰色に変わり、不穏な風が辺りに吹き、背の低い草どもはざわめき始める。魔物とすら呼べず、騎士の危険にも気づかない馬鹿な虫けらが、行き先を決めないままどこかへ逃げていく。


 ジョンは、その魔力の方へ視線を送る。そこには、戦闘開始直後から動きを止めていたミヤビがいた。彼女から風が吹いているらしく、その黒髪が揺れている。仮面をつけていて表情が見れないが、見たくないと本能的に思った。



「あ、ねご……?」



 ナイフを握るその手に、ただのクーリではない「何か」が集められていることが分かった。だが、ただそれだけだった。それ以外に何もわからない。何が起こっている? 何が起ころうとしている?

 そんなジョンをおいて、騎士はミヤビの方を向く。どうやらまた標的を変えたようだ。異常な存在と異常な存在のぶつかり合いが、今ここに……。

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