第70話 ─ 剣(つるぎ)のような三日月をその手に─…ある男の独白

 “親衛隊”の連中の更に後ろに、影が凝縮し始めた。その影は見る間に人の形を取り始め、気がつくとその場に少女が立っていた。


 少女の肌は真っ白だった。雪のようでもなく、青白くもない、骨のような白。

 その、見た目は十二、三才ぐらいに見える骨白の少女は、いわゆるゴシックロリータと呼ばれるタイプのドレスを着ていた。

 こちらに向ける瞳の色は、鮮血の赤。


「うふふ、初めまして皆さまこんばんは。わらわはミトラ様に忠誠を誓う真祖の吸血鬼、タリアと申す者ですわ」


 突然の事に“親衛隊”の連中は呆気に取られたのか、誰も身動きひとつ取らない。

 いや、取らないのではない。取りたくても取れないのだ。

 タリアと名乗った吸血鬼の少女の足元から影が伸びていて、それが彼女達を物理的に縛っていた。


 そして彼女の眼光にも、人を縛る力を持っているようだった。

 ベイゼルもエヴァンも、さっきから身動きを止めていた。止められていた。

 俺は──いや、この吸血鬼に気取けどられてはマズい。俺も黙って彼女を睨み返していた。


 少女はこちらに目を向けたままお辞儀をすると、ニィ、と口角を持ち上げた。

 そこからこぼれる大きな犬歯。


「この場で妾のエサとなる貴方がたには特別に真名トゥルーネイムを教えて差し上げます。妾の名は、タリアテッレ・バーニャカウダといいますの。では死ね」


 “親衛隊”を拘束していた影が一気に人型に膨れ上がり、その人型は“親衛隊”の少女達の首元にかぶり付いた。

 少女達は最初こそ悲鳴をあげたが、すぐにおとなしくなる。

 首から血を吸われた“親衛隊”の少女達は、青白い肌に赤い目の生ける屍リビングデッドとなった。


「あっははは! 我が下僕よ、血を吸うにあたいしないジジババ共をブッ殺しちゃいなさい!」


 吸血鬼タリアのその号令と共に、生ける屍となった少女達が遅いかかってきた。


 固まった演技はもう良いだろう。

 俺はすぐにベイゼルとエヴァンを突き飛ばして、奴等の攻撃の第一波をかわす。

 そして見ると、ヘンドリックスはマルゴを引き摺り、俺達の方へ移動してきていた。


 タリアが俺を見て苛立いらだたしげに言う。


「あら何よ貴方、セコイわね。私の凶眼が効かないのを隠してたの?」


「ノーコメントだ」


 どうやらエルフに奴の凶眼の魔力は、効きが悪いらしい。

 俺は立ち上がってほこりを払うと、真祖の吸血鬼を自称する少女を睨みつけた。



*****



 さて、とりあえずしのいだ良いが、厄介な奴が出てきたものだ。

 というかミトラの奴、見た目さえ良ければ、吸血鬼だろうが見境みさかいなしに自分の女にしてるのかよ。これもアイツの“主人公属性”の力なのか。


 いや、今は余計な事は考えるな。目の前の脅威を何とかするんだ。

 まずは俺達は、俺とベイゼルはヘンドリックスとマルゴの退魔銃を、エヴァンはマルゴの退魔剣を手に取って、元“親衛隊”の少女達を攻撃していくことにした。

 未だ放心状態のマルゴを守れるか?

 まぁ何とかやるしかないのだが。


 ベイゼルが指示を出した。


「あの真祖を名乗る吸血鬼の為に、聖別弾を残しておきたい。なるべくお前達二人で片を付けてくれ!」


「分かった」


「うげぇ〜。了解です」


 エヴァンとヘンドリックスがそう了承の返答をする。


 聖別弾で俺が攻撃すれば、楽に目の前の生ける屍を始末出来るが、あの吸血鬼の事を考えるとそれも出来ない。

 しかもさっき夕暮れ時だったから、これからが吸血鬼共の絶好調タイムだ。どこまでこちらの攻撃が通じるかわからない。

 戦力は温存していかねばならないのだ。


 だが、二人の前衛を乗り越えてくる死者はいるので、俺とベイゼルは銃を撃ち込んでいくしかない時も何度か発生した。

 夜間で力が増している為か、脳天と心臓に二発入れないとくたばらない。

 タリアが下僕に変えた死者を、俺達が全て始末出来た時には弾は二発ずつしか……合計四発しか残っていなかった。




「ベイゼル、マルゴを頼む」


 そう俺は言ってエヴァンに目配せをすると、すぐに真祖を名乗る吸血鬼に駆け出す。

 俺のすぐ隣にはエヴァンが並び、ヘンドリックスも付いてきてくれた。

 真祖を名乗る吸血鬼タリアは、微動だにせずに不敵な笑みを浮かべて立っている。



 まずはヘンドリックスが先行した。

 ヘンドリックスは退魔剣を横薙ぎに切り払うと、吸血鬼タリアの胴を二つに切断する。


 次に俺が、切断されて空中を舞うタリアの上半身に向けて発砲、脳天と喉笛に着弾させる。

 そして更に続けて、密かにベイゼルから預かっていたもう一丁の銃を取り出し、残り二発を心臓にぶち込む。


 そのまた次に、エヴァンがタリアの上半身に向かって退魔剣を乱れ突き。奴の上半身を穴だらけに変える。


 最後に再びヘンドリックスが、退魔剣を小枝のように振り回して、奴の、タリアの身体を細切こまぎれに変えた。


 真祖を名乗る吸血鬼タリアは、細切れの肉片となってベシャベシャと地面に落ちた。

 だがしかし、すぐに肉片は小さな蝙蝠こうもりに変化して飛び立ち、少し離れた場所に集まって復活する。

 少し俯いた状態で復活したタリアは顔を上げると、蝙蝠が集まっている時から走り出していたエヴァンとヘンドリックスに向かって、右手を無造作に振るった。


 この小さな女の子の見た目で、何という怪力なのか。


 彼女が横薙ぎで振るった右手に跳ね飛ばされて、エヴァンとヘンドリックスは壁に激しくぶつかった。

 そのまま二人はうめいてうずくまると、痛みと衝撃に身体を動かせずに固まってしまった。


「あはははははははははははは!!!!」


 突然タリアが狂ったように笑い出すと、俺に向かって突進してきた。

 不意を突かれた俺は彼女の突進をモロに受けて地面に転倒する。背中をしこたま地面にぶつけて息が詰まった。

 タリアは、ぶつかった勢いそのままに俺に馬乗りになると、左手で俺の喉をひっつかんだ。


「あはははは! 弱い、弱いわねアナタ! ミトラ様の養分の分際で、踏み台の分際で、調子乗ってた罪を後悔しなさい!!」


 そう言うと吸血鬼タリアは、俺の喉を掴んだ左手に力を入れた。

 気管が狭まり呼吸が苦しくなる。

 俺は両手でタリアの左手を掴んで引き剥がそうとするが、まるで万力に挟まれたようにビクともしない。

 霞む俺の視界に、タリアの右手の爪が長く伸び、俺の目に向かってくるのが見えた。


……くそ、ヤツに……ミトラに何一つ傷を付けられずに、俺はここで終わるのか……!


 その時、部屋の入り口から聞いた事の無い女の声が聞こえた。

 俺は霞むままの視線をそちらに向ける。タリアも同じだった。


「おやおや、騒ぎを聞きつけて来てみれば。この街は確かに天使が消えた街ロサンジェルス(Loss Angels)だけど、だからって魔物がデカい顔してるとは思わなかったよ」


 そこに居るのは、紫のパーティードレスとパーティーグローブを身に付け、白いファーを首に巻いた人物。

 右手にキセルを持ち、嗜虐的な視線をこちらに投げかける目を顔に据えた、ショートボブの髪形の女がそこに立っていた。



*****



「誰かしら、アナタは。いえ、そもそもどうやってここまで入り込んだの? 表を囲んでいる連中を始末した気配も無かったけど」


 入り口に立つ女に向かって、タリアがそう尋ねる。

 だが女はタリアをまるっきり無視し、俺を見て独りごちた。


「……はん。どうやらあんたが、ビッグママが言ってたエルフだね」


「アナタ、妾の言葉が聞こえなかったのかしら。薄汚いエルフ女風情ふぜいが、表の包囲をどう突破したのかしらと聞いてやっているのよ?」


「おや、耳隠しの魔法が通じないとは、さすがは真祖を名乗る吸血鬼様ってトコかい。チンチクリンな見た目なのにねえ。そうそうアンタの疑問だけど、出張でばってる政府の人間なんて一人か二人さ。あとはこの街の人間だよ。私の息が掛かってる人間相手に“融通効かせて”貰っただけさ」


 エルフ、エルフだと!? だがビッグママ所縁ゆかりの者なら、確かにその可能性が高いか。俺は苦しい呼吸と霞む視界の中で、何とかそう考えた。

 政府の人間がその程度しか動かないという事は、ミトラの影響力は俺が思うより、ほんの少し小さいのか。

 俺は無意識に口角を僅かに上げていた。


「何を笑ってるのよこのゴミクズ!」


 タリアが僅かに力を強める。更に苦しくなった呼吸に、俺は足をバタつかせた。

 そんな俺の姿を興味無さげに眺めながら、女は独りごちる。


「さて、ママから預かった日本刀を持ってきたんだけど、どうするかねぇ。確か、アンタが“騎士団”の情報を私らに流すのとコレとの、交換条件だったはずなんだけど。アンタ、今はその“騎士団”から追われる身なんだって? 取引材料が無くなってないかい?」


 足をバタつかせ続ける俺の視界の端に、入り口の状況が一瞬映った。女の後ろに控える部下の男達の姿と、そのうちの一人が日本刀を捧げ持っているのが。

 タリアはその女の言葉に、小馬鹿にしたように言う。


「素直に『妾に勝てないから見てるだけにします』と言えばいいのに。関わる気が無いなら、引っ込んでなさい、薄汚い売女ビッチが」


 女はキセルを口にくわえてタバコをふかすと、再び右手にキセルを持って口から煙をふぅ、と吐き出す。

 そして剣呑けんのんな目つきに変わるとタリアを睨みつけて、凶暴さを含んだ低い声で言った。


「しかしまぁ、このバルバレスコ様の縄張りシマで、チンチクリンなガキの姿の、人間であることから逃げ出したが、デカい顔してのさばっているのはもっと気に食わないねぇ」


 そのバルバレスコと名乗った女の言葉を聞いた瞬間、タリアの影が伸びて複数の人型に変わる。それが一斉に女とその部下に襲いかかった。


 だがその時……。


 バルバレスコの部下が持っていた刀がかすかに発光すると、ひとりでに鞘から抜ける。

 そしてブンブンと回転しながら飛び出したかと思うと、タリアの影を切り捨てながら辺りを飛び回り始めた。


 そして影を全て葬り去ると、今度は真っ直ぐに突進。その向かう先は、俺の首を掴み続けるタリアの左手だ。


 ザン、と音がすると同時に、俺の首の拘束が解けた。

 俺が頭を起こして見上げると、そこには切断された自分の左手を見つめて驚愕している、吸血鬼の少女。


 俺が慌てて刀の飛んでいった先を見ると、地面に日本刀が斜めに突き立っている。

 だがその日本刀はまばゆく発光したかと思うと、一人の女の子の姿に変わった。

 あの時の姿と同じ、赤い着物を纏った、赤い髪の少女の姿に。


「紅乙女……」


「はい!」


「来ぉぉぉい!! べにおとめええええぇぇぇぇ!!!!」


「はいッッッ!!!!」


 俺は彼女に右手を突き出した。

 紅乙女は数歩ほど助走をするとジャンプして俺に飛び込んでくる。

 そして彼女が伸ばした左手を俺の右手が掴んだ瞬間。




 この部屋を満たさんばかりの、それまでとは比べ物にならないほどのまぶしい光が溢れかえる。

 俺の脳裏に、電撃のようなものが走ったかと思うと、紅乙女との主従の契約が為された事が己の身に染み渡る。

 タリアは光の眩しさに、思わず後ろに下がったようだ。

 俺はゆっくりと立ち上がった。



「契約は成立した」


 俺は声に出してゆっくりと言い放つ。

 右手には、あのナラケンの山中で散々振るった日本刀とよく似た感触。いや、あの時の刀よりも、更に手に馴染んだ感覚。


「神と呼ばれた大いなる存在に連なる者よ、その者に鍛えられ作り出された物よ」


 手元を見る必要は無かった。

 光が収まったかと思ったと同時に俺は刀を、紅乙女を身体の正面に持ってくると、左手も柄に添えて握り締めた。

 そして刀を立てて顔の横に持っていくと、俺は真祖を名乗る女吸血鬼を威圧するように叫んだ。


「今こそ魔を断ち魔を退ける、お前のその力を解放しろ! 紅乙女!!」


「お任せ下さい御主人様!!」



*****



 俺は真っ直ぐに吸血鬼タリアへ駆けた。

 タリアの人型の影が現れて襲いかかる。

 だがそいつ等は俺が振るう紅乙女のひと太刀たちで消滅していく。防御ごとあっさりと斬り裂かれて消滅していくのだ。

 タリアの影は、全く足止めにならなかった。


 奴は再び影を人型にして繰り出すと、こちらへの壁として立ち塞がらせた。

 俺は刀に気を込めて振りかぶり、大きく袈裟けさ斬りに紅乙女を振るう。

 幾多の影が集まった壁も、たったのひと太刀で消滅した。

 壁の先には、驚愕の表情を張り付かせたままの吸血鬼少女タリア。


 振り下ろした紅乙女を今度は逆に振り上げ、タリアに斬り付ける。

 タリアは咄嗟とっさに避けたが、斬撃の軌道上に右手が残っていた。

 切断され跳ね飛ぶ奴の右手。

 タリアは、端正だった顔を憤怒で醜く歪める。紅乙女の傷は吸血鬼の傷の再生を阻害するようだ。


 だがタリアはニィ、と笑うと叫ぶ。


「今日はこれで一度引いてあげる! 次にあった時覚えてなさい!!」


 そして奴の輪郭がにじみ始めると、蝙蝠に分裂し始める。マズい、逃げられる!

 だが紅乙女も俺に叫ぶ。


「御主人様、私の神気も込めて気の斬撃をお放ち下さい! この程度のなど私の力で一撃です!!」


 その言葉に、思わず憎々しげに振り返ってしまった吸血鬼タリア。

 だがその時には既に俺は、気の充填を終えた刃を、大きく振りかぶった状態になっていた。


──己が練り上げた気をありったけ刀に込めろ。それを紅乙女の神気と混ぜるんだ!


 刃に清らかだが凄まじいエネルギーが集まっているのが分かる。これを放った先は、一体どうなってしまうのか。

 だが、これならば!

 俺の脳裏に、兄の盛以蔵の言葉が思い出される。


“きっと、真夜中の吸血鬼の真祖でも、浄化出来る能力を持つだろう”


 その刹那、俺は振りかぶった紅乙女を思い切り振り下ろした。

 煙が舞い上がり、凄まじい轟音が響く。

 一瞬、あの吸血鬼少女の悲鳴が聞こえた気がした。

 そして煙が晴れたその場に見えたのは。


 ビルの外まで空けられた壁の大穴。聞こえる街の雑踏の音。入り込む風。

 あの吸血鬼の気配は微塵も感じない。


「……すげえ」


 エヴァンが呆けたように呟いた。

 バルバレスコが俺に声を掛けてきた。


「なるほどなるほど、情報が取れなくなったのは残念だけど、あんたがそんだけの力を手に入れたなら、まぁトントンかね」


 そうしてバルバレスコは俺に近づくと、俺の胸ポケットに名刺を入れた。


「後でそこに来な。あの調査員の女のクレイグもウチで保護してる。そこで詳しい話をしようじゃないか」


 そう言って部下を連れて出て行くバルバレスコ。

 ようやく立ち上がったエヴァンが俺の隣にやって来る。


「……それが例の刀なんだな」


「そうだ」


「あの女の子は?」


「この刀に宿る……精霊みたいな存在だ。名前は『紅乙女』と言う」


「フェットチーネさんと再会した時に揉めそうだな」


「フェットには黙っててくれよ、後でバーボン奢るからよ」


「よし乗った」


「御主人様、フェットチーネさんとは?」


「後で話すよ」



 そして俺は手元の刀、紅乙女を見つめる。


──あいつの、ミトラの“能力”には及ばないかも知れない。だけど。


 次に壁の大穴を見つめた。

 その後に隣のエヴァンと、マルゴを守っていたベイゼル、最後に胸の名刺を。


──だけど、俺は一人じゃない。お前に俺の仲間の価値は分かるまい。


 そして目を閉じて、この世界に来てからの、そして“騎士団”を抜けてからの日々を思い出す。


「エヴァン」


「どうしたリーダー」


「アイラをヤツから取り戻そう」


「もちろんだ」


「どんな風になっていたって、彼女は俺達の仲間だ」


「そうだな。……さぁそろそろ行こうぜ、リーダー」


「ああ」


 そうして俺は、ベイゼルやヘンドリックスに、集まってもらうよう声を掛けた。

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