5. 宿題

 翌日の放課後。


 わたしは美解部の部室でひとり画集をめくっていた。


 ビアズリーの絵は、他の誰にも似ていない。


 百年以上前にもひとりぼっちがいたと思うと、少し心がやわらいだ。


 今ごろ猫間くんはどうしているだろう。手でもつないで帰っているだろうか。アイスをいっしょに食べているかもしれない。いや、桧原夕雨はビッチだから早くも二人は昨日の今日で……。


「あああああ」


 本につっぷし頭をかかえる。


 さっきから何度もこうした煩悶を繰り返している。わたしには、自分で自分を傷つけるような倒錯した趣味はないはずなのに。


「こんにちはー」


 と、いきなり部室のドアが開いた。


「猫間くん!」


 勢いよく立ちあがったら椅子を倒してしまった。猫間くんがびくりと身を震わせる。


「え、な、なんで来たの?」


 椅子を引き起こしながら尋ねる。


「そりゃ来ますよ。部活ですし」


 猫間くんはそう答えながら、いつものようにかばんを置いた。


「でも、だって、桧原夕雨が……」


「そのことなんですが」


 猫間くんは真っ正面からわたしを見すえた。


「やっぱり美術部には入りません」


「……はい?」


「あ、『今は』です。今はまだ早いかなって。もう少しここで勉強させてください」


 そう言って猫間くんは頭を下げた。


「えーと」


 猫間くんのつむじを見ているうちに、ようやく頭が回ってきた。


「……ねえ、桧原夕雨はどうしてきみを美術部に誘ったの?」


 猫間くんは頭を少し上げ、上目づかいでわたしの顔を見た。


「僕、中学のときには美術部だったって、前に言いましたよね。その頃描いた絵が、市内のコンクールで入選したことがあったんです。桧原さんはその絵を見たことがあって、覚えていてくれたんです。やたらと褒められましたよ。『真の芸術だった』とか『ひとめ惚れした』とか」


 と、猫間くんは困ったように笑った。


「ふーん。それで猫間くんを誘ったと」


「そうなんです。『美術部で絵を描きつづけるべきだ』って」


「なんで断っちゃったの?」


 わたしはなるべく平板な声でそう訊いた。喜んでいるとか、嬉しがっているとか、変な誤解を与えないように。


「僕にはまだ早いと思ったんです」


 猫間くんは微笑んだまま、遠い目をして語りだした。


「自分でいうのもなんですが、僕、絵はけっこう描けるほうだと思います。でも、ある程度以上にはどうしてもなれなくて。とある人に言われました。『あなたの絵には思いがない。上っ面だけの真似っこです』って。今思うと、桧原さんが見たという僕の絵は、たしかに似てました。この絵に、とても……」


 そう言って、猫間くんは開いたままにしてあった画集に手を置いた。


「どこかで見たことがあったんだと思います。でも、描いた人の名前も、題名すらも知りませんでした。先輩に教わるまでは」


「……」


「僕、知りたいんです。人は何を思って絵を描くのか。それに……」


 そして猫間くんは自分の左腕を見た。


「他にも、解釈したいことができまして」


「そうなの?」


「そうなんです」


「解釈したいのって、どんな作品?」


「作品というか、その、秘密です」


 そう言って猫間くんは人さし指を立てた。


「じゃあ、それは猫間くんの宿題ね」


 わたしが笑いかけると、猫間くんは「はい」と応えた。


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