救世主という名無し(仮)

@mitsuyuvi

第1話 仮



 そこには数多の屍の山が築かれていた。天は暗い靄に覆われ、僅かな隙間から顔をのぞかせている日の光を不自然に遮っていた。

 鎧を纏った男が、肩を大きく上下させながら歩いていく。仲間だった者たちと、異形の敵たちが打ち捨てられた死せる大地を。

 疲れに淀む眼をなんとか前方へ向けると、生き残っていた仲間を見つけた。膝をついて休む仲間たちも、男に気付いて暗かった表情に明るさを取り戻しながら走り寄った。

「エルド隊長、ご無事でしたか!」

 いの一番に近づいてきた男がエルドと呼ばれた男に肩を貸した。

「ああ……お前たちも無事だったか」

 エルドは安堵の声を漏らしつつ、兜を取り外した。赤みがかった短髪に青い瞳。若いながらも精悍さが垣間見える顔立ちは兜の隙間から入り込んだ赤黒い血で汚れていた。兜を足元へ捨てながら、辺りをゆっくりと見回した。

「恐らく生き延びたのはこれで全部かと……」

 先ほどの男が重い口調でそう告げた。

 視線の先にはうな垂れた様子の若い兵士たちが数人が居た。誰一人口を利くこともなく、ただ押し黙っていた。中には血に塗れた剣を一点に見つめたまま放心している者も居た。

 無理もない。覚悟して来たとはいえ、彼らのほとんどはまだ経験も浅い。実際にあんなに多くの仲間の死に直面すれば、折れる者も居る。

「クランツ、皆に声をかけろ。じきに瘴気も薄れるだろうが、ここに留まるのは危険だ」

 エルドの指示を受けた男、クランツは頷いて兵士たちの方へと歩いて行った。

 エルドはつと天上を見た。幾重にも重なったような靄が徐々に薄らぎはじめていた。そして、薄れた箇所から入り込む日の光が、仄かな希望を抱かせてくれるのを感じた。ほんの、一時しのぎに過ぎないかもしれない淡い希望を。


 白い城壁に囲まれた訓練場、そこでは多くの兵士が剣戟を交わし、切磋琢磨していた。その中の一組、若い男と壮年の髭を蓄えた屈強な男が互いに真剣な眼差しで向かい合っていた。

「ディズ! 訓練用の棒切れとはいえ、実戦の気概でやるんだ。俺も本気でぶっ叩くからな!」

 壮年の男が若い男──ディズに不敵な笑みを以て挑戦的に投げかける。

「はい! カーライル騎士長直々の手合わせ、胸を借りるつもりで行きます!」

 ディズは立ちはだかる騎士長、カーライルへと返す。カーライルは少し表情を綻ばせつつも、すぐにきゅっと口を結んで余裕たっぷりに頷き返してみせた。

 対するディズは左足を半歩ほど引いて腰を沈め、空いていた左手を訓練刀の柄へとあてがった。カーライルは未だ構えてはいなかった。先手は譲る。そう言われているように思えて、ディズは少しの緊張を覚えた。

「実戦なら、先手を譲ることなんてありませんよね?」

「フ。そうだな。だがまぁ、ハンデだ。ひよっこ相手には……」

 カーライルの言葉を遮って、ディズが一閃を見舞う。話し途中で抜いている一瞬を狙った一撃。

 しかし、カーライルはそれを素早く半身になって躱した。まるで見越していたように。

 ディズもそれで終わりではなかった。振り下ろした訓練刀を斬り上げて二の太刀とした。迫る攻撃にも焦らず、カーライルは訓練刀を盾としてそれを防ぐ。

「いいぞ。その調子だ」

 集中して真剣に打ち込んだ攻撃だったが、それを容易く防ぎ、さらには余裕を含んだ言葉を投げかけられた。ディズはなんとしてもカーライルに意地を見せねばならないように感じた。

 だが、押せども押せどもカーライルの訓練刀はほとんど動かなった。

「非力を知恵で補うのは結構。だがそれすらも通用しないときはどうする?」

 そういうと、カーライルは空いた手でディズの胸倉を掴んで投げ飛ばした。

「うおっ──」

 空が回った。一瞬の浮遊感の後、地面に身体を叩きつけられる。それでも勢いはまだ死なず、蹴られた小石のようにごろごろと転がっていく。

「ぐっ……けほっ」

 衝撃に呼吸を乱され、咳き込むディズに近くに居た何人かの兵士たちが駆け寄ってきた。声を掛けられつつ立ち上がるディズに向かって、カーライルはゆっくりと歩みを進める。

「降参か?」

「……まだまだ!」

 今度は啖呵を切って正面から突撃をしかけた。一撃を打ち込むことに集中し、カーライルへと肉薄する。

「よし」

 再び立ち向かってくる姿を見て、カーライルは笑みを浮かべる。

 勢いを乗せたディズの渾身の一撃だったが、それはいとも容易く弾き返される。

「一撃で終わるな。攻撃は──」

 カーライルが口を開いた瞬間だった。攻撃を弾かれてよろけたディズが、その反動を利用して身を翻し、回転の勢いを活かした二撃目を繰り出したのだった。

 弾き返した方とは逆方向からの間髪を入れぬ攻撃。一撃目を弾き返したおかげで、訓練刀は攻撃とは逆方向にある。防御するには間に合わない──カーライルは咄嗟に武器を持たぬ左手を伸ばした。

 重く、鈍い音が体の中を駆け巡った。

「くっ……!」

 カーライルは寸でのところで、ディズの訓練刀を掴んでいた。が、他の兵士たちとは違って籠手を身に着けていない状態であったため、衝撃自体は相殺することはできなかった。

 以前よりも攻撃の重みは増しているか……それに、奇襲や機転を利かせた戦い方……。

「フフフ……いい打ち込みだ。修練に励んでいるようだな、ディズ」

 嬉しそうに言うカーライルとは相対的に、ディズは乱れた呼吸を整えながら言った。

「いえ、まだまだですよ……騎士長なんか全然余裕そうですし」

「当然だ。鍛えてるからな。ディズ、お前はもっと体力をつけろ。このぐらいで簡単に息を乱していては長旅には耐えられんぞ」

 カーライルの言葉に、ディズの表情が一瞬曇った。ディズが構えを解いたため、カーライルも掴んでいた訓練刀を解放した。

「覚悟は決まったのか?」

「……僕には……選べません」

 暗い口調で返すディズに、それ以上なにか語りかけるのは憚られるように感じた。さっきまでの覇気もどこへやら、まるで傀儡のように頼りなく立ち尽くしていた。

 周囲の兵士たちの喧騒の最中、ディズは痛いくらいに拳を握り締めていた──『呪われた』左手を……。


 血に塗れた騎士たちが列を成して道を進んでいた。その足取りは一様に重く、足跡は道程に薄汚れた血の跡として残っていた。

 誰一人口を開くこともなく、黙々と歩みを進める。ほとんどの者は疲労や恐怖、それらに苛まれて頭の中は搔き乱されたようにめちゃくちゃで、それでもあの恐ろしい出来事や光景から遠ざかるために、無意識に足を動かしているだけであった。

 葬送の最後尾に居たエルドもまた、黙したまま歩みを進めるのみであった。傍らに歩いていたクランツが小声で話しかけた。

「隊長」

「ん……?」

 見ると、クランツは歩調を少し遅らせて、前を行く兵士たちと距離を取ろうとしているようだった。

 他の者たちに気取られぬよう、静かに歩調を落として再びクランツの傍らに位置取った。

「聞かれたくない話か?」

「いえ……そうではなく……」

 少し表情を曇らせ、クランツを前方の兵士たちへと目を泳がせていた。

「聞かせたくない話、か」

「……今回の『闇の温床』は……妙ではありませんか?」

「妙?」

 エルドはクランツの言葉に疑問を抱いた。クランツの言う闇の温床というのは、人間と敵対関係にある魔族が寄り集まってできる吹き溜まりのことだ。そこを根源として、闇の気配が周囲へと広がり、あらゆるものを侵食する。

「私の記憶では、以前にも近くに征伐に来たはず……そしてそれは、さっきの地点よりももっと奥地だったはずです」

「ああ、そうだな。だが闇の浸食が進んでしまっているってことなら、何も妙じゃないんじゃないか?」

 確かに以前にも近辺の温床を滅ぼしたことはあった。それはエルドも記憶していたことだった。

「それ自体が妙なんです。早すぎるんです。あの辺りは……これまでにも、尖兵が入り込んでくることこそありましたが、あれほど侵食が進む地ではなかった。しかも、温床が出来てしまうほどには……」

 その言葉に、エルドは一つの可能性を考えた。そして恐らくそれは、クランツの言わんとしている『妙なこと』の答えとなる。

 まさか、とクランツに視線を送ると、彼は苦渋の表情で頷きを返した。

「……だが、今の俺たちに確かめる術は無い」

「……ええ。一刻も早く陛下に──」

 その時だった。

 微かに遠くから何かが聞こえたような気がした。いち早くそれに気付いたエルドが、足を止めて背後を顧みた。他の兵士たちもその様子に気付いて、歩みを止めた。エルドが腰に下げた剣に手を伸ばしている様を見て、皆が息を呑んだ。背筋を冷たい手で撫でられたように身の毛がよだつ。

「…………………」

 風の音。木々の合間を走り抜け、葉を揺らして騒ぐ音だけが聞こえた。ただそれだけの沈黙だったが、そこに居た全員は予感していた。自分たちに起こるこれからの出来事を……。



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