3. 首輪
「
「それが罪人の名ね」
昨日、わたしは階段の陰からこっそり罪人の写真を撮った。罪人とはもちろん部室の前で猫間くんに対し不届千万な行為におよんだあやつのことだ。
撮影したその場ですぐ、わたしは友人あてに写真データを送り、身許のわりだしを依頼した。
今は一時間目が終わったあとの休み時間。その友人、
「クラスでは男女問わずみんな仲よし。部活でも先輩から可愛がられてるし、ご近所さんの評判も上々。できた子だねえ」
「つまり、誰彼かまわず愛想を振りまくビッチね」
「悪意ある解釈だなあ」
千湖はスマホを見下ろしたまま、にやりと笑った。
千湖は顔が広い。昨日の今日で早速これだけの情報を集めてきた。ご近所さんの評判なんてどこで聞いてきたんだろう。
肩までの髪をおさげにして、長い前髪は真ん中でわけている。千湖は顔も広ければおでこも広い。よく中学生に間違われる。
「てか、この子美術部なんだからやよひも知ってるんじゃないの?」
「わたしは昨年さっさと退部しちゃったから、今年の一年生なんて知らないわよ」
「そういやそっか。今更だけど、やよひって何で辞めちゃったの?」
千湖が訊いてくる。軽い口調。雑談の延長といったくらいの温度感だ。
だから答えは、はぐらかしたっていい。適当な冗談で受け流していい。
でも、わたしはちゃんと答えようと思った。千湖は文句ひとつ言わずにわたしの頼みを聞いてくれた。その恩返しというわけではないけれど、ちょっと勇気を出してみよう。
ということで、わたしは取りだしたルーズリーフに絵を三つ並べて描き、それを千湖にさしだした。
「んー?」
その絵を見て、千湖は眉間にしわを寄せた。
「この左のは、馬?」
「ちがう。それは四つんばいでお散歩しているおじさん」
「……じゃあ、真ん中のはおばさん?」
「まさか。それは犬よ」
「……なら、右のは豚?」
「惜しい。そっちは四つんばいでお散歩させられている、えっと、美少年」
危ない。今、思わず『猫間くん』と言いそうになった。
「わかった? わたし、絵があんまり上手じゃないの」
「え。あー。うん」
「何が足りないのかしら。デッサン力?」
「良識かなあ」
首をひねるわたしに、千湖はそうつぶやいた。
「ねー、千湖! 英語の訳、やってきたー?」
教室の反対側から、金属みたいに明るい声がとんできた。
四、五人の女子がこちらに手を振っている。遠目でも目立つ連中だ。多分、近づくと香水のにおいがする。
「やってなーい!」
と、千湖も負けないくらいの声で叫びかえした。さっきまでとはテンションが違う。表情も別人のように朗らかだ。
「まじでー? 千湖、今日あたるよー? 三組聞きいこうよー」
「おっけー。いくいくー」
と、千湖は席を立った。
そして光るような笑みを浮かべながら、暗い小声でわたしにささやいた。
「……とにかく、やられっぱなしじゃいられないでしょ。びしっと一発言ってやりなよ」
「そうね。部長としてやってやるわ」
「良識のなさを見せつけてやれ」
「千湖ー?」
教室の入口から、化粧の濃い女子が声をかけてくる。
「うーん。今いくー。……じゃね」
そうして千湖は去っていった。
わたしの周りから光が消える。
彼女はあちら側の人間だ。それなのに、ときどきわたしのところに堕ちてくる。何を思ってのことか、わたしは知らない。
「……英語の予習なら、わたしもしてあるんだけどね」
そういうことではないのだ。多分。
スマホに保存した写真を見る。
桧原夕雨。彼女もあちら側だ。
隠し撮りの荒い画像でもわかる。
猫間くんに向けている、その笑顔のまぶしさが。
彼女もきっと描く側の人間だ。
白いカンヴァスに、絵の具を散りばめる側の。
だからといって黙っているわけにはいかない。解釈する側にだって意地がある。
昨日、桧原夕雨と猫間くんとの会話で聞きとれた言葉は二つ。
桧原夕雨の『ひとめ惚れでした!』。
そして、猫間くんの『ちょっと考えさせて』。
猶予はそんなにない。
待ってろ、猫間くん。美解部部長の本領を見せてあげる。
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