49話 リチューン もう一度ほほえみを

 放課後の生徒がほぼ居なくなった教室に愛達三人が机をくっつけて話をしている。大抵この時間まで談笑を続ける者は話が盛り上がっていて明るい表情なものだが、三人の顔は暗い。


「で、結局まだ連絡取れてないんだ」


「うん、見てもいないみたい。家にも戻ってこないみたいだし……」


 里美に聞かれて愛がスマホの画面を見せる。表示されたチャットアプリには龍二を心配する愛の言葉が並ぶが、既読のマークは現れていない。


「色々ショックなのはわかるけどさ……居なくなるなんて極端だよね」


 力を使い続ければ自らの命がなくなる……それを知った龍二は愛達の前から姿を消していた。愛も家や知り合いなど可能性がある場所は虱潰しに探したが、その姿を未だ見つけてはいない。


「でも……いままでやってきたことが、逆に自分の命を脅かしていたってそう簡単に受け入れられるものじゃないのかも」


 七恵がつぶやく。龍二の気持ちを三人も理解できないわけではなかった。小さい頃からあった自らの身を守り、そして今は周りの人間を守るために使っていた力。それが今は自らの身に危害を加えるものになっていたショックは予想以上なのだろう。重々しく、安易に口を開く事を憚られるような雰囲気の中、あえて里美が口を開く。


「それで、今日も探すの? 案外裏山で修業とか言ってるかもよ」


「それがね、今日は虎白ちゃんが探してるって。ベルゼリアン同士の共鳴を起こせないかとかなんとかで」


「あの頭痛くなるってのか、できるのかな……」


 ベルゼリアン同士は近づくと共鳴を起こし、頭痛としてお互いの接近を知らせる。龍二はそれを利用しベルゼリアンを狩り続けると共に、幾度もの危機を回避してきた。虎白は龍二よりもその能力が弱いようだったが、ベルゼリアンである龍二を探すには、少しの可能性でも掛けてみるしか無かった。


「ホントにこのまま戻ってこないのかな、私も探しに行った方が……!」


「落ち着きなって、そんな軟な奴じゃないよ、龍二も」


「でも!」


 話しているうちにいても立ってもいられなくて、愛が椅子から立ち上がるも、里美によって止められた。


「い、今は待つしかないと思う。虎白ちゃんを信じよう?」


 それでも焦る愛を、七恵がそっと宥める。二人に止められては自分一人で何かするわけにはいかないと、愛は目に涙を溜めながらゆっくりと席についた。




 時を同じくして薄暗い路地裏。虎白は周囲を警戒しながらゆっくりと歩みを進めていた。愛達に言っていた龍二を探すと言うのは、半分本当でありながら半分は嘘だった。


 龍二を探す前に会う相手、それは敵であるベルゼリアン、ジャック。


「……随分予定より早いじゃないか。体の調子はどうかな?」


「頂いた薬のおかげで問題なく過ごせております……ですが、今日は量を増やしていただきたいのです」


 片足を地面につけ、虎白が跪く。敵であるジャックにここまで下手に出るのには理由があった。虎白はジャックから貰っている薬を飲まなければ、食人衝動を抑える事が出来ないのだ。


「ほう、今までの量では抑えられなくなっていたか……貴様の能力も成長していると言うことか」


 ジャックが舐め回すように虎白の体を見ていた。虎白にとって不愉快極まりないが、今はただ目的のために耐えるのみ。


「ええ、このままでは私が私を抑えきれなくなるのも時間の問題……どうかご慈悲を」


 いかにも弱っているかのような顔を見せて薬を懇願してみせる虎白。しかし、この表情は全て演技だ。薬が無くては生きていけない状況は変わってはいないが、その量が足りていない事はない。それなのに余分に薬を必要とする理由、それは龍二のためだった。


 あくまで虎白の推測でしかないが、この薬が人の因子を疑似的に取り込み食人衝動を抑えるものならば、因子を取り込めないから苦しむ龍二にも効果があるのではと思い立ったのだ。


「私としても君の成長は嬉しく思う……だが、今まで以上のものをタダでとはいかないな。それなりの代償を貰わねばならない」


「……それは、なんです?」


 勿体ぶりながら跪く虎白の頭上から見下すジャック。虎白も簡単に薬が手に入るなどと思ってはいなかった。むしろくれるとは言っているので思っていたよりあっさりだとすら感じていた。ただし、最終的な答えは要求される代償次第だが。


「地図に示された場所に来い。普通の人間なら入れない場所だが……我らが同胞ならば入れるはずだ」


 そう言うとジャックは一枚の地図を残して去っていき、虎白が一人残される。静かになった路地裏で、乱雑に残された地図を虎白が拾い上げた。


「……私、地図読めないんだけど」


 地図を見た瞬間、苦い顔をしながらポツリと独り言。何を隠そう、スマートフォンの地図アプリのおかげで多少は改善されてはいるが、虎白は完全なる方向音痴。彼女にとって紙に描かれた地図など何の目印にもならないのだ。




「はぁ……はぁ……着いた、ここでしょ!? もうここって言って……」


 道なき道を地図とにらめっこしながら満身創痍で虎白は歩いていた。最初は豊金の街を歩いていたのは良いが、次第に道は山道の方向へ向かっていく。結局ほぼ登山を強いられてやっと地図に描かれていた場所にたどり着いた。


 しかし、たどり着いても周りには何もなかった。木々が避けるかのように何も生えていない空間ではあるが、それ以外違和感はない。ジャックが待ち構えているわけでも無いようで、どうしたものかと虎白が思っていると、小さな地面の振動に気づく。


「これって、もしかして」


 振動と共に地面がせりあがってくる。普通なら驚くところだが、虎白にはその様子に見おぼえがあった。いつも放課後に愛達と集まる豊金高校裏山の研究所、その入り口と似ている。いや、全く同じシステムだ。


「この中入れってことか……」


 せりあがった先にあったのはやはりエレベーター。先輩たちの話によれば、カードキーとベルゼリアンだけが起動できるらしい。同胞ならば入れるというのはこの事か。既視感に包まれながら虎白はその中に入っていった。


 小さな駆動音を鳴らしながら、エレベーターはゆっくりと地下に進んでいく。裏山の研究所よりも恐らくはるかに深い所まで降りていくと、静かに扉が開いた。


「ようこそ我がラボへ。ずいぶん遅かったではないか」


「申し訳ないです。少々手間取りました」


 虎白が普段の少し攻撃的な雰囲気を消して、あくまで今は従順を装う。ここで何をするかまだわからないが、今は薬を手に入れるのが最優先だ。


「こちらだ。ついてこい」


 指示された通りに薄暗い廊下をジャックの後を追って歩いていく。愛達が掃除をしていた裏山の研究所とは違い内装は似ていてもこの研究所は埃臭さを感じるほどに汚かった。


「ここだ。そのまま台の上に横になれ」


 突き当りにある部屋の扉を開け、中央にある人一人が横になれる程の診察台を指差すジャック。台の周りには何に使うのか全く予想できないような機械が所狭しと並んでいる。無理矢理表現するならば、余りにも物騒な手術室としか感想が出てこない。


「……また私の体でも弄る気なの」


「フッ……それほど生易しいものではないがな」


 従順に従う振りをしていた虎白が嫌悪感を漏らしながら台の上に乗る。それを見るとジャックは虎白に聞こえるか聞こえないかの声で笑いながら隣の部屋に移っていった。


「――ッ! 眩しっ――」


 言われるままに仰向けになって台に乗っていた虎白の目に激しい光が入ってくる。手で眼前を遮って光から逃れようとするが、腕が動かせないことに気づく。知らない内に四肢が拘束されていたのだ。


「悪趣味にもほどがある……」


「何を言う、これは慈悲だよ。暴れてしまうと命の保証も出来ないのでね」


 天井にある小さなスピーカーからジャックの声が聞こえてくる。隣の部屋は虎白の居る部屋の機器を動かすための部屋らしく、今はマイク越しに話しかけているのだろう。本当に動けないのかと手足を動かしてみると、チャリンと聞こえる金属音。脱出したところでどうなるわけでも無いが、虎白は命の保証がないと言うのが気になって仕方がなかった。これから自分が何をされるのか、悪趣味な男の趣味など想像も出来ない。いつ何をされても良いように歯は食いしばり、視線を斜めに逸らして光を直視しないようにする。準備していたのは正解だったようで、何の合図もなくその時は訪れた。


「グアァッッ――――!」


 腹の中から全てを吐き出すような、苦痛に満ちた虎白の叫び声が部屋を満たす。刃物か? 鈍器か? それともレーザーや電撃の類だろうか。常識の域を超えた痛みはその判別を許さない。そこにあるのは一度止まってからも血でできたシミのように広がる痛み、痛み、痛み。


「何を……してるの――」


 悲鳴で肺の中の空気をすべて使ったせいで、擦れた声を出しながら虎白がガラス越しのジャックを睨みつける。


「感謝したまえ、普通ならば即死だよ。この苦痛に耐えられてしまう体こそが、貴様自身が人を超えた証拠だ」


「そんなことを聞きたいんじゃない! 今あんたは、私に何をしているの!」


 歯を食いしばりすぎたせいで口からは血が流れてきた。叫べばそれは唾と一緒になって部屋の床を赤く汚していく。もう従う演技もしている余裕はなく、むしろこの状況で従順なほうが怪しまれてしまうだろう。


「再調整だ。貴様の成長に体が追い付いていないのだよ……だから作り直す。より強靭な力を持ち、より人から遠い存在へとな」


「人から……遠い――ガアァァッッ!!」


 虎白の返答を聞く前に調整は再開される。華奢なその見た目からは想像も出来ないような、低く腹の底から湧き出るような悲鳴が喉を切り裂きながら血と共に出てくる。だがそんなことは虎白にとって些細なことだった。


 人から遠い存在に、自分が更になっていく。その絶望が虎白の頭の中を支配していた。龍二達と協力しているのも、笑顔が気持ち悪くてやる事全てが胸糞悪いこの男を殴る事すらせず従う振りをしていたのも。全てもう一度普通の人間に戻るためのはずだったのに……真逆に自分は人間から遠ざかっていく。痛みからではない、その悲しみから頬に初めて涙が伝った。




 始まってから何分経っただろうか。痛みに溺れた感覚で正確な経過時間などわかるはずもなく、ただただ無心になろうと叫ぶ事を諦めてずいぶん経ってから、調整は終わった。


「終わりだ。君の力は次の段階に進んだ。この力でベルゼリアンを倒し続けるがいい。表向きは……な」


 四肢の動きを制限していた拘束も同時に解ける。しかし腕を動かす気力も体力も今の虎白には残されていなかった。苦痛と屈辱の限りを受けたのにも関わらず、何もできない自分が虎白は憎かった。


 コツコツと靴が無機質な床に当たる音が聞こえてくる。隣の部屋からジャックが戻ってくるようだ。情けない姿をこれ以上見せるものかと虎白が台から降りようとする。しかし足元がふらついてうまく立てず、床に膝をついてしまった。偶然とはいえ、ジャックを情けなく見上げるような体勢になり腹が立ってきた。やっとの思いで自分の体を見渡してみるともがいたせいで多少乱れてはいるものの、服が破れて居たりはしない。調整とは物理的な手術や人体改造ではないようだった。逆にそれが得体の知れなさをこちらに与えてくるようで嫌になる。それでも未だに痛みが残る喉を無理矢理使って声を出した。


「……約束は守って」


「わかっている。望み通り増量しておいた。人から離れたと言えどこれさえあればまだ獣にはならんさ。そう、これさえあればな……」


 空腹の動物に餌を与えるかのようにぞんざいな扱いで、小瓶に入った薬を投げ与える。転がる小瓶を虎白が追いかけると、ふと自分が今までの痛みがまるでなかったかのように歩いているのに気づく。痛みももう記憶の中にしか残っていない。


「これが次の段階、か」


 自らの回復力の驚異的な上昇。調整の結果がこれほどまでに分かりやすく表れたことに可笑しさすら覚えてくる。本当に自分は『普通』から遠い所まで来てしまったのだと嫌でも感じさせられながら、薬の入った小瓶をポケットにしまい込んだ。


「それが切れた頃に来ると良い。君の限界は、まだ先にある」


 そう言ってジャックは背を向けて去っていく。その背中を虎白は見つめるしかできなかった。


「また、よろしくお願いします」


 言葉だけは従順な振りをもう一度する。しかし本心では憎しみの刃を今まで以上に研ぎ澄ます。自分にここまでの苦しみを与えた事を後悔させてやる。お前が強化したその怪物の力は、いつかその喉を描き切るのだと心の中で誓いながら。

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