分かたれた世界の架け橋

祥之るう子

第1話 エヴァナブルグ

 人工陸上都市、エヴァナブルグ。

 その軍港に、直人は、海側の手痛い反撃をくらって、ほうほうのていで帰港した。

 暗い茶色のショートヘア、黒い瞳の直人の顔は任務失敗の自責の念でいささか暗く沈んでいる。

 陸側の最新小型潜水艇キリシマは、頑丈にできているので、直人自身に目立った怪我はない。

 だが、キリシマの方は一部パーツが破損したり、ボディがへこんだりしていて、海底からエレベータで回収された後、直人が降りるなり修理のため、ドック行きとなってしまった。

 これでは任務失敗で資源を持ち帰られないどころか、損失が発生していろいろとマイナスだ。


「はぁ……」


 直人が我知らずついたため息は、エヴァナブルグの空気清浄システムに吸

い込まれていった。

 不意に、突然緊急車両が警報を鳴らして車道を駆け抜けていった。

 何か事件だろうか。

 気を引き締めて街の様子をうかがうと、何だかあちらこちらに武装した警官や軍人たちが多いように見える。

 直人が今立っているのは、軍の港だ。軍人や警官がたくさんいてもおかしくはないのだが、普段よりも明らかに多い。

 そう言えば、キリシマから降りたときもいつもより入念にチェックされたような気がする。あれだけの無様な帰港だったので、怪我を心配されているのだと思っていたが。


「アリス、何か事件……」

 があったのかと言おうとして、二の腕の端末の画面に出ていた『省エネモード』の文字を見て、直人はフリーズした。

 海底でのサバイバルから何とか生還したものの、持てる燃料の全てを使い切ったため、自分の端末のサポートAIであるアリスを起動する余力すら残っていないことを忘れていた。

『省エネモード』の文字が、アリスの抗議文のように感じられて、直人は再度ため息をついた。

 直人はいよいよ自分が情けなくなって、こんなところで傷心に浸っている場合ではないと、上司からの叱責を覚悟して管理局に向かうべく、駐輪場へ足を向けた。


「こりゃーナオトはん! 本日はお日柄もヨロシュー!」


 と、踏み出した先に直人の腰ほどまである丸い影が、自分の体の一回り以上もあるパンパンのリュックを背負って、ヨタヨタと歩いてきた。


「ああ。カモ商会の」


 愛嬌のあるコントラストの茶色い羽毛に包まれた身体と、ヒレのついた足でぺちぺちと歩いてきたのは、この街ではよく見かけるカルガモ族の商人だ。


「いややなあ! ネギやんて呼んでくださいな!」


 カルガモ族の商人ことネギやんは、ぺちっとおでこを叩くように羽を動かした。もちろん、ぺちっとは鳴らない。

 全体が黄色く、先端だけが黒いくちばしで、人間の言葉を話し、グアグアと笑う。ネギやんは、カモ族の中でもかなり人間文化に精通していると言える。普通のカモ達は、カモ族の言語しか話せない者がほとんどだ。


 カモ族は、この百年間で劇的な進化を遂げた種族のひとつだ。見た目には百年前と大差はないらしいが、知能や身体能力を格段に進化させて、大きなコミュニティを形成した。今では、人間など他種族と交易や政治的なやりとりをすることで、この歪んだ世界を渡り歩いている。

 このネギやんは、その最たる存在のようなもので、もはや見た目以外は人間と全く変わらないのではないかと直人は思う。

 独特の訛りのある人間の言語を話して、大きなリュックにパンパンに商品を詰め込んで、ご丁寧に『あなたの味方。カモ商会』と書かれたのぼりまで背負って、街中で行商をして歩いているのだ。しかも、エヴァナブルグ市役所から許可も取得済みらしい。

 そして、他のカルガモたちに比べて、太めで、丸くて、ずいぶん大きい。


「いや、カモのあんたをネギと呼ぶのはどうもな……」

「何でですの! 知ってまっせ! カモがネギしょってくるぅ言うンは、嬉しいことが二つ同時にやってきて、ハッピーになる縁起のいい言葉やて! ウチのじいちゃんが縁起のええカモになれるようにてつけてくれた、自慢の名前ですやん! じゃんじゃん呼んでや!」


 ネギやんはえっへんと胸を張った。


「そうか……じゃあ、ネギやん」

「はいな! いいパーツ入ってまっせ!」


 ネギやんは細い目でウィンク(できているかほとんど分からないが)して、直人の後ろの駐輪場に停めてある、オフロードバイクを指した。


「あ、いや、この間メンテしたばかりだからさ」

「ほんなら、お疲れの身体に滋養強壮カモ印のホタテドリンクもありまっせ!」

「いや、あの、俺、仕事から戻ってきたところでさ。ちょっと今買い物ができないんだ」


 何せ代金を支払おうにも端末はスリープモードである。個人用の端末は管理局しょくばのロッカーに置いてきているし。


「それよりも、何だか騒がしいけど、事件でもあったのかい?」

「おや。アリスはんはお休みでっか?」


 ネギやんは情報通だ。その愛嬌ある身体と話術で人の懐にするりと入りこんで、情報を得る。


「いや、その、ちょっと省エネ中でさ」

「ははぁー。厳しいご時世でんな」


 ネギやんは「お察ししまっせ!」と言って、うんうんと頷いてみせた。


「まあーナオトはんは、職場に戻られた方がウチより詳しくわかるんと違いますかね」


 そう言うと、ネギやんはまた細い目でウィンクのような仕草をした。


「少なくとも、人間さん方のケンカではありまへんで」

 なるほど。

 ネギやんも何か知ってはいるが、話しにくいことか、確証がないことなのだろう。

「そうか。それもそうだな。ありがとう。急いで戻ることにするよ」

「ほんならまた。ウチ、夕方ユイはんとこにもお邪魔しますさかい」


 ほなまたーと羽をバサバサさせながら、ネギやんはぺちぺちと歩きだした。

 直人は片手を上げて見送ると、愛車のオフロードバイク・セローにまたがった。



 セローで駆け抜けた街中は、やはり普段とは違う、はりつめた空気だった。

 タブレット端末を見ながら、周囲に指示を出している人間も多く見かけたので、事件が起こったというより、何かがこれから始まるような雰囲気だった。


 愛車を庁舎の駐輪場に停めるときも、庁舎に入るときも、いつもより厳しくチェックを受けた。どこからどう見ても、局の制服を着た、いつもの直人だというのに。


「いったい何事だよ」


 ここまでの事態になるからには、省エネモードでも確認できる緊急通知が出ているのでは……と思ったのだが、特に何も届いている様子はなかった。

 つくづく、アリスを起動できないことが悔やまれる。

 ひどい自己嫌悪に襲われながら、直人がやって来たのは、直人の直属上長である資源管理課・海中資源管理班班長の執務ブースのパーティーションドアだった。


 覚悟を決めて軽くノックをする。

「入れ」


 淡々とした、冷静な声が返ってきた。


「失礼します」


 ブースの中は、大きく立派なデスクと大人の背丈ほどもある観葉植物の鉢植えを置いても、デスクの前に大人三人は余裕で並べるくらいのスペースがあった。

 中に一歩踏み出して、ドアを閉める。

 デスクの方を見ると、班長はこちらに背を向けて、エヴァナブルグの街を見下ろしていた。


「ナオト・オオサワ。戻りました」


 姿勢を正して敬礼をする直人を、班長は振り向くことなく立っていた。

 身長は高い方だと自負している直人でさえ、見上げなければ目を合わせられないほどの高身長で、直人の倍はあるのではないかと思うほど大きくたくましい背中。

 浅黒い肌と、両サイドを剃り上げた黒髪のソフトモヒカン。彼の民族の故郷――既に失われてしまった島――の伝統的な髪型だと聞いた。

 その黒髪がゆるりと揺れて、精悍な顔立ちがこちらを向く。

 年齢は直人より一回りほど年上で、鋭い眼光の中に、年齢を重ねてきて得た落ち着きが見える。頬や額には、彼の民族の伝統的なトライブタトゥーが彫られている。


「よく戻った。ナオト」

「はっ……はい」


 予想外の上司の優しい第一声に、直人は思わず間の抜けた声色で返事をしてしまった。

 班長は片眉を上げて、困ったように笑った。


「私が、理由も聞かずに任務の失敗を叱りつけるような男だと思っていたのか? だとしたら心外だ」

「あっいえ、そんなことは。その、どれだけ叱られても仕方のないくらい大失態だったと思っていたので……それで……」

「ふむ。まあ、大失態ではあっただろうが」


 目を細めて班長は、いたずらっぽく言った。うぐっと直人が口ごもる。

 班長は直人の様子を見て、何故か満足そうな顔をすると、手元のタブレット端末を操作した。

 班長の後ろの大きな窓に複数のウィンドウが表示され、映像が同時に流される。

 もちろん、この映像も、室内も、窓の外からは見えない構造になっている。

 映し出された映像は、アリスが送信したコックピットの映像や、ソナーのデータと、それを元に作られたであろう、キリシマと敵機の予想配置の図などだった。


 ――こうして見ると、情けないな、俺。


 穴があったら入って埋まりたい直人だったが、班長は涼しい顔でこちらを見つめていた。


「君も気付いただろうが、ここまでの警戒網は異常だ。明らかに普段の海側とは違う」

「は、はい」


 いつもの海側の警備とは比べ物にならない敵潜水艇の数。普段の追い払うための警告行動とは全く違う、一撃目を思い出して、直人は今更ながらにゾッとした。



 あれは、確実に撃ち落とすための――殺すための攻撃だった。



「これを見てくれ」


 班長が窓のモニターいっぱいに拡大した映像は、キリシマと敵機の行動を点で再現したシミュレーターの映像だ。

 キリシマに向かって、たくさんの敵機を表す点から放たれる、攻撃を表す無数の小さな点たち。

 これだけの数から、よく自分は生きて帰ってきたものだと、空寒い気分になる。


「この海側の潜水艇の数。明らかに平常時の倍以上だ。まるで事前に我々の採集ルートを知っていたかのようだと思わないか?」

「!……それって……?」


 直人は、班長に言われて画面を凝視する。

 海側は技術的な理由で、多くの高性能な潜水艇を用意するのは難しいはずだ。この数の潜水艇を一点のポイントに集めているということは、他のポイントに配備されていたものたちも、こちらに集めたとしか思えない。


「どこかから……情報が漏れている」


 班長が小さな声で呟いた。

 直人はごくりと喉を鳴らした。


「そんな……。でも、そんな、一体誰が、どうやって……」


 管理班の資源採集ルートは、極秘扱いだ。その情報にアクセスできる人間は限られている。同じチームに裏切り者がいるなど、直人は考えたくもなかった。


「分からない。仲間のなかに裏切り者がいる可能性もあるが、外部からのハッキングという線もある。今、私のロリーナにハッキングの痕跡がないか確認させている」


 班長は直人の気持ちを察したかのようにそう言った。

 ロリーナとは、班長のサポートAIだ。直人でいうところのアリスと同じ存在。


「そんなわけもあって、庁舎内の警備を少し厳しくした。君もここに来るまでに面倒な目に合ったろう。幸か不幸か、とある通知が政府から来たので、それの関係で警備を厳しくしたと、表向きは言ってあるがな」

「とある、通知?」


 班長は、再度タブレット端末を操作した。画面に出ていた映像が消え、今度は政府からの文書が表示された。


「和平協定締結に向けたイベントの開催について……?」


 直人が読み上げると、班長は椅子をひいて腰掛けながら答えた。


「そう。和平協定だ。海側との」


 班長は、何だか急に疲れたような声になった。


「和平って……」

「これが無事に成功すれば、今までのようにコソ泥の真似事など、しなくて済む……ようになるかもしれない」

「コソ……」

「何でもない。今のは忘れてくれ。友好的に、海側から、貿易品として資源が運び込まれるようになり、こちらからは技術や産業製品があちらに届けられるようになるだろう」


 とても素晴らしい話のように聞こえるが、絵空事のようにも聞こえる。

 そもそも、海側の人間たちが受け入れるメリットを感じるのかどうか疑問に思えた。

 海側の人間たちは、陸上とはかけ離れた海底の環境に順応するため、陸側の人間とは違う身体的な進化を遂げた。そもそも、生物としての身体構造から変わってきているのだ。彼らに、陸上の生活で快適に暮らすための陸側の技術は不必要なものなのではないか?

 更に、陸側の人間のなかには、既に海側の人々を人類としてすら見ていないような、差別的な者たちも少なくない。

 とてもうまくいくとは思えない。


「協定が結ばれれば、狩りも廃止される」

「えっ?!」


 直人は思わず目を見開いて、班長の顔を見つめた。班長はまっすぐに直人を見つめ返している。


「……本当ですか?!」

「ああ。本当だ」


 狩り――それは、これ以上環境を破壊したり、生態系を壊さないよう、増えすぎた生物を刈り取ること。はるか昔に、人類が勝手に取り決めた、世界のルール。

 数年に一度、決められた期間、決められた区画で、予告なく行われる大虐殺。

 人も、カモも、動物も、海も陸も、無関係に無差別に、無慈悲に降り注ぐ、砲弾の雨。

 かつての人類が、繁栄を極めた末に星を蝕んでしまったことへの反省から生まれた、ヒステリックとも言える対処療法。


「それは――成功させるべきでしょう」

「そう。必ず成功させなくてはならない」


 力強い言葉とは裏腹に、どこか暗い班長の表情に、直人は少し不安になった。


「ところで、イベントとは?」

「続きを読んでみろ」


 班長に言われて、通達の本文を読む。

 そこに書かれていたのは、エヴァナブルグにカルガモ族の族長のご息女が、和平の特使として、海側の親書を携えてやってくることだった。

 それに伴い、カルガモ族の姫君がエヴァナブルグ商業区画でパレードを行う計画があるとも書かれている。警護には、クロガモ族の戦士も参加するとある。


「クロガモ族が来るんですか?」


 クロガモ族は、ネギやんたちカルガモ族と同じように進化したカモだが、見た目は全身真っ黒で、カルガモ族が人間に友好的なのに対して、クロガモ族は決して友好的ではない。人との関わりを嫌うが、狩りには積極的に参加

していて、かなり攻撃的な種族だった。


「ああ。最後の一文を読んでみろ」

「へ、あ、はい。えっと……なお、資源管理班は当日のイベント設営・警備等への参加は不要とする……?」


 直人は目をしば叩いた。何故、こんなことが書いているのだろう? カルガモ族の姫君のパレードとなれば、興味を持った市民がたくさん訪れるだろうし、かなり大がかりなイベントだ。

 軍や政府に関わる仕事をしているものなら、猫の手も借りたい状況になるだろうに。

 まあ、資源管理班は警察でも警備員でもないのだから、こういったイベントの主催には無関係と言えば無関係だが、わざわざ名指しで参加不要とはどういうことか。


「我々管理班は、海側からみればコソ泥でしかないのだよ。にっくき罪人がその場にいては、結べる手も結べぬというわけだ」

「な……」


 何という言われようだろう。

 海側から憎まれる仕事をしている自覚はあったが、それは陸側みうちの為なのだ。仕方なく汚れ仕事を引き受けてきたのだ。まさか、その政府みうちからハブかれようとは。

 なかなか複雑な気分だった。


「まあ、そんなわけで、我々はパレード当日は臨時休業だ。存分に観客としてパレードを楽しんでくれたまえ。ただし、私服でな」


 班長は、モニターの画面を全て消すと、椅子をくるりと回転させて、また、窓のそとのエヴァナブルグの街を見下ろした。

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