第11話 夜の色

 アンジーを軽くあしらったマコトは、スポーツ飲料水とウエットティッシュを持ってソファから腰を浮かせる。

 いまだ戻らない立石の様子を窺う為――もし、体調が優れず戻れないのだとしたら介抱の必要がある、と判断したうえでの行動だ。


 しかし、そうしてマコトが腰を浮かせると――



「いやぁ、情けない姿を見せてしまったね……」



 そのタイミングで立石が戻り、マコトの視線は声のした方へ向けられることになる。



「体調の方は……如何でしょうか?」


「うん、万全とはいかないまでも吐き気だけは治まったよ。

心配させてしまったみたいで申し訳ない……それで、吉岡君から話は聞けたのかな?」


「は、はい、この場所がバリケードによって守られていること。

それと、三つの派閥が存在していることを教えてもらいました」


「そっか、ということは――吉岡君。

僕達が中立派であることや、その経緯についても話した感じかな?」


「え? あっ……」



 そう尋ねられた吉岡は、思わず不安げな声を漏らしてしまう。

 実際、「立石の家族」について口止めをされていた訳ではなかったのだが、改めて尋ねられたことにより、「話さない方が良かったのか?」という疑問を抱いてしまったからだ。



「えっと……その……」



 従って、答えに詰まってしまった吉岡は、動揺のあまり目を泳がせ始めてしまう。

 が、そんな吉岡の姿を見て、マコトは責任を感じてしまったのだろう。

 


「課長、私が無理やり聞き出したんです。

課長の様子が気掛かりだったので、無理を言って話を聞き出すような真似をしてしまいました……本当に申し訳ありません」


「お、小野屋?」



 マコトは、「話を聞いた」という事実を悪い方向で誇張し、吉岡に非は無く、自分に非が有ったことを伝えようとする。



「本当に、本当に申し訳ありませんでした」



 更にマコトは、謝罪の言葉を重ねると頭を下げようとし――



「お、小野屋君が謝る必要なんて無いよ!

ほ、ほらほら! あ、頭なんて下げなくて良いから!」



 その行動は、立石によって止められることとなった。



「まったく……君達はこのような状況でも変わらないんだね」

 

「「へ?」」



 立石が呆れるように呟くと、マコトと吉岡は間の抜けた声を漏らす。

 そして、そんな間の抜けた声を聞いた立石は、二人の肩を満足気に叩き、くつくつと笑い始めてしまう。


 対して、立石が「満足気」である理由に見当がついていない二人。

 呆けた表情を浮かべながらも、逡巡するかのように視線を彷徨わせる。


 しかし、いくら逡巡したところで答えに辿り着くことは無いのだろう。

 何故なら、二人が入社してから今まで、目を掛け、面倒を見てきた立石だからこそ感じる「満足感」であり「喜び」に他ならないからだ。


 要は知っているのだ。マコトと吉岡という人物の人間性を。

 どちらかが困っている時に庇ってやることができる――或いは手を差し伸べてあげることができる人物であることを。 


 だからこそ、マコトが「誇張」し、吉岡を庇ったことなどお見通しであった。

 ゆえに嬉しく感じたのだ。

 このような世界になってしまったというのに、二人に変わらぬ思いやりがあること――他人を思いやれる優しを持ち続けていてくれたことが。

 

 とはいえ、立石も大人であり、大人だからこそ本心を口にすることに対して気恥ずかしさがある。

 だからだろう。



「その気持ちを忘れないで欲しいな」



 立石は優しく笑い、遠回りな本心を伝えるのであった。

 

 


 


 その後も説明は続けられ、話を聞き終えたマコトは大きな溜息を溢した。



「もしかしたら――って希望くらいはあったんですけどね……」



 そう言うと、白髪交じりの頭をガリガリと掻いたマコト。

 そんなマコトを慰めるでもなく、立石と吉岡は現実を突きつける。



「そうだね……丸一日以上経過しているっていうのに政府はだんまりだよ……

インフラが壊滅しているというのも理由だろうけど、政府が機能しているなら何かしらの情報があっても良い筈だからね。それが無いとなると……」


「政府自体が機能していない。或いはお偉いさんだけ海外逃亡した――っていうのが立石さんと俺が出した結論なんだけどよ……」


「正直、それも怪しいって話もしているんだ。

これは前例のない異常事態だし、この異常事態が日本だけで起きていると考えるのは早計かも知れない、ってね」


「何かしら情報があれば良いんだけどな……テレビも映らなけりゃ、ネットにも繋がらない。

頼みのラジオ放送も、ずっーと砂嵐状態だよ」



 現実を突きつけられたマコトは眉根を揉むと、アンジーに小声で話しかける。



『そこんとこどうなんだよ?』


『ん? これは世界の転移だと言ったじゃろ?

この場所で起きていることが世界中で起きているとなれば、想像に難くない筈じゃ。

まあ、この世界の政がどのような仕組かは分からんが、正常に機能していると考えるのは楽観的と言わざるを得ないじゃろうな』


『……貴重なご意見ありがとうよ』



 アンジーの話を聞いたマコトは、再び大きな溜息を吐く。

 そんなマコトを見た立石と吉岡は、マコトを励まそうと考えたのだろう。



「と、ともあれ! こうして会えたんだ! 一緒に困難を乗り越えていこうぜ!」


「そうだね! 外と比べたら此処は安全だし、今後のことを一緒に考えていこうよ!」



 二人は明るい声を出し、笑みを浮かべるのだが……



「それは……出来ません」



 マコトは二人の誘いに対して、否定の言葉を返した。



「な、なんでだよ?」


「吉岡……悪いんだけど、此処で【はぐれ】――黒いオークを見掛けていないって言ったよな? それが理由の一つだ」



 説明を聞いた際、【はぐれ】の情報を手に入れることができなかったマコトは、誘いを断る理由のひとつとして【はぐれ】が周辺に居ないことを挙げる。



「そ、そいつが小野屋の両親の仇だって話は聞いたよ……

お、親の仇を討ちたいって気持ちは立派だけど……立派だけどよ!?」


「悪いな吉岡……どうしてもそれだけは譲れないんだ……

それに……スズネ――秋野もここに居ないみたいだからな」


「秋野? 秋野ってロリ巨乳の秋野だよな?」


「ロ、ロリ巨乳って……あ、ああ、その秋野だよ。

つーか吉岡、この異変が起きてから秋野を見なかったか?」



 続けてマコトは、誘いを断る理由としてスズネの名前を挙げる。

 すると――



「秋野なら見掛けたけど、そういや昨日の夕方くらいから見掛けてないな……」


「なッ!? 此処に居たのか!?

吉岡! 秋野は何処に居るんだ!?」


「お、落ち着け! 落ち着け小野屋!」



 スズネに関する情報を聞かされたマコトは、情報源である吉岡の肩をゆすり始める。

 そして、そのようなやり取りと、「秋野」という人名を聞いたことで立石は思い出したのだろう。



「そ、そうだ小野屋君! 秋野君から言伝を頼まれていたんだよ!

えっと、確か……「小野屋先輩がきたらデスクの引き出しを見るように言って頂けませんか?」だったかな?」


「デスク?」



 スズネからの言伝があることを伝え、それを聞いたマコトは自分のデスクへと駆け寄り一番上の引き出しをガンと開いた。



「手紙……か?」



 引き出しにあったのは二つ折りにされたB5サイズのコピー用紙。

 マコトはコピー用紙を開くと、そこに綴れていた文章に目を通し始める。


 が、


『小野屋先輩のことが大好きでした』



 そこに綴られていたのは短い文章で、一瞬で読み終えてしまうような、何処か悲しみ満ちた文章であった。



「なんだよこれ?」



 マコトは手のひらに爪を喰い込ませる。



「なんで過去形なんだよッ」



 噛みしめた奥歯がバキンと鳴る。

 


「課長! 秋野は! 秋野は!?」



 続けて立石へと視線を送ると、声を荒げながら尋ねた。



「あ、秋野君は此処に居ないよ……昨日の夕方。

陽が落ちる前に此処を出ていってしまったよ……」


「な、何で止めなかったんですか!?」


「止められないよ……秋野君が「家族」の為と言ったら止められる筈がないだろ!?」


「ぐっ……」


「?」



 吉岡は兎も角として、管理職である立石と親交の深いマコトはスズネの家庭環境を充分過ぎるほどに理解していた。

 スズネには両親がおらず、姉であるスズネが二人の妹を養っていることを知っていたのだ。


 ゆえにマコトは言葉を飲み込む。

 それと同時に、八つ当たりのように声を荒げたことを反省したマコトは、深呼吸をしてから立石に話しかけた。



「ということは、秋野は埼玉に向かったんですね?」


「そうだね……詳しい場所は分からないけど、妹達と暮らしている筈の埼玉に向かった筈だ」


「分かりました……それじゃあ、俺は今から埼玉に向かいます」


「お、小野屋君!? な、何もこんな時間に!」


「お、おい待てよ小野屋! き、今日くらいはここで休んでいけよ!」


「課長、すみません……吉岡、悪い……」



 マコトは制止の声を振り切るようにして深々と頭を下げる。

 そして、ソファから立ち上がると同時にベルトループに提げたバイクのキーをチャラリと鳴らすのだが……



「きゃああああああああああああああああ」


「おい! おい! 駄目だ駄目だああああああああ!」



 ほぼその瞬間、ビルの外から悲鳴が聞こえ始める。



「悲鳴?」


「な、何が起きてるんだい!?」


「ま、まさか小野屋の言う魔物か!?」



 マコト、立石、吉岡は悲鳴に対して困惑の声を挙げ窓際へと向かう。

 が、そんななかアンジーだけが困惑することも無く疑問を口にした。



「のう? 死体はどのように扱っておるのじゃ?」


「え? あっ……駅前の地下駐車場に安置しているけど……」


「ふむ、火葬文化が根付いているようじゃから死体はすぐに燃やすものかと思っておったのじゃが……

路上に転がされた死体を見た時に気付くべきじゃったのう」



 一人納得するように頷き、反省するアンジー。

 そして――



「のうマコトよ? 夜になると色を変えると言ったじゃろ? 要するにこういうことじゃ」



 アンジーは窓際から眼下を差し――



「人が……人を襲ってる?」



 眼下を見たマコトは、臓物を垂らしながら人を襲う「ナニカ」を見て、頬を引き攣らせるのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る