マジック・オブ・ブレイヴ
早河遼
プロローグ
朝の涼しげな風が、教室のカーテンを微かに揺らしていた。朝にも関わらず、喧騒の絶えないこの空間もう一ヶ月も経てば流石に慣れてくるものだ。
そんな教室の窓側の席で、僕は頬杖を突きながら外を眺めていた。勿論、会話する相手が居ない訳ではない。さっきも、クラスメイトと談笑を交わしていたし、僕はこう言ったのんびりとした時間が好きなのだ。
窓の映す景色は、段々と近付く春の終わりを物語っていた。つい最近まで満開に咲いていた桜も散り、青々とした緑葉を生やし始めている。涼しくも少し温いこの空気も、夏へと少しずつ移り変わる季節を感じさせる。
本当にのんびりとした風景だった。まるで、そこだけ時間の流れが切り取られたかの様に。今はこのまま、
「シ〜ルクっ、おはよっ」
……一瞬にして、のんびりした時間が終わってしまった。
この声、僕にとってはお馴染みの物だった。多分、〝彼女〟だろう。
「……やあ、
僕が振り向いてそう返すと、そこに居た彼女は満足そうに「ふふふ」と笑みを零した。
茶髪のショートボブに低めの身長、少し丸っぽい顔立ち。常に明るさを振り撒いている様な、彼女の名は『
いつもこうして挨拶をしてくれる訳だが、様子から察するに、今日の彼女は他に用事がありそうだ。何の用だい、と尋ねようとした所で日野子が手を合わせた。
「ほんと申し訳ないんだけどさ、今日英語の宿題やり忘れちゃって……。写されて貰っても良い?」
……案の定、という感じだ。
「またかよ……、お前、この前も同じ事言ってたじゃん……」
「ごめんてば。次からはちゃんとやってくるから……」
「それも前に言ってたような……ハァ、分かったよ。とりあえず後でな。もう
呆れて溜め息混じりでそう応えると、日野子はパッと目を輝かせる。
「ありがとうシルク! この恩はいつか返すから!」
「……その感じだと、今までの恩が纏めて返ってくると捉えるけど、それでも良いんだな?」
「うぐ……。ま、まぁ、何とかするよ」
そう言って彼女は目を逸らす。全く、相変わらず調子の良いヤツだ。
ま、いつか返ってくる恩を気長に待つとしよう。そうだな、ジュース奢るぐらいで我慢してやっても良いかもな。その方が新たに借りを作れる気がするし。
「あ、そだ」
そんな風に悪巧みしていると、日野子は思い出したかの様に呟いた。
そして、僕と目を合わせる。
「そういえばさ、シルク」
彼女は尋ねた。
「……シルクは、〝魔力〟って信じる?」
そう問うた彼女の瞳は、好奇心に満ち溢れ、キラキラと輝いていた。ただ……。
「………………?」
予想の斜め上を行く質問だったので、つい思考を止めてしまった。
「……え? いきなりどうした? ……〝魔力〟ってあれだよね? 最近テレビで話題になってる」
「そうそう、それの事」
「……何でいきなりそんな質問を?」
「え? いや、昨日バラエティでやってたじゃん。『宙を浮く人間、現る』って。だから、改めて気になってさ」
「……ふ〜ん……」
僕は少し曖昧にそう答えた。
と言うのも、昨晩は外出していたので、そんな番組がやっていた事すら知らなかった。今胸に残っているのは、きっと話についていけていない人が感じる罪悪感だろう。
ただまぁ、質問の意図は理解出来た。それに、彼女の言う〝魔力〟という言葉も知っている。何故なら、最近よく飛び交う単語だからだ。
〝魔力〟。
それは、特定の人が何らかの原因で、異能力を操る様になるという物。何らかの原因、というのは未だに解明されておらず、詳細は謎に包まれている。
その〝魔力〟によって、人が宙に浮いたりとか、テレパシーを使ったりとか、雷を起こしたりとか、様々な現象を引き起こすと言う。有名な物だと、数年前にある一人の少年が、その〝魔力〟とやらで、天に届く程の巨大な大木を出現させた事が話題になっていた。
「それで、質問の答えは?」
日野子はその場に座り込むと、僕の机に伏せて、じっと目を見つめてきた。
その仕草が少し可愛らしかったので、機嫌が良くなる様な返答をしたい所だったが、生憎返す言葉は決まっていた。
「……信じない、かな」
「……はぁ〜〜〜〜っ」
腕を組んでそう答えると、目前の彼女は長い溜め息を吐きながら、机に突っ伏した。予想通りの反応だ。
「やっぱりねぇ……。そうだよね、シルク、そう言うオカルトじみた事信じないもんね」
「まぁね。まぁ、〝魔力〟の存在を完全に否定する訳では無いよ? もしかしたらあるかもだし。だけど……」
「だけど?」
「……信憑性に欠けるんだよなぁ。今ではCGとかで映像を加工出来るし、マジシャンによるトリックという説も考えられるからね」
淡々とそう言うと、日野子は顔全体で呆れた様子を表し、若干身を引いた。
「うわぁ……。理由が現実的過ぎてつまらないなぁ……。シルク、このままじゃただのつまらない男になっちゃうよ? もっと夢を見ないと」
「夢見過ぎなのもどうかと思うけど……。はいはい、後ろ向きに検討しておくよ」
そう言いつつも、何気にごもっともな意見を突き付けられ、少し考えを改めるべきだと感じた僕であった。とてつもなく面白味の無い理由だと自覚しているし、もし本当に存在していたら羞恥心で死にたくなる。
まぁ、ただそれなりの〝理由〟は、他にもあるのだけれど。日野子にも言った事の無い、個人的な理由が。
……とここで。
教室全体にチャイムの軽快な音が響き渡った。
「あ、もうそんな時間なんだ。それじゃシルク、また後で宜しくね」
「やれやれ……。次からは気を付けろよ?」
「分かってるって。それじゃあ、またねぇ」
そう言い残して、彼女は自席へと去っていった。その背中を見送る様に、目を追った。
いつもと変わらない時間だった。騒がしいこの空間も。この窓の景色も。幼馴染との会話も。
だからこそ、僕は知る由も無かった。
……目の前の景色が、〝とある出来事〟によって、一変するという事を。
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