第16話 黒咲葉菜「ボウエイジャーは嫌いです」

 お手洗いから戻っていらっしゃった緑埜さんを拝見し、至極キュンキュンしました。


 なんと可愛らしいお姿なのでしょう。




 もちろんスカートの横のファスナーは締まりませんが、わたくしのスカートを着用なさった緑埜さんは、恥ずかしそうにスカートを抑えながら、こちらに歩いていらっしゃいました。




 そのお姿は人魚姫にも、いえ天女にも見紛みまごうほどでございます。


 眼球と鼻孔が少しだけ腫れているご様子も、愛らしさを増しています。




 わたくしは緑埜さんからスラックスを受け取り、早速、修繕を始めました。




 裁縫針を生地に挿入した瞬間、わたくしは驚愕いたしました。


 針と生地の摩擦による抵抗を、まったく感じなかったのです。


 さすがは『ミラノクチート』です。






 緑埜さんとの和やかな時間は、昔からのお知り合いであるかのようにも感させてくれたのですが、よくよく考えれば、お会いするのはまだ二度目です。


 お互いのことを、ほとんど存じ上げません。




 わたくしがお裁縫作業をしている間、様々な会話を緑埜さんと楽しみました。




 わたくしの真実の名前が黒咲葉菜くろさきはなであること。


 緑埜さんのお仕事が公務員であること。


 わたくしが在籍していると、品性がかんばしくない殿方にトラブルを起こされるため、止むを得ずキャバクラを退職してしまったこと。




 緑埜さんはわたくしの一言一言に対し、感心なさったりにこやかに微笑んでくださったりなさいました。


 それは、緑埜さんのお言葉に対するわたくしも同様です。




 しかし、ひとつだけ、正直にお答えできなかったご質問がございました。




「【特警戦隊ボウエイジャー】のことはどない思います? 好きですか?」




 わたくしのお裁縫の手が止まりました。




 ありていに申し上げると、激しく嫌厭けんえんしております。


 彼らのせいで、わたくしの望む一般的な女子大生の生活が破壊されているのですから。




 しかし、そのような事実は申し上げられません。




 なぜなら、ボウエイジャーは大多数の方々にとっては正義の味方です。


 この国に住む民を、【漆黒の亡霊わたくしたち】から守っていらっしゃるのですから。


 嫌厭しております、などと申し上げれば、きっとわたくしは嫌われることでしょう。




「……別段、何も感じません」




 虚偽と真実、その間の発言しかできませんでした。


 緑埜さんの肩が、少々落ちたように感じました。




「緑埜さんは、ボウエイジャーがお好きなのですか?」


「……ん? ああ、僕も特に……ですね」




 無理をしていらっしゃるのは分かります。


 緑埜さんも男の子です。


 戦隊ヒーローに憧れ、戦隊ヒーローに育てられたと申しても過言ではないでしょう。




 ご無理をさせて、申し訳ございません。




 緑埜さんは少し俯いた後、顔を上げ、わたくしの顔を直視なさっておっしゃいました。




「葉菜さん」




 ああ、なんと言うことでしょう。


 緑埜さんがわたくしの名前を、しかもファーストネームでお呼びになりました。


 恐悦至極にございます。


 許されるのなら立ち上がり、この場でクルクルクルクル回りたい。




 そしてわたくしも、「航平さん」と、お呼びしとうございます。




 わたくしの横で、あひるが意味ありげな笑みをこぼしました。


 な、何も、舞い上がっておりません。


 わたくしはあひるに『愛ペチ』を施しました。




「葉菜さんって……、か、彼氏とか……いてんの?」




 とか? ……とか。……なるほど。


 彼氏とか、彼女とかという意味での「とか」でしょう。


 わたくしが性的少数派マイノリティであるかもしれないことを考慮なさった上でのお気遣いでございますね。


 なんともお優しいお方。




 そういった方はおりません、その旨をご報告しようとしたとき、異なる考えも生まれました。




 もしかすると、「とか」には父親とか母親、兄弟とか姉妹も含まれるのかもしれません。




 どこからお答えすれば良いのでしょう。


 兄弟姉妹はおりませんし、母はわたくしが幼いころに行方不明に。


 父は【漆黒の亡霊ブラックファントム】の総帥ですから、打ち明けるわけには参りません。




 ああ、もう全員いないことにしてしまいましょう。




「おりません」




 緑埜さんには、天涯孤独の女子大生のように伝わってしまったことでしょう。


 しかし彼は、安堵した様子で、そうですかとおっしゃいました。




「葉菜さん……良かったら、メ、メル……」




 わたくしのスマートフォンの電子音が、緑埜さんのオーストラリアの都市について話そうとなさるお言葉を遮りました。




「少々、失礼いたします」




 スマートフォンの画面には、予想通りの表示がございました。




 ※妖魔獣指示命令※


 場所:表参道交差点付近


 妖魔獣ゼラチンマン(物質系)




 わたくしがあひるに目線を送ると、あひるはゆっくりと首を横に振りました。


 左様でございますね。指令には逆らえません。


 それに……




「申し訳ございません。退きならない急用ができてしまいました」




 わたくしが頭を下げて申し上げると、緑埜さんは大変驚いたご様子でした。




 緑埜さんとのお時間は大切です。


 ですが、ボウエイジャーを倒さなければ、後ろめたい気持ちなくあなたとの楽しい時間を過ごすことができないのです。


 どうか、お許しください。




 わたくしは、老舗の和菓子喫茶店を飛び出しました。




 店の裏側に隠れ、戦闘スーツに着替えました。慣れてしまえば十秒とかかりません。




「助けてもらったのに、お金を払わずに出てしまったでスワン」




 あひるに言われて気付きました。


 なんと失礼なことを! 


 嗚呼、連絡先を訊いておくべきでした。




 緑埜さんも、訊いてくだされば良かったのに。




 ですが今さら、仕方ありません。


 わたくしは、戦闘現場に向かって走りました。




 またいつか、お会いできる日を楽しみにお待ちしております。航平さん。

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