32話 フライハイ 伏せられたジョーカー

「私の体を殺したお前を! 同じ目に合わしてやる!」


 ついに見つけた朱里をサイボーグにおいやった因縁の仇、ジャック。そのジャックに向けて無我夢中で朱里が攻撃を仕掛けるも、あっさりと回避されてしまう。


「こいつが、お父様を……?」


 事件の日に、気づいた時にはすべてが終わっていた咲姫には、ジャックの顔を見たことがなかった。あの日起こった人智を超えた惨劇、それを怪しい雰囲気を纏っているとはいえ、ただの人間にしか見えないこの男が起こしたなど信じられない。


「あなたがベルゼリアンだというのなら、なぜ姿を変えないの!?」


 姿が人間と言えど、朱里の攻撃をあしらい続けるその身体能力は人間の領域を超えている。


「ふん、姿形でしか相手の力を測れないとは、浅はかにもほどがあるな。俺は今の姿で、十二分に貴様たちを凌駕する」


 ただ朱里の攻撃を避けるだけだったジャックが遂に反撃に移る。一直線に立ち向かってくる朱里の攻撃を回避して、体勢が崩れたところをナイフの柄で打ち、その場に倒れ込ませた。


「下級のそこらの虫や動物にしかなれん奴らとは違う。俺達知能を持ったベルゼリアンは、たとえ架空であろうとも、見聞きし知り得た全ての物を模倣して自らの能力とする。俺の能力は一八世紀にイギリスを恐怖のどん底に陥れた恐怖の連続殺人鬼! ジャックザリッパーの力を宿しているのだよ!」


 今度は柄ではない。手のひらの中でナイフを一回転させ、逆手に持ったジャック。その刃はサイボーグ化された朱里の、数少ない生身の部分、急所である心臓へ確実に狙いがつけられていた。


 殺される。二年前に味わったあの感覚を鮮明に覚えていた。あの時もそうだった、ナイフを逆手に持って、悦に入った顔で人を刺すことこそが最大の喜びのように殺す。あの時と違って二度目の奇跡などあるはずがないと、自分自身の復讐すら遂げられない事を悔やみながら目を閉じた。次に聞こえたのは鉄とプラスチックで作られた人工の皮膚を切り裂く音――ではなかった。


「警察官職務執行法第7条。人に対する防護に必要な時は武器を使用することができる。たとえ君が人の姿をしていても、容赦なく発砲するよ」


 耳を劈くようなピストルの音、それと共に放たれた銃弾が撃ち貫いたのは、ピンポイントに朱里の命を刈り取ろうとしたナイフの切っ先。宗玄が朱里の命を守ったのだ。


「ほう、仕事以外で男を殺すのは主義ではないが……楽しみを邪魔されたとなれば無視をするわけにもいかんな!」


 弾かれたナイフを気にもせず懐から新たなナイフを取り出して宗玄に襲い掛かる。その間に三発の発砲。だがそのどれも相手の体に掠りともしない、俊敏な動きで銃弾を回避したジャックが狙ったのは、首元にある、玄武のヘルメットとスーツの僅かな隙間。その小さな弱点を瞬時に見切ったジャックが遂に、拳銃では対処できないほどの至近距離に近づいた。後はナイフを狙った場所に刺せば警察の虎の子である玄武に止めが刺せる、はずだったのだが。


「小癪な真似を!」


 振り下ろすはずの腕に突然の脱力感と痺れ。その正体は宗玄が拳銃を持っていた右手とは逆、左手に隠し持っていたスタンロッドがジャックの腕に押し付けられていたのだ。


「無策で接近を許すわけないだろう、ここで確保させてもらう!」


 その場に倒れこんだジャックに手錠をかけようとする宗玄。観念したかに思えたが、下に向けて隠した顔には明らかに余裕の笑みが浮かんでいた。


「手札を隠し持っているのは貴様だけではないのだよ!」


 そう言うと、倒れたままで足払いを宗玄に叩き込む。まともに食らってしまったものの、ただの蹴りなら問題は無い、はずだったのだが。


「仕込みナイフ!? 足が死んだのか!」


 宗玄の両足が泥の沼に嵌まったかのように重くなる。瞬時に玄武の全身に血管のように張り巡らされたエネルギーラインが切断されたのだとヘルメットの中に表示されているモニターで理解した。エネルギーラインも弱点とはいえ硬い装甲に包まれている。可動の為に僅かな隙間があるが狙って傷つけられるものではない。だがこの男にはそんな楽観視は通用しないのだと思い知らされる。


「さて、時間稼ぎは終わりだ。そろそろメインステージを観覧させてもらおうか。次に切られる札は……ジョーカー、らしいからな」


「待て、動くんじゃない!」


 エネルギーの供給が切れた両足を予備のバッテリーでの駆動に切り替え、銃口を向ける。だがそれを気にも留めずにタワーの中に入っていくジャック。タワーの中に未だに溢れる眷属たちは海が割れるかのように彼だけを通す。追おうとしてもできない朱里と宗玄の目に映ったのはエレベーターの中に消えていったジャックだった。


「この恨み晴らさずに、逃がして堪るものかぁ!」


 体への負荷を一切考慮していない、ブーストでの超加速。これでエレベーターよりも早く上昇し、先回りする。この出力なら確実にそれができるはずなのだが、下から引っ張るような感覚に襲われ、スピードが思うように上がらない。ふと足元を見てみると、細いワイヤーが足に絡まり、その先には玄武がぶら下がっていた。


「貴様! 邪魔をするつもりか!」


絡まった足を上下左右に動かしてなんとか振り落とそうとする朱里。長いワイヤーの先には少しの揺れも大きく伝わり、空中を舞うように玄武が揺れる。


「おっと、やめたほうがいいんじゃないかな!僕は大丈夫でも彼女が危ない!」


 よく見てみると、誰かが宗玄の足を鷲掴みして捕まっているのがわかる。あの状況でそれができる人物はおそらく一人。


「しゅっ……ゴホン。朱雀ー! 私を置いて行くとは何事ですのー!?」


 目の前の敵の事だけを考えていて朱里はあろう事か自分が仕える咲姫の存在が頭から消えていた。従者としてはあるまじき事だ。


「これじゃ僕を振り落とせばこのレディーも真っ逆さまだ! 君と違って生身のようだけど大丈夫なのかな!」


 少し前、ジャックが現れた時にも咲姫は空中から落下していたが、あれは朱里がクッションの役割を果たしていたから無事だったのだ。今回もそうなるという保証はない。


「チッ、警察官がまるで人質を取るような真似を! それで良いのか!」


「仕方がないだろう勝手についてきてしまったのだから! 素直にスカイタワーデートとでも洒落込もうじゃないか!」


 二人が言い争いをしていると、離れたところにいる朱里に聞こえるようになるべく大きな声で、しかしどこか弱々しい声が下から聞こえてきた。


「ちょっと、仲良くしてくださいましー! 私、もうげんか……うっぷ」


「お嬢様!? 耐えてください、ゆっくり上昇しますから!」


 頰を膨らませ、口を手で塞いでいるとなれば、どのような危機に見舞われているのかは確実だ。従者として主人にそのような品のかけらもない行為をさせるわけにはいかない。結局想定より大幅に減速して、三人はスカイタワーの頂上を目指すこととなる。

 

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