5-2
あいつは色んな人の恨みをその背に受けている。
死んでも当然の存在……なんだ。
だから、今から俺のすることは間違っていないはずだ。寧ろ、しなければならない。あの赤髪の奴を止め、雪が降り止むかもしれないというチャンスをのうのうと逃してしまった俺は、普通なら重罪だろう。早くケリをつける。それだけだ。
……なのにどうして、こんなにも足取りが重いのだろう。
「……あの雪を止める方法は?」
「僕を殺すしかない」
「他の方法は?」
「無いよ。僕が死ねば、あの雪は止まる。あの雪が止まれば、僕は死ぬ。そういう魔法……そういう約束だ」
機械的に、彼はそう答えた。どこかの虚無を眺めている。
寒い空間だ。気温的なものもあるが、どこか心の底から冷え切るような寒さがする。
「なぁ、モトユキ。無理して殺す必要な無いんじゃないか? 吾輩たちには何ら関係のない問題だろ? わざわざ首を突っ込んでなぜ苦しむ?」
「……ディアにとっちゃあ、そうなんだろうけど」
人間が殺されているという事実。それを止めなければ、という使命感。
だけど答えが出せないのは、俺がただ、サングイスを可哀想だと思っているだけ。
「あの魔法陣の中心に、心臓があるだろ? あれを潰せば……雪が止まる」
「もう抵抗はしないのか」
「しようとしても無駄だろ?」
皮肉交じりに、冷たくそう言い放った。
そろそろ本題に入ることにしよう。
なぜ、彼はこの雪を降らせていたのだろう。人間を殺したくなかったのに。
「死ぬ前に少し、思い出話を聞いてくれるかな」
俺が質問するよりも早く、彼は呟いた。
そしてぼそぼそと、記憶にある光景を言葉にし始めた。
☆
「……そして、僕はこの魔法を完成させたんだ」
重く、沈み込むように、彼の言葉が響いた。
「でもお前は、結局あいつらを殺さなかったじゃないか」
「分からないんだ。僕でも。人間なんて滅んでしまえばいいと思っているのに、顔を見たら気が引けるんだ。偽善者だね」
「……あぁ、そうだな」
本当は、
確かに、やっていることは偽善そのもの。だけど彼は、ずっとずっと心の奥底に「平和派」の意志を押し込めていたんだろう。
脳裏に浮かぶのは、今朝の出来事。サングイスの妹、氷の中にいる少女がゾンビのように動いていたこと。とても生命とは思えない、あの光景。
……それを彼に見せるべきだろうか?
俺は彼の妹、フェーリの前に立った。
手と下半身が氷漬けになって、上半身は空気中に出ている。彼に似た整った顔。長い銀の睫毛と髪の毛、白くて美しい肌、蝙蝠の翼……体中、顔中にある、縫合の跡。
「ディア、発動させて」
「良いのか? あれを見せて」
「……うん」
サングイスは今から何をやるのか、分かっていないようだった。
ディアがその魔法陣に手を触れ、魔力を流し込む。多大なるエネルギーが流し込まれ、ディアと魔法陣が紫色に淡く光り始める。
サングイスが百年集め続けても足りなかった魔力を、いとも簡単に満たした。
「うぅぅ……あぁぁぁぁ!」
呻き声が聞こえた。いや、これを「声」と言って良いものなのだろうか。
声帯に空気がぶち当たってるだけの、「現象」。今彼女が目を見開き、体を動かしているのも「現象」。電池を入れて動いている玩具みたいなもの。
見せないほうが、彼にとって幸せなのかもしれない。「生き返らせることが出来なかった」と悔いを残して死んで逝く。だけどそれは、逆に考えれば、彼は、自分が孤独に生きた百年を無駄ではないと感じることが出来るのだ。
答えを見せることにより、「
でも、人を殺してまで生き返ることを、フェーリは望んでいなかったはずだ。
「平和派」の意志を踏みにじり、人間を殺した罪。最愛の人を裏切った、最大の罪。
俺は恐る恐る、サングイスの方を振り向いた。
彼はどんな顔をしていて、どんな思いをしているだろうか。
全て酷なことだと、分かっていても。
「そっか」
優しい顔をして、微笑んでいた。
俺はそっと、彼の拘束を解く。すると彼は、フラフラと立ち上がって、歩み寄る。
撫でた。優しく、優しく。
「あああああ!」
目を限界まで見開いて、牙を剥きだしにして。
暴れて、苦しんで、もがいて。
ぎゅっ、と抱きしめる。
亡骸を魔力で動かしているに過ぎない、人形を。
「ううううぅぅぅ……」
不思議なことに、すっかりおとなしくなった。何か言葉を発するわけでもなく、感情も表に出すわけではないが、ただただ落ち着いた。
「僕は間違えたのか」
「……」
ディアが魔法陣を止め、フェーリの死体は再び無気力になる。
「僕はね、今でも人間は嫌いだ。死んで当然だと思っている。憎い。妹をこんな姿にされたんだから」
フェーリの目をそっと閉じて、くるりと振り向いた。その表情は、悲しみに満ちていた。
ただ、迷いはなかった。
一つ一つ言葉を絞るように、彼は。
「でも……僕は、吸血鬼として、
そして一瞬の間があって、その言葉を呟いた。
「なぁ、モトユキ。君は本当に、優しいね」
言葉の意味が分からなかった。
「そんなわけ、ねぇだろ……!! 今からお前を殺すんだぞ!?」
「分かってる」
消えてしまいそうな優しい声で、俺の言葉を受け入れた。
慈悲、ただそれだけ。
俺は「死の雪」の魔法陣の中心にある、氷漬けの心臓を手元に持ってくる。
これがこいつの心臓。潰せば、死ぬ。
「……さよならだ。墓は一緒にいれてやるよ」
「うん、頼むよ。バイバイ」
ぐしゃ。
たった今、一つの命が終わった。いや、終わらせた。
がっくりと首を垂れる、サングイス、「だったもの」。
嫌な感覚だ。でも、その感覚が薄くなってきたことに、もっと嫌な感覚を覚える。
気持ち悪い。自分が自分でなくなっていくような、そんな感覚。
しかし思い出せば、俺は姪の誘拐犯を殺しているんだ。
俺はそのとき「嫌な感覚」を覚えただろうか……?
絶対的な悪なら、死んで当然なのか?
絶対的な悪なら、殺してもいいのか?
「命」って……何なんだ?
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