3-1 「太陽の勇者」

 シューテル大陸唯一の国、ディオックス。


 過去の文明はすでに失われ、人々は細々と暮らしている。国中を覆うのは、大きな大きな結界。国民から魔力を少しづつ集めることによって、何とかその形を保っている。

 ディオックスが生まれたのはちょうど三百年前くらい。厄災を警戒し、国ごと大きな魔法陣にしてしまおうという大胆なプロジェクトが功を奏した。「紅い満月」にはその結界は耐えられず、様々なものが壊されてしまったが、しかし今はゆったりと復興しつつある。

 人々はずっと雪雲の下で生活してきたから、誰もかれも病的に白い肌だった。太陽の光を受けることが出来ないのだ。その上、今では太陽を見たことがないという人間も、数が多くなってきた。

 

 ディオックスにはたった一つだけ魔法大学がある。この学校の目的は、結界の改善や管理をする人材や、国の警備の為に戦闘に優れた人材を育てることだった。


 そして、もう一つ目的がある。

 「勇者」の選出だ。


 大厄災で技術も壊されてしまったが、残った技術を駆使し、遂に「死の雪」の原因を特定することが出来た。シューテルの東の魔力反応が、雪のそれとほぼ同じだったのだ。だが、雪を防げるマントは量産できる代物ではない。故により戦闘に優れた人物を選ぶ必要があり、それがいつしか人々の間で「勇者」と呼ばれるようになった。


 過去に何度か「勇者」が選ばれ、ディオックスの外へ出た。

 だが、誰一人として戻ってくることはなかった。



 ☆



 ギルバードはぼんやりと窓の外を眺めた。

 灰色の雲がある。無慈悲に黒雪が降ってきて、きらびやかな結界に触れては溶けて消える。


 彼の座っているベッドには、無造作に短剣が置かれている。といってもそれは特別な高級品ではなく、ただの鉄の剣。魔法学校に入学して、初めて購入したものがこれだった。これといって思い入れはない。確かに大事ではあるが、何か思い出が詰まっているのかと聞かれれば、何も答えられないだろう。それは彼が「学校生活」とやらに楽しさを見いだせなかったからだ。ただひたすらに肉体と技を鍛え続けたこの生活は、完全に喜びが無かったと言えば嘘であるが、しかしそのどれもが彼の凍てついた心を溶かすことは無かった。


 彼は、幼いころに見た夕日を思い出した。とても美しく、燃えるような赤色をしていた。

 それをもう一度見ることが出来る。そのチャンスが、間近に迫っている。



 今まさに、「勇者」が選出されようとしている。

 魔法学校内の約八百近いパーティの中から、たった四つだけ選ばれた者たちが「挑戦」することができる。校内戦で勝ち残ったパーティの中に、ギルバードもいた。しかも、彼のパーティは一位だ。才能も装備も兼ね備えた貴族を凌ぎ、断トツで成り上がった。


 勇者選出戦、それが今、行われている。

 内容はシンプルで、王国騎士に勝てば勇者として認められることになる。そうすれば、「死の雪」を完全に無効化するマントが手に入る。つまり、ディオックスの結界の外へと出られるのだ。


 王国騎士イングリッド。国王側近の騎士であり、常に白い甲冑に身を包んでいる。そのため、その知名度ながら素顔を知る者はいない。噂では、酷い火傷跡があるとか、実は醜いとか、美男子であるとか……。

 だが、それらはギルバードにとってどうでも良いことだった。


 ノック。コンコンと乾いた音が響き、ギルバードの返事を待たずして部屋の扉が開いた。

 入ってきたのは、ギルバードのであり、恋人でもあるローレルだった。ふわりと廊下の空気が入ってくると同時に、彼女の金髪が優しく揺れる。大きな青い瞳の奥には、ぼんやりとした表情の青年が映った。



「ギル、もうすぐ出番ですよ」


「……分かった」


「本当にジェイクさんたちの試合見なくてよかったんですか?」


「どうせあいつらは負ける。イングリッドさんに本気を出させることが出来ないから、見てたって無駄だ」


「結構いい試合でしたけれど……」


「『雷』は使ったの?」


「……かみなり?」



 ローレルが小首をかしげているから、きっと使っていなかったんだろう。それだけ確認すると、短剣を手に取り、そそくさと部屋から出る。ローレルはその後ろを歩く。ギルバードの髪の毛が鈍い光に当てられて、僅かに赤色に輝いた。


 剣を抜き、軽く投げる。白刃が空中でひらりと弧を描き、柄は見事に手の中へ。



「危ないですよ」


「……」



 ローレルの言葉を聞き流し、その剣を眺めた。所々に刃こぼれがあり、校内戦一位の実力者が持つにはふさわしくない。彼は少々格好付かないとは思ったが、そのままそれを鞘にしまった。



「なぜ新しいのを買わないのですか?」


「……何となく、だ」



 脳裏に浮かぶのは、夕日の記憶。

 それはとてもきれいだった。だが同時に、とても


 ギルバードはこの大陸で生まれてはいない。元々は、「雪」の降らない別の大陸からやってきた人間だ。彼の親が調査団をやっていて、彼もそれに憧れていた。それで五歳の時、こっそり船に乗り込んだのだ。

 それが間違いだった。


 非常に危険で対処法も見つからない黒い雪、「死の雪」が、このシューテルには降り続けていた。それは普通の素材なら容易に溶かし、人間が触れれば魔力が奪われる。船の上で応急処置の結界が張られたが、術者の魔力はどんどん奪われる。一人、また一人と死んで逝く事態に陥る。

 雪から逃れようと舵を切ったが、海が荒れていて、雪雲がある方へ吸い寄せられてしまう。それでも並行を保とうとするが、燃料がなくなり、船は動力を失ってしまった。帆を張ってみるが、思うような風は吹いてくれない。


 親に見つかった時は驚かれたが、ギルバードに構っている暇はなく、すぐさま結界への魔力供給へと向かっていた。


 二十四時間緊張状態が続き、死者もかなり出ていた。残っている船員は少なく、徐々に絶望の煙が船内に充満していった。それに、結界内とは言えど少しずつ魔力を奪われていくから、ギルバードも瀕死の状態だった。


 両親のハグのぬくもりを、彼は今でも覚えている。

 残った最後の魔力を彼に分け与え、干からびたように死んで逝った。


 生き残ったのはたった二人。船員であったとギルバードのみ。

 船が溶けて沈まないことを願いながら、結界が無くなった後も漂流し続けた。


 長い長い航海だった。時間的には難波してから三日くらいだったが。

 船が岸にぶつかった感覚がして、二人は外へ出た。イングリッドが最後の気力を振り絞り、小さな結界を展開し、ギルバードを背負った。



 ――――真っ赤な夕日だった。

 ほとんどがどんよりとした雲に覆われているが、水平線の先にそれが見えた。



 それから何時間彷徨ったかは分からない。イングリッドの背中で、必死に生きていたから。気付いたときにはディオックスに居た。そして、彼が父親として育ててくれた。


 この日まで積み重ねてきた努力は、すべては「復讐」のために。

 奴を、この「死の雪」の原因を、ぶっ殺すために。


 ぼんやりとした彼の表情は、いつの間にか真っ直ぐに前を見ていた。

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