第90話 ─ 叶わぬ道に尚一人立ち ─…ある男の独白

 俺の目の前にエヴァンだったものが横たわっていた。

 服が残り、中の肉体のみが燃えて炭化した、奇妙な焼死体。

 他の連中も同じ手口で殺られている。嫌でもミトラの仕業だと理解できる。


 俺は右手にメモ用紙を持って、それを読んでいる。裏に三人の女性の名前が記されたものだ。

 だが肝心なのはその裏。

 びっしりとエヴァンが書いた文字が、一面に書き連ねられている。

 文字は下に行くにつれて少しずつ乱れていき、最後の方はミミズが這ったようになって判別が出来なかった。


 だが俺はそのメモを片手に硬直している。

 俺の目はメモの一点に注がれて動かない。

 それは、エヴァンが最初に記載した内容が原因。

 目の前のエヴァンの焼死体と合わせて、おかしな非現実味に俺は襲われていた。

 そして俺は思わずメモの内容を口に出す。


「アイラが……既に殺されていて、ミトラの“精霊”に?」


 その後、メモは裏に記載されている三人のミトラの“精霊”をいかに浄化したかを事細かに書き込んでいた。

 そして俺達の予想通り、ミトラは戦いの技術は凄まじいのに何故か精神的な部分が弱い事も。

 フェイントに弱い、精神的に追い込まれると弱い、ハプニングに弱い等々……。


 それらの記述の後に、『リーダー、アイラを頼む』と締め括られていた。

 その後はひたすらアイラへの想い、気持ちをハッキリと伝え切れなかった後悔等がひたすらに書き連ねられている。

 文字が一本の線となり、ミミズの這い跡に変わるまで。



 何が駄目だったのだろう。

 俺はその場に立ち尽くし、ぐるぐるとそう思考を巡らせる。


 もっと早くクラガン達を始末出来ていたら、エヴァンの救援に間に合ったかもしれない。

 南米で遭遇した時、紅乙女の神気をもう少し抑えていれば、ミトラを追撃できたかもしれない。

 あの時、日本に行かずに“騎士団”に戻っていれば、アイラはミトラに利用されず、“騎士団”も瓦解する前に手を打てていたかもしれない。

 あの時、ミトラと再会した時に襲い掛かって、この手で首を絞め殺していたら、エヴァンは死ななかったかもしれない。

 俺がアイラの気持ちに応えていたら、ミトラに付け入れられなかったかもしれない。

 俺が肉親のトラウマを克服していたら、アイラに向き合えたかもしれない。

 肉親のトラウマ……。


 そうだ、母親はミトラが産まれて俺を見限ったのだ。

 ミトラが産まれてすぐに殺していれば!

 兄だから弟だから等と思わずに、子供の頃にミトラを殺していれば!

 !!


 俺はグシャリとメモごと右手を握りしめた。


 ミトラだ。ミトラさえ居なければ。

 アイツさえ居なければ、アイラは死ななかった! エヴァンは死ななかった! アマレットもバフもクラガンも死ななかった!

 リッシュさん達だって死なずに済んだ!


 ミトラさえ居なければフェットチーネは死ななかったんだ! 死なずに済んだんだ!!



 そうだ。俺がいくらアイツから距離を取ろうとも、アイツは追いかけてきて俺から奪っていく。

 潰して、破壊していく。

 この世界に来てまでも、お前は俺を追いかけて来た!


 俺が間違っていた。

 最初から俺が最優先するべきは、ミトラを消す事だったのだ!!


 ミトラを殺さねばならない。

 いや、殺すだけでは駄目だ。奴は転生者だと言っていた。

 ただ殺すだけでは、転生して追いかけてくるだろう。

 奴の、ミトラの存在全てを根こそぎ消し去らねばならない!



 俺は歯をき出し喰いしばった。

 奥歯がギシリと音を立てる。



 ミトラ……俺はお前を殺す為に、消滅させる為に、全てを捨ててやる!!



*****



「追撃しないだと!?」


 そう怒鳴った俺の剣幕を、鉄面皮の無表情で受け止めるベイゼル。

 その仮面の下に、俺と同じ忸怩じくじたる思いを抱えている事は重々承知している。

 だが俺は叫ばずにはいられなかった。


「お前だってアイツがどれだけ危険な存在か知っているだろ! 子供に大統領の権限と核ミサイル発射ボタンを持たせたよりも性質たちの悪い、奴の事を!!」


「落ち着け」


「落ち着いてられるか! エヴァンも死んだアイラもとっくに殺されていた! それにお前も見たろあの地下駐車場の現場を!!」


「だから落ち着けと言っているだろう!」


 そう言いながらベイゼルは、俺の発言を押さえ込むように顔を近づけた。

 俺は獣のように歯を剥き出しながらベイゼルを睨み返す。

 ベイゼルの口元が、一瞬口惜しそうに歪んだ。そして俺に、噛んで含めるようにゆっくりと言った。


「大統領から、作戦終了の指令が出された。自分の権勢が充分に見せつけられた、と判断されたらしい。……これに逆らう事は、国家反逆罪に問われる可能性がある」


 俺の目を覗き込むベイゼル。俺が全く承服しかねている事がよく伝わったろう。

 ベイゼルが、必死に感情を押さえ込んでいる声で、俺にさとす。


「国を敵に回して、お前の悲願が達成出来るか? 今はこらえて次の機会を待て」


 俺は歯軋はぎしりしながら上を向き、目を閉じる。そして今までの回想。


 故郷のエルフの村から出る。ミトラが来る。パーティーは滅茶苦茶になった。

 ミトラから離れて王都に行く。ミトラが来る。リッシュさんフェットが死ぬ。

 この世界に飛ばされる。ミトラも来る。エヴァンとアイラを失い、“騎士団”も崩壊。


 駄目だ。やはりミトラは一刻も早く排除しないと。


 俺はベイゼルに背を向け、何も言わずに部屋から出た。



*****



 あれから一週間。

 俺は“騎士団”の封印区画に入り浸っていた。クラガン達から教えてもらったIDとパスワードを使って。

 俺は、クラガンが最後に言った言葉を思い出して反芻はんすうする。


──お前の弟はでは倒せないかもしれん。


 俺は、封印区画に収蔵された危険な呪物や禁断の秘術が記述された本を、ずっと漁り続けていた。

 ミトラを消す手段を求めて。


 そんな俺の元へ、今日もベイゼルがやって来た。俺はベイゼルを気にも止めずに調べ物を続ける。

 そんな俺の様子を見て、ベイゼルは独り言を呟くように話す。


「この前も言ったが、今の“騎士団”はとにかく人手不足だ。実力のある者が一人でも欲しい。再建に力を貸して欲しい」


 そしてベイゼルから、迷いの気配。

 視線だけをベイゼルに向けると、観念したように続けた。


「マルゴが居なくなった」


 俺は興味を惹かれた様子も無く視線を外した。手元の呪術書に目を落とす。

 マルゴの出奔は予想された事だ。

 彼女は、自分のパートナーたるアマレットの仇を討つためだけに行動していたのだから。

 ミトラを討つ動きが止まったのなら、彼女もベイゼル達とたもとを分かつのは当然の帰結だった。そして俺も。

 ベイゼルはそんな俺の態度を見て、ため息をつく。

 そして最後に、俺に忠告めいた言葉をかけた。


「……電話はいつでも私に繋がるようにしておけ。召喚等の魔術を使う時は、スマホのアプリはなるべく使うな。足がつくぞ。それとマルゴを見かけたら、声をかけておいてくれ。“騎士団”再建の貴重な人材だ」


 そして部屋を出る前に付け加える。


「私がお前の所属を解約しておく。だが……待っているぞ」


 続けて、聞こえるか聞こえないかぐらいの大きさの声で呟く。


「死ぬなよ。武運を」


 俺は読んでいた本を閉じ、どこを見る訳でも無く上を向く。

 だが、決してベイゼルに顔を向ける事はしなかった。




 俺は目ぼしい本を何冊か選び出した。

 呪物に関しては、残念ながら俺の眼鏡にかなう品物は無かった。

 そろそろ、ここに居るのも限界だろう。

 内容把握はともかく、実践はぶっつけ本番でいくしかないか。


 俺は紅乙女を人の姿で呼び出し、その本を持たせる。

 この形で向こうに戻すと、契約した魔物以外の物質も収納することが出来る事に最近気がついた。

 本を両手に抱えた紅乙女が、心配そうな瞳で俺を見つめる。


「ご主人様……」


「すまないな、紅乙女。その本を頼む」


 紅乙女は何か言いたげだったが、結局何も言わずに元の空間に戻った。

 俺は心の中で呟く。

 すまない紅乙女。ミトラを倒さない限り、俺はもう一歩も先に進めないんだ。


 そうして俺は、誰にも見つからないようにひっそりと“騎士団”本部から姿を消した。



 後に俺は指名手配され、小額ながらも賞金首にされた事を噂に聞いた。

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