第11話 初めからボクっ娘は出す予定でした

月曜日。三時間目の授業が終わり、昼休み。俺は屋上で寝転び、空に漂う雲を眺めながら、まどろんでいる。

 慢性的に寝不足なので、昼時に眠くなるのは仕方がない。

 七条高校の屋上は本来、生徒に向けて解放されていない。唯一、屋上に立ち入ることが許される生徒は、気象同好会の部員。


 俺は一応、気象同好会の一員だ。

 部員、二人しか居ないけどな!


 屋上で昼寝したいから入ってる訳じゃないんだぞ? 今だってほら、寝転がりながら、空の雲を観察しているだろうが。


「ふああ~あ」

 今日の空は嘘みたいに鮮やかな青色。大きな欠伸を一つすると妙に達成感を覚えた。中学生の時に習った石川啄木の和歌をふと、思い出す。空に吸われし十五の心とはこのような状況を詠んだのだろうか。


「少し寝るか·····」

 まだ休み時間が終わるまで、三十分はある。ちょっとぐらい寝ても大丈夫だろう。

 腕を枕にして、目をつぶった。朝から陽が当るコンクリートはポカポカと暖かく、睡眠には最適の環境を提供する。雀の鳴き声も睡眠導入音になる。

 目をつぶっていても、まぶた越しに薄日を感じる。極楽極楽。


「ガチャ」


 校舎から屋上に上がる、たった一つの扉が開けられた。

 もう一人の気象同好会の部員、骨川 武だろうか? あいつもたまに屋上に来て、俺とだべりながらご飯を食べたりする。

 今日は眠いからパスだな·····


 屋上に上がって来た人物の足音は、寝転がる俺の方に向かって来る。俺の頭の傍まで来て、立ち止まった。


「骨川。悪いけど今日は俺眠いから。一人でご飯食べといて」

 俺の発言に対する反応がない。いや、正確には反応はあった。少し立ち位置を変えたようで、まぶた越しに感じていた薄日が感じられなくなる。

 俺の頭を跨いで立っているのか?

 骨川も変な遊びを覚えたもんだ。眠いけど、相手してやるか。


 俺は目を開く。

 ん?

 自分の目前に広がる光景が理解出来ず、再び目を閉じる。

 そして、もう一度ゆっくりと開ける。

 けれども、その光景は変わらない。俺の目の前に広がるそれは、童貞男子が拝みたくてやまない、聖域。

 スカートの中だ。水玉模様の水色の紐パンツが、視界の頂点に君臨しており、左右には生足がモロに見える。


「つおっ!!!」

 できる限りの速度で転がり、俺はスカートの真下から逃れた。アスファルトだから、転がると背中がめちゃくちゃ痛い!!


「イテテ····」

 家に湿布のストックあったかな·····

 よくも俺の腰をっ!

 こんな事をする奴は、この高校には一人しか居ない。篠·····


「君が貴一? 探したよ」


 塚じゃ無いだと?!


 声が違う。俺は腰と背中の痛みを耐えながら、立ち上がる。そして、篠塚ではない、女子生徒を観察する。背は俺よりかなり低いので、145㎝ぐらい。髪は男でも居そうな長さ。黒髪が日光を反射してきらめく。そして、つむじにはバナナみたいな形をしたアホ毛。

 それでピンときた。


「君は、真代ちゃんの妹?」

 俺の推測が正しいとしたら、今目の前にいる黒髪ショートヘアの少女は、俺の担任、真代ちゃんの妹であるはずだ。


「そうそう。ぼくは東條とうじょうれい。真代の妹だよ。君は貴一で間違いないね?」


「うん。真代ちゃんから話を聞いて、来てくれたんだよな」


「そうだよ。多分屋上で寝ているだろうから、屋上に行けば会えるって言われてね」

 俺は日和に予め作る友達に当てがあると言った。それがこの子だ。真代ちゃんが「君たちより一つ年下の妹が居てねー。今年からこの高校に入るのだよー」と言っているのを憶えていたのだ。

 それで、今日の朝一に真代ちゃんに事情を説明すると、「分かったのだよー。妹には私から伝えておくよー」との事だった。真代ちゃんはきちんと伝えてくれたらしい。

 零に会うのは、これが初めてだ。


「で、ぼくに用事って何?」

 零は髪を右手でかき上げながら続ける。


「告白·····だよね? 申し訳ないけど·····」

 うつむき加減にそう言った。

  俺はつい、吹いてしまう。


「そんなわけあるか。俺はお前みたいな色々とちっちゃい年下に興味などない」


「ん? 聞き捨てならないですね。いろいろちっちゃいとは?」

 零は首をひねる。


「そりゃまあ、率直に言うと、背とか胸とか」


「あ! 禁句を言ってしまいましたね。ぼくが一番、気にしていることを」

 零は両手で胸を覆う。

 その胸は真代ちゃんより二回りほど小さく、鎖骨から腰までこれと言った凹凸がない。

 クラスの太ってる男子の方が胸大きいな、こりゃ。


「そんな失礼な事を言う人の用事なんて、どうでもいいかな」

 零は踵を返そうとする。


「用事があるって言われ、告白されると思ってた自意識過剰なお前よりはマシだと思うんだが」


「じ、自意識過剰とかじゃないですからっ! ぼくは中学校では結構モテてたんですよ?」

 ちょっと跳ねて、アホ毛が揺れる。

 顔は真代ちゃんに似て綺麗だけど·····


「嘘つくなよ」


「嘘なんかじゃないんですから! 本当にモテてたんですよ。一日で五人に告白された事もありますよ」


「へー。ソレハスゴイナ」


「絶対ぼくの言うこと、信じてないですよね?」


「シンジテルヨ」


「じゃあなんで、棒読みなんですか」


「気のせいでしょ」


「フッ。まあ、見てて下さい。時期にぼくに告りたくてたまらなくなりますから!」

 ビシッと右手の人差し指で俺を指す。興奮で頬が少し赤らんでいる。

 話を元に戻さないと·····。


「そんな事はどうでもいいけどさ、ちょっと俺に協力してくれないか?」


「協力? 残念だけどぼくは君の童貞卒業に協力は出来ないのだよ?」

 哀れむような目で言う。


「誰がお前にそんなこと頼むか俺には·····」


「俺には? 恋人が誰か居るんですか?」

 無意識に口から出た「俺には·····」。その後に誰を入れようとしたのか自分でも分からない。

 現在、恋愛対象として見ている女の子は居ないはずなんだけど·····。


「いや、誰もいない」


「へー。そうなんですか。勉強になります」


「何の勉強になるんだよ」


「ぼくにも色々あるんですよ」


「色々·····か」

 それが何かは分からない。昼休みもそろそろ終わりそうだし本題に入らなければいけない。


「頼みたいことってのは、実はさ·····」

 俺は日和の不登校問題について説明した。それで、君に予め日和と友達になって欲しいんだと。


「フーン。そういう事か。ぼくがその子と先に友達になればいいんですね?」


「ああ。頼む。この通りだ」

 頭を下げる。これも日和の為だ。


 零は少しだけ考えたが、すぐに口を開き、

「ま、いいですよ」


「本当に?」


「はい。ぼくが力になってあげましょう」


「そうか·····ありがとう」

 安心すると、お腹がぐうっと鳴ってしまった。俺は昼ご飯を食べていない。というか、弁当を忘れたから食べられない。


 俺の腹の虫の鳴き声を聞いて零は、

「どうしましたか? ご飯食べてないんですか?」


「食べていない。食べようにも弁当を忘れて·····食欲を睡眠欲で抑え込もうと寝ていたらお前が来たわけだ。ま、こんな日もあるさ」


「弁当を忘れた? それはいけませんね。ちょっと待っててください!」

 そう言って、零は校舎内に降りる扉に向かい、走る。


「気を利かせて、学食とか買ってこなくていいからな! 後輩をパシリに使いたくなんてない。そのまま教室に戻れ」


「黙ってて下さい!」

 アホ毛が後ろに倒れるほどのスピードで走って、零は扉を開けて、走り去る。


「おい」

 そう俺が言った時には、もう扉は音を立て、閉まっていた。


 一分程で零は戻ってきた。

 その手には、風呂敷で包まれた直方体。それを高く掲げて、

「これを食べればいいです。ぼくの手作りです」


「え? それはお前の弁当じゃないのか?」


「そうですけど、ぼくは、いらないのであげます」


「いいって。それはお前が自分のために作ったものだろ。お前もまだ昼めし食ってないんだろ」


「ぼくはいいです。君が食べるべきです」


「大丈夫だよ」


「黙って受け取ってください!」

 零が俺に弁当を押し付ける。そこまでして、俺に食わせる意味はあるのか? 理解できないけど、これ以上断り続けても、同じやり取りがリフレインするだけだ。

 しょうがないか·····


「そこまで言うならいただく。ただし、一緒に食べよう。な?」


「ぼくは食べなくて良いのですけど·····」


「ちゃんと昼飯は食べないと、真代ちゃんみたいに胸は大きくならないぞ?」


「う、うるさい! でも、そ、そうかも知れないですね。一緒に食べてあげないことも無きにしもあらずと言いますか」


「だろ? 背も伸びるぞ」

 俺はフェンスぎわに腰をおろす。零も隣に座る。どんな弁当なんだろう。俺も、料理をする人間だから他人の料理には興味がある。

 ワクワクしながらも、風呂敷を開けると、アルミで作られたシンプルなタイプの弁当箱が現れる。昔、おじいちゃんが使っていた弁当に似ている。二段弁当みたいなギミックは一切なく、ただの長方形の直方体。でもここには単一表現の美しさのようなものがあって·····そんな事を感じつつ弁当箱を開ける。


「な、なんだこりゃ!」


「どうしたんですか? ぼくの作った料理を見て驚くことなんて·····」


「どうしたって、お前、この弁当を見て何も思わないのか?」

  弁当の中には、ご飯らしきものと、生姜焼きらしきものと、プチトマトと梅干が入っていた。ご飯と生姜焼きは完全に炭化しており、プチトマトと梅干だけが、かろうじて原型をとどめている。しかし、その生き残りたちも、焦げ目がついていた。

 なぜ、プチトマトと梅干を焼いている·····?


「いたって普通の弁当でしょ?」


「ご飯が黒焦げになってる弁当の、どこが普通なんだ?」


「それぐらいおこげがあるほうが美味しいんですよ。お姉ちゃんも言ってました」

 真代ちゃんのせいだったか。あの人、数学はめちゃくちゃできるのに、味覚は狂っているんだな。


「真代ちゃんも料理はするのか?」


「しますが·····ぼくのほうが料理は得意なので」

 これより下手くそって·····銀魂の某姉キャラすら凌駕しているのでは?


「お前、お母さんは料理しないのか?」

 普通、親なら子供にこんなご飯食べさせない。


「ぼくは、お姉ちゃんと二人暮らしですよ。実家は田舎にあり、七条高校には通うことができないので、近くに住むお姉ちゃんの家に住んでるんです」

 姉妹そろって、料理を見る目が狂っているのに、それを矯正する人が居ないだと·····?

 もしかして、零がチビなのは、この料理が原因なのでは·····。


 黒焦げ弁当を見つめるだけで、一向に料理に手を付けない俺を見て、零は、

「食べないんですか? チャイム鳴っちゃいますよ?」

 これを食べろと? お腹壊すぞ。でも、零は好意で俺に食べさせようとしているのだし、食べないというわけにもいかない。ここで零と仲良くなれなかったら、日和と零を友達にすることもできない。


「えっとだな。一緒に食べるんだから、どっちが何を食べるか決めよう」


「それもそうですね。ジャンケンでいいですか? 勝った人が希望の品を選ぶことができるようにしましょう」


「そうしよう」

 何があっても勝つ‼ 下痢にはなりたくない! 食べるとしたら、少し焦げたプチトマトと梅干しかねえ‼


「「最初はぐージャンケン·····ポン」」

 あれ?

「「ジャンケンポン」」

 ん?

「「ジャンケンポン」」

 あああああああああああ!!


 神様は俺のことが嫌いみたいだ。俺が食べるのは黒焦げのご飯と生姜焼きらしきものになってしまった。


 震える手で、箸を持ち、呼吸を整える。大丈夫。死にはしない。多分。


「うおおおおおおおおおおおおお!!!!」

 気迫の声と共に俺はご飯と生姜焼きをかき込む。


「じゃりっ」

 食べ物からするはずのない音が、歯を通して耳に伝わる。苦いっ! 


「じゃりぼりじゃりぼりじゃり·····うぷっ。じゃりじゃり、ゴクンっ」

 何とか胃に流し込んだ。口の中にじゃりじゃりした粒が残ってしまった。


「どうですか? 美味しいですか? 美味いですか?」

 選択肢がおかしい。ジャイアンシチューを食べさせられた彼らもこんな気持ちだったろう。


「率直に言うとな·····美味いとか不味いとか以前に、これは料理と言って良いものなのだろうか」


「不味かったですか? ぼくの料理が美味しくないだなんて、君は舌がおかしいですね」

 お前と姉がおかしいんだよ。

 フフッと笑いながら、プチプチトマトを食べる零が恨めしい。それを食べたかった。


「お前、今週末空いてるか?」


「デートのお誘いですか?」


「そんなわけあるか。俺の家に来てくれ」

 梅干を食べようとする手がピタリと止まり、零の顔がみるみる紅潮していく。

  恥じらう処女みたいな顔になって、

「あの、その、いきなり家にお邪魔するなんて·····しかるべき手順を踏んでからそういう事は·····」


「お前、何か勘違いしてるだろ。家に来いって言ってんのは、やましい目的じゃない。日和に会ってもらいたいからだ」


「そ、そうですよねっ。そうだと思っていましたよ。ははっ」

 零が顔を手で覆う。


「予定入ってるか?」


「えっと·····今週は、土曜日なら空いてますね。はい」

 指の隙間から、こちらを見てそう言う。


「よし。じゃあ、その日に俺の家で日和と一緒に遊ぼう。俺の家の最寄り駅は四条駅だから、土曜日の午後三時ぐらいに四条駅に来てくれるか?」


「まあ、いいですけど·····あっ、そうだ。ライン交換しときましょ?」

 零が自分のスマホをポケットから取り出し、友達追加のQRコードを表示して俺によこす。


「そうだな。連絡付くほうが便利だし」

 自分のスマホを取り出して、ラインを開き、零を追加した。零は「へへっ」と笑う。こいつ、なんで嬉しそうにしているんだろう?


「キーンコーンカーンコーン」


 チャイムが鳴る。もうそんな時間になっていたか。


「やべっ。早く教室に帰るぞっ」


「そうですね」

 俺は教室に向かい、全速力で走る。後ろからは零の走る音がついてくる。

 時間内に教室に戻れるはずもなく、結局先生に怒られた。

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