第46話 ─ 飲めなかった酒と涙と男と女と男 ─…ある男の独白

「ほら、とりあえず水をたくさん飲んで、吐き気は我慢せずにドンドン出せ。トイレも遠慮せずにガンガン使え」


「うう〜。今日はオフだからと思って油断しました……」


「アイラちゃん、ペットボトルとカップはココに置いとくぜ」


 エヴァンが俺の部屋のベッドで倒れているアイラの傍らに、水の入ったボトルとカップを置いた。



 あの後アイラは、酒場で以前から興味があったと言ってウイスキーを飲んだのだ。

 ロックで三杯も。しかもガブ飲み。


 彼女は最初はケロリとしていたが、すぐにアルコールが回ると、青白い顔をして倒れてしまった。俺と違って酒豪なのかと思ったけど違ったか。

 エルフって酒に弱いのが共通なのか?


 そうなると俺とエヴァンは酒を飲むどころの騒ぎじゃない。

 会計を済ませて彼女をエヴァンに背負ってもらい、早々に退散する羽目になってしまったのだ。


 ああ、俺が目的にしていたスコッチウイスキーよさらば(泣)

 これは自分の金であのスコッチを飲めという、不信心な俺への神の啓示なのか。


 強いピートの香りが有名な銘柄の、期間限定品だったが、どうやら今回の俺には縁が無かったようだ。いつか縁あらばまた逢おう、いとしきウイスキーともよ。



「こんな状況で言うのも何だが、俺は明日から“遊び”で“旅行”に出かけなけりゃならん」


「マジか。ベイゼル司令……じゃない本部長も人使いが荒いな、こんな状況なのによ。俺ッチ達には物資の補給も、なかなか回ってこないってのに」


「相手は……誰ですか〜?」


 アイラが絞り出すように呟く。

 大人しく寝てろってのに。


「いや、せっかく隠語で話してるのにそれ言ったら意味ないだろ。……まぁお前達二人には隠しても今更だな」


 俺はため息をついて目を閉じ、上を向いた。


「ステイツ北の、国境近くの西海岸の小さな街に、環境テロリストの一派が居る。そいつらが悪魔の呼び出しに手を染めたらしい」


「おいおい、退魔剣の“穢れ”は大丈夫かよ。そんな連中をぶった斬ってたら、あっという間に“堕落”するんじゃねぇの? 俺ッチのを貸そうか?」




 魔を討ち払う聖剣の量産の弊害が“堕落”だ。

 具体的な製法は分からんが、何でも剣に制限を掛ける事で、魔を討ち払う力を比較的簡単に与える事が出来るのだそうだ。

 その制限とは、魔物……悪魔以外を斬らないこと。


 退魔剣は、悪魔以外を斬らないという制限を掛けることで、剣に払魔特化の性質を与えていくのだ。

 そのデメリットとして、悪魔以外を斬るとどんどん“穢れ”が溜まっていく。

 普通なら剣は生き物を斬れば斬るほどなまくらになっていくだけだ。

 だが溜まった“穢れ”が、ある一定値を超えると──剣が“堕落”する。属性が反転するのだ。


 つまりは人にあだなす邪剣となる。


“騎士団”のどこかには、溜まった“穢れ”を「再聖別」で浄化できずに“堕落”した退魔剣が、保管されている場所も有るという。


 そして俺達が相手にするのは、大抵は悪魔に取り憑かれた人間だ。

 そして彼等は大なり小なり、人間の部分が残っている。

 彼等を退治するという事は、彼等の人間の部分も斬るということ。


“穢れ”は必然的に溜まっていくのだ。




 俺はエヴァンに心配させないように、ニヤリと笑って言った。


「心配すんなって。今までも何度もやってる任務だ。それに剣の再聖別ぐらいはまだやってくれてるよ」


「リーダーだけに……汚れ仕事行かせるのは……心苦しいです」


 体内のアルコールで意識が朦朧となりつつあるのに、言葉を絞り出すアイラ。


「だからちゃんと寝てろってアイラ。それに前も言っただろ、お前達が待っててくれてるからココへ戻る気力が出るんだって」


「でも……待ってるのもまっへふのも……辛いふはい……ですへふ


「そーだぜ、こっちの気持ちも考えろよな」


「分かってる……つもりではあるんだがな。まぁ代わりに団内部の状況を調べておいててくれ。但し、怪しまれないように」


「団内部の権力闘争か〜。面倒くさい事に巻き込まれちまったよなぁ」


「ある程度の実力がある奴は、ほぼ軒並み全員巻き込まれてるんだ。諦めろ」


「守旧派のシャーロットお嬢様の派閥と改革派の派閥、そして両方を何とか和解させようとしているベイゼル司令の穏健派の三つどもえ……やだねえ」


 俺も深いため息をついてエヴァンに言った。


「『先進的な思想』をうそぶいていたシャーロット嬢ちゃんが、昔ながらの伝統的価値観の塊の守旧派の中心人物ってのが、何の冗談だって話なんだが」


以前からひへんふぁら……人の上に立ってひほほふへひふぁっへ……チヤホヤされる事がひはほあはへふほほは……あの女性の一番のはおひほほいひはーほ……理由ですからひふーへふはは……ふにゅう」


 その台詞を最後に、今度こそ寝息をたて始めたアイラ。

 そんな彼女を見て、エヴァンがボヤく。


「まだ起きてたのかアイラちゃん。……つーか呂律が回ってねーから聞き取れねぇ……」


「まぁ、結局みんなからチヤホヤされる為の道具に過ぎなかった、って事だな。シャーロット嬢ちゃんにとっての『先進的な思想』ってヤツは」


「ああー、そこら辺は俺ッチも感じたぜ。あの女の言ってる内容は、これっぽっちも分かんなかったけども。

 ずっと聞いてると、自分の我儘を聞いてくれない周囲の人間への不満にしか聞こえないんだよな」


「ほう、ちゃんと理解出来てるじゃないかエヴァン」


「うっせ、馬鹿にしてんじゃねーよ」


 そう言ってエヴァンは椅子に座って、テーブルに肘をついた。

 そのまま頬杖をついて、アイラを見守る。

 やがてヤツはスマホを弄って、ネットの何かのサイトをいくつか眺め始めた。

 俺はショルダーバッグを取り出し、クローゼットから服を何着か放り込む。

 環境テロの連中なら、ジーンズ姿のラフな服装の方が目立ちにくいかな。


 そうしながら俺は、ふと思い出してエヴァンに声をかける。


「ああ、もしかしたら任務遂行した後で、本当に休暇旅行で日本に行くかもしれん。何しろ表向きは、『干されて不貞腐れての傷心旅行』の形だからな」


「あん? 何でまた日本なんだよ。あの国は仏教文化圏だから、“騎士団”の人間は殆ど居ないはずだろ? まさか本当に遊びで行くつもりか?」


 リーダーの性格からしてありえねえ、と続けて呟くエヴァン。

 まぁその通りなんだが。


 俺は今度こそ声をひそめて、囁くようにエヴァンに言った。


「日本には、“堕落”しない退魔の能力ちからを持つカタナを打てる、日本刀の刀鍛冶が居るらしい。イングランド支部のアマレットから聞いた話だ」


 エヴァンが心配しないように、これも一応付け足して言っておく。


「ベイゼルにも話は、一応通してある」


「アマレットって……ああ、あの小麦色の肌のやたら色っぽいエルフのねーちゃん。イングランドの女支部長の懐刀ふところがたなだったっけ? もしかして狙ってるのかよ」


 おいこら、せっかく熟睡しそうだったアイラの意識が少し戻ったじゃないか。

 夢うつつながらに聞き耳たててるだろ。


 俺は顔をしかめてエヴァンに返答する。


「狙えねーよ。向こうは心に決めた、将来を誓い合ったパートナーがもう居てるらしいからな」


 アイラが手をグッと握った。やれやれだ。

 今度こそ熟睡してくれるだろ。

 だがエヴァンが心配そうに俺に言う。


「なぁ、あんまり一人で抱え込まないでくれよ。どうもアンタは、まだその傾向があるからさ」


 エヴァンは頬杖をつくのを止め、身体を起こして俺を見据える。


「俺ッチ達はチームなんだぜ。あんたにとっては、頼りねェ弟妹なのかもしれねーけど。実際、あんまり力になれてねェのかもしれんけど」


 俺は手を止めてエヴァンに向き直り、正面からあいつの話を聞いていた。


「けど、せめてアンタの苦労や大変さ、悩みを共有させてくれよ。何度でも言うけど、俺ッチ達はチームなんだ。お互い、守って守られてって間柄になろうぜ」


 俺は、つい顔がほころんだ。

 リッシュさん達とは少し違う関係性だが、気心の知れた信頼できる仲間の存在に、胸が暖かくなるのを感じる。

 俺は頭を掻き、軽く苦笑いして答えた。


「ははッ、お前にそこまで言われるとはな。分かってるよ、また昔みたいにお前達二人にドヤされたく無いからさ」



 そう言いながら、俺はエヴァンとアイラに怒られた、その時の事を思い出していた。

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