第84話 ─ 裏切り者のレクイエム ─…ある男の独白

 俺は地上に向かって落下し始めた。

 だが、左手に巻き付けていたもう一つのロープをクラガンに投げつける。先端に投擲ナイフをくくり付けて、対象に絡まり易くしてあるやつだ。

 ロープを手放して俺が落下し始めたのを見て、勝利を確信していたのか、クラガンはアッサリとロープに絡まる。

 俺が絡まったロープを強く引っ張ると、クラガンも身体が窓の外に投げ出された。

 それと同時に、俺の身体も再び自由落下を開始。


 ぐんぐんと迫る地上。

 身体に叩きつけられる風圧に気が遠くなりかかる。だが、意識を必死に繋ぎ止めながら紅乙女に、残っているありったけの気を込める。


──タイミングが重要だ。だが上手くいくか?


 だがすぐにその考えを振り払う。

 どうせ失敗したところで死ぬ時は一瞬だ。

 幸か不幸か、この教会本部の外見は近代的なビルだ。壁から突き出た障害物も無い。

 俺もどこにも引っ掛からないが、バフとクラガンの二人も何も引っ掛からずに地上に落ちていく。


 そして俺は地面に叩きつけられた二人を見ながら、彼等に向かって紅乙女を地上に振り下ろす。

 叩きつけられた大きな気がちょっとした爆発を起こした。

 爆風の勢いで俺の落下速度が殺される。

 この攻撃にあの二人が巻き込まれていると良いのだが。


 念のため五点着地を仕掛けるが、途中で止めた。それほど落下の勢いは弱まっていた。 


 急いで二人の姿を探す。

 気を叩きつけた爆心地。そしてその周辺を。

 

 果たして、中心部に二人の黒焦げの身体が見つかった。

 人としての形が残っているのは、二人がまだ成り立ての下位吸血鬼だったからだろうか。

 俺は二人の成れの果てを確認出来て、正直ほっとした。

 かなり連発出来るようになったとはいえ、ここまで大量に紅乙女の神気を使ったとあっては、さすがに体力の消耗が激しい。おまけに今の最後の攻撃で残る全ての気を出し尽くしたのだ。

 俺はその場にガックリと膝をつき、四つ這いでゼイゼイと荒く肩で呼吸を始めた。


 ガリッ。


 そんな時、俺の耳に届く音。

 愕然とした驚きと恐怖の混じった顔で、音のしたほうに目を向ける。どうか聞き間違いであってくれと、祈るような気持ちで。

 だが俺の祈りも虚しく、目の前には緩慢かんまんな動きながらも立ち上がろうとしているクラガンの姿。

 現実逃避などしていられない。応戦しなければ!

 そう理性は叫び続けるが、身体がいっこうに動かない。精も根も尽き果てた状態で、身体の自由がきかない。

 とりあえず俺は、鞘に戻した紅乙女をつえ代わりにすがるように立ち上がる。

 

「すまん紅乙女。こんな使い方をして」


「仕方が無いです。今回は特別サービスですよ」


 クラガンも全身からシュウシュウと煙をあげながら立ち上がっていた。クラガンはヨタヨタと少し歩くと何かを拾い上げる。

 バフの頭部だった。

 バフは薄っすらと目を開ける。ボロボロで虚ろな顔ながらも赤く輝く目は、意思が健在であることを明確に主張している。

 クラガンも俺を認めると黒焦げの頭部の一部を三日月に裂けさせ、凶暴な笑みを形作かたちづくる。三日月の中には巨大な犬歯。

 さて、どうしたものか──。


「ご主人様……この街に彼等のような吸血鬼や魔物が存在できるということは、ロングモーン殿の力もお借りできるのでは?」


 紅乙女がそう俺にささやいた。

 そうか! 以前ならこの街は、強力な結界に閉ざされて魔物の侵入阻止や結界内部での魔法使用の制限がかかっていた。

 だが魔物が存在できているという事は、その結界が存在しなくなっているという事だ。

 この地の地脈を利用出来るなら、いま俺が精根尽き果てた状態でも召喚が出来るかもしれない。


「そうか、その手が使えたか! ……ロングモーン!!」


“応!!”


「いけるな!?」


“愚問だな!!”


「放てるだけ目一杯の力を出してくれ! いけ! ロングモーン!!」


“任せるがいい!!”


 轟!!


 ロングモーンのその言葉と同時に、耳をつんざく凄まじい音が轟き目の前に立ち上る雷柱。

 クラガンとバフは一瞬でそのまばゆき輝きのいかずちの柱に飲み込まれた。



*****



 雷が収まった後には、もはや半分ほどの大きさの炭のかたまりになってしまったクラガンの姿。

 バフは今ので完全に吹き飛んでしまったようだ。

 俺は震える足で、ゆっくりとクラガンに歩み寄った。


「……よう……クラガン」


「……おう」


 クラガンは動かない。もうクラガンは動けない。

 輝きの鈍った赤い目を俺に向けながら、クラガンは答える。

 陽の光はいつしかピークを過ぎ、夕暮れの気配が周囲に漂い始めている。


 俺はクラガンを見つめる。

 好敵手であり、友人であり、情報源であり、こちらの手の内を読んでくる強敵であった男を。


「バフは……今の最後のヤツで……完全に消し飛んだみたいだぜ……クラガン」


「そうか……最後にこうして挨拶できるだけ……俺はマシだな」


「バフとも……最後にこうして話をしたかったが……寂しいな」


「だから最初に言ったろ……先に渡しておかないと……終わった後だとうまく情報が……渡せるか分からんってな」


「ああ……助かるよ」


 クラガンと話していると、さっきの雷を気にした連中が何人か様子を見に来た。

 連中は俺を見ると、不安気な様子で話しかけてくる。


「こちらで突然に落雷があったのだが、大丈夫か?」


「……ああ」


 俺は連中の一人に声をかけた。

 クラガンとの約束を果たさねば。


「……そこのあんた。悪いが……どこかでバーボンを買ってきてくれないか? ……できれば七面鳥ターキーを」


「まあ、構わんが。なぜだ?」


「友人へのプレゼントを……買い忘れていたんでね」


「ふむ? まぁ構わんが」


 俺に声をかけてきてくれた男はバーボンを探しに行った。

 わざわざ買いに行ってくれた男を見送っていると、クラガンが再び口を開く。


「この期に及んで……まだ約束を守るか……律儀な野郎だ……」


「美味いバーボンが飲めなかったなんて、地獄に落ちても恨まれそうだからな」


「……抜かしやがるぜ……」


 立つのが億劫おっくうになった俺は、ついに大きな溜め息と共に地面に座り込んで胡坐をかいた。

 紅乙女を元の空間に戻そうとしたが、紅乙女はそれを拒否。仕方がないので、傍の地面に置いた。


「……最初に渡した紙の下の方に、変な数字やアルファベットがあっただろ」


 クラガンが俺にまた話しかけてくる。

 首を動かすのも面倒に感じた俺は、視線だけをクラガンに向けた。


「あれは……封印区画の開封IDだ。……俺達が使った剣も……そこから取ってきたのさ」


「なん……だと……」


 やはり噂は本当だったのか。

 限られた者しか立ち入る事が出来ない区画があるという話は。

 そこには“堕落”した退魔剣以外にも、曰く付きの呪物や封印された闇の禁書が収蔵されているという……。


「お前の弟は……もう訳が分からん。明らかに普通の人間……エルフか……なのに、大したヤツじゃないのに、妙なカリスマ的なのがある。それに俺達だって……何度か消してやろうと……試した事がある……」


 そうか、こいつ等もミトラを消そうとはしていたのか。当然だな、バフもクラガンもやられっぱなしでいる人間じゃなかった。

 それでも結果はご覧の通り。

 ミトラが善人なら……少なくとも


 いや、今さら考えても詮無いことだ。

 クラガンは表情もなく、虚ろな目で俺に話し続ける。


「もしかしたら……ああ、意識が……遠くなってきやがった。……もしかしたら……もしかしたら、お前の弟はでは倒せないかもしれん……」


 そこまで言うとクラガンは目を閉じて、フッと邪気なく笑った。


「……どうやらここまでだな。……バフの考えはどうだったかは……今さら分からんが……俺は……俺にとっては……悪くない戦いだったと思うぜ」


 クラガンの身体が崩れ始めた。

 下位吸血鬼レッサーバンパイアといえども、アンデッドのことわりからは逃れられないのか。

 灰は灰に、塵は塵に、土は土に。生ける死者は動かぬ死者に。死者は土に還るべし。


「……思ったよりも……色々と……話せたな……。吸血鬼のしぶとさも……悪い事ばかりじゃ……無い……か……。

 あばよ……幸運をグッドラック……」


「ありがとうクラガン……」




 俺はそのままその場に座り込んでいた。かつてを見つめながら。

 やがてさっきのウイスキーを買いに行ってくれた男が戻ってくる。小さなパイント瓶しか無かったと、申し訳なさそうにウイスキーを渡してくれた。

 

 俺はウイスキーを受け取ると、ひと口だけ飲む。

 後は全て、クラガンだった灰の塊に振りかけた。

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