第9話 デート後半戦
それは、遠い過去の記憶。
俺は父と兄と共に遊園地に行き、ジェットコースターという物に初めて乗った。
遊園地に行こうと言ったのは俺だったと思う。
遊園地に行くのは、それが初めての事だったので、遊園地の花形と言えるジェットコースターなる乗り物に少なからず興味を持っていた。
真っ先に「ジェットコースターに乗ろう!」と、父らを乗り場まで引っ張った。
これに乗れば、風になれる。そう、幼心に信じていた。
しかし、それは大きな誤算だった。
実際に乗ってみると、とんでもない乗り物だ。
初めの滑降まで、ゆっくりと焦らすように、ジェットコースターはガタガタと音を立てながら斜面を登る。
そして滑空を始める瞬間に体がふわりと浮く。
その浮遊感が恐怖以外の何ものでもなかった。結局風には成れず、トラウマを作っただけだった。
それきり、ジェットコースターなる脅威的な乗り物がある遊園地には近づこうとも思わなくなった。
しかし、今、俺はあろう事か、そのジェットコースターに乗るために、順番待ちの列にならんでいる。
「楽しみなのですっ。ジェットコースター」
俺の横で一緒に並んでいる日和が目を輝かせ、そう言った。
その瞳は、レールの上を高速で走るジェットコースターを捉えて離さない。
「そ、そうか·····」
俺の声は、もう既に恐怖から来る震えを含んでいる。
「昨日、下調べに祇園パークにあるアトラクションとかのクチコミを調べたのですけど、このジェットコースターが一番人気らしいのですっ」
「へ、へー。そんなに人気なのか。キチガイどもめ·····」
「何か言いましたか?」
「いいや」
何が楽しくて自ら恐怖を求めるんだ?
しかも、自分で金を払ってだぞ?
皆、ドMなのか?
正直、絶対に乗りたくない。
でも今日は日和が学校に行けるようになる為に来たし、日和の望みには全て答えてやりたい。
「はあ·····」
深く、深く、深呼吸をする。
男になる時だ。貴一。
「はいっ。次はここのお客様までお乗りになって下さい!」
クルーが指定した客の中に俺達も入っている。
乗り場に停車したジェットコースターに乗り込む。
このジェットコースターは、進行方向に向いた二人がけの座席が、先頭から並んでいるタイプのもの。
俺たちの座席は一番先頭だった。
日和が俺の横に座った。
俺は空をじっと見つめて、瞑想している。
心頭滅却すれば火もまた涼し。多分。
その様子を見て日和が、
「お兄ちゃん。さっきからどうしたんですか? ずっと震えてますけど?」
「ふ、ふ、震えてなんかないしっ。ひ、日和の気のせいだしっ」
「そう言う声も震えているのですが? もしかして怖いのですか?」
「怖くなんて·····ないし」
怖いよお!!!!! 乗りたくないよお!!!
でも、もう乗ってしまっているので、どうすることも出来ない。
安全バーも降ろされてしまった。
子犬のごとく震え続ける俺。自分でも血の気が引いているのが分かる。
「もう·····。苦手なのならそう言えば良いのですよっ。日和が楽しくても、お兄ちゃんが怖い思いしてたら楽しくないのですっ。お兄ちゃんのばかっ」
膨れっ面で日和が言った。
「いや、俺も男だ·····。男には引けない時ってのがある。それが今だ·····!」
顔面蒼白の男が震えた声で言っても、何の重みも無い言葉だった。
「Are you ready?·····それでは行ってらっしゃい!」
クルーはジェットコースターが動き始めることを告げた。
Are you ready?という質問に答える声が無かったが、沈黙は肯定と捉えるらしい。
俺、全然準備出来てないんだけど·····。心の。
ゴトゴトとジェットコースターは無機質な音を立てながら、初めの上り坂をゆっくりと進み始めた。
坂の頂点との距離に反比例して俺の恐怖心は膨れ上がる。
頂点まで、あと二、三メートル程になった時。
「お兄ちゃんの恐怖が和らぐおまじないを掛けてあげるのですっ」
そう言って、日和は俺の右頬に優しくキスをした。
唇の湿った感触が頬に残る。
その感触の余韻を楽しむ間も無く、俺の体は浮いた。
「ぎゃあああああ!!!!」
*************************
「はい、どうぞ。お水を貰って来たのですよ」
日和が水が入った紙コップを、ベンチに腰を下ろす俺に、渡してくれた。
「セ、センキュ·····」
恐怖のジェットコースターから降りて、十分以上が経った今も、手に持った紙コップの中の水が零れそうになるほど、俺の手は震えている。
「とても楽しかったのです。お兄ちゃんが日和の為に頑張って一緒に乗ってくれたおかげなのですっ!」
「そうか。日和が楽しかったなら良かった。俺も嬉しい」
俺が気を失いそうになるのを歯を食いしばって耐えていた時、日和は隣で「わ~!」とか「ひゃっほい」とか言い、楽しそうだった。
物心が付いた時から、自分の妹のように思っている日和が楽しかったのなら、自分の事とか、どうでもいいや。
「次はどこに行きたい? 日和?」
「えっとですね·····」
日和はバックから、メモを取り出した。
「ここに行きたいところを全部書いてあるのです。これ全部行って良いのですがね?」
「いくらでも付き合うよ」
俺はベンチから腰を上げた。
「じゃ、順番に回ってくか」
「よろしくお願いするのですっ」
それから、俺たちは日和のメモに書いてあったアトラクションを書いてある順番に回った。
初めにお化け屋敷に行った。
これはノーコメント。俺は絶叫系の次にホラー系が苦手だ。
だからその·····察して?
その後はコーヒーカップ。祇園パークのコーヒーカップは回るスピードが国内一位と言うだけあって、目が回った。久しぶりに胃液の酸っぱい味を味わうことになった。
次は、お〇ゃる丸の原画展。日和の推しキャラは、おこりんぼうと、にこりんぼう。
必然に、推しキャラがデンボの俺と論争する事になった。
お互いに自分の推しキャラについて語るだけで、相手の話を聞かないので結局、決着はつかなかった。
そして、これから向かうのが最後。観覧車だ。
園内の時計は七時を回っており、日は沈んでいる。
「祇園パークはどの時期でもイルミネーションをやっているらしいのです。だから、夜になってから観覧車に乗れば、全部見渡せるはずなのですっ」
確かに、観覧車に向う途中のほとんどの植木に一定時間ごとに色が変わるイルミネーションが施されている。
「地上から見てても結構綺麗だな」
「あ、そうだ。一緒に写真を撮るのです! お兄ちゃん」
日和は手頃なイルミネーションの前で立ち止まり、自分のスマホを出して、自撮りのポーズを作る。
俺に入るように促すので、俺は素直に入る。
画面に写るようにするには、かなり至近距離に近づく必要があった。
「はい、チーズ」
そう言う日和の声が直接、顔の肌で感じ取れる。
ジェットコースターでのキスと言い、普段とは少し違う距離感の日和につい、心拍数が上がってしまう。
日和は妹みたいな存在。
それが少し揺らぐ。
「結構でかいのな。ここの観覧車。台風でクルクル回っている所をTwitterで見たことしか無かったから、知らなかった」
遠くから見ていると、小さくしか見えていなかった観覧車は近づいてみると案外でかい。
「これぐらい大きい方が、一周にかかる時間が長いから良いのです」
日和は少し俯いてそう言った。
「その方が景色もよく見えるしな」
「景色よりも·····」
そこまで言うと日和は口を噤み、観覧車乗り場の階段を小走りでトコトコ上がって行く。
料金を支払い、俺たちは観覧車に乗り込んだ。
中は思っていたより広い。四人乗りなんだろうな。
観覧車はゆっくりと回る。
回っていくにつれて見える範囲も広くなる。
俺は、俺達の住んでる街も見えてるな·····そう言おうとした。
でも、それよりも先に日和が口を開いた。
「お兄ちゃんっ! 見てください! 日和たちの街も、海も見えているのですっ!!」
そう、心の底から嬉しそうに、頬を薄ピンクに染めて俺に言う日和。
日和には申し訳ないけど、景色よりも日和を見てしまう。
「どこ見てるのですかっ。日和達の街はあっちですよ?」
「あ、あっちか·····。·····こっちの街も、綺麗だけどな」
「お兄ちゃんが今、見てるのは街じゃなくて日和のような·····?」
「気のせいだろ」
「景色よりも日和の方が見たいと言うなら、存分に見るがいいのです」
日和は俺の隣に座ったまま、ポーズを取ってみせる。
手を頭の上に乗せて、うさぎの耳を作った。
ちょっと跳ねながら、
「ぴょんぴょんっ!」
その動作に合わせて日和の赤髪が揺れる。
可愛いじゃねえか·····。コノヤロウ。
「日和·····なんか、今日は安心したよ。1人でちゃんと駅まで来れたし。1年間ぐらい外に出てなかったから、心配してたんだ」
「日和は怖かったのですよ? でも、お兄ちゃんとデートできると思うと、頑張れたのですっ」
「俺と遊園地に行く事をそんなに楽しみにしててくれたのか?」
「はい。誘ってくれた時、とても嬉しかったのです。家の外に出ることが怖く無くなったのです」
「そうか·····」
それは日和が学校に行けるようになる事への大きな一歩だった。
日和をデートに誘って本当に良かった。
「日和。見えるか? あれが、七条高校だ」
俺達の街の東。照明がまだついている七条高校を指さして俺は言った。
日和は窓ガラスに手を当てながら、
「見えるのです。空高くから見るとあんな形をしているのですね·····。入試を受けた時には分からなかったのですっ」
「近いだろ? 俺達の街から」
「はい。近いです。近くて、でも遠い·····」
日和は、ほおっとため息をついた。窓のガラスが少し曇り、すぐに透明に戻る。
「いや。遠くなんかない。近づいてるさ。1歩ずつ·····」
日和の背中に話しかける。遠くなんかない。まさに今日、大きく近づいたんだ。
安心しろ。お兄ちゃんが、絶対に学校に行けるようにしてやる·····。もう、逃げたりなんてしない。
**************************
デートの帰りの電車の中。時刻は九時。
椅子に座った途端に日和は眠ってしまった。
「むにゃ·····」
隣に座っている俺の肩に日和の頭が乗っかる。
日和が電車に乗って直ぐに寝てしまうのは昔も良くあった。あの時は、親も一緒だった。
今みたいに二人きりというのは、初めてだ。
「むにゃむにゃ·····。お、にいちゃん」
「ん? どうした?」
寝言なのか、起きて言っているのかは分からない。
「おにいちゃんにとって·····日和は·····むにゃ」
そこまで言い、日和の言葉は途切れた。もう、寝息しか聞こえてこない。
俺にとって、日和は·····?
そんなの決まってるだろ。
「大事なパートナーだよ」
そう、俺は日和の耳元で囁いた。我ながらキザなセリフだ。日和が起きてて、聞いているとしたら恥ずかしいな·····。
自分の家族を除いたら、日和が一番、一緒に送った時間が長い他人だ。
幼なじみであり、妹のようなやつであり、実は初恋の相手だったりもする。
俺は日和の髪を手の平で掬った。その紅の髪は、いつもよりも深く、可憐に輝いているように見えた。
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