30歳独身の軍人貴族は栄転なのか、左遷なのか分からない人事をされるそうです

不破 雷堂

第0話 アルバート・レギンという男

 イスエンド帝国の北方に広がるティスタ平原、二つの山脈に挟まれた南北に長いこの平原は普段であれば穏やかな気候で過ごし易く、街道を行き交う馬車で賑わう場所である。


 しかし、今、この平原は常とは正反対の、生死を分かつ厳しい戦場になろうとしており、平原全体は冷たい緊張感に包まれていた。


 南に陣を構えているのは帝国軍だ。部隊を魚鱗に整列させ、前方にガチガチに防備を構えた重装歩兵を、そして後方に弓兵と魔術兵を揃えた。さらに後ろでは大型の投石機が組み立てられて発射準備が整っている。両翼は騎兵を並べており、魚鱗で敵陣を受け止めてからの包囲を狙うというやや敵を甘く見た布陣である。


 対する北では陣列というものは見当たらなかった。

 

 あるのは群れだ。


 統制もなく命令もなく、本能でうごめく魔物の群れ。


 種族も何も関係なく一塊となった魔物たちは口々に雄たけびを上げながらゆっくりと南下してくる。そのさまは人間に少しでも恐怖を与えようとしているが如く下劣で不気味な行進に見えた。


 しかし、帝国軍には微塵の動揺も無かった。静かに落ち着いて己がなすべきを見据えて、ただただ、敵が交戦範囲キリングレンジに入ってくるのを待った。


 やがて、魔物が射程に侵入するとともに開戦の号砲が鳴った。


 帝国軍魔術師たちが一斉に各々が持つ最大火力の魔法を放ったのだ。


 業火が奔り、強風が舞い、雷光が轟き、氷塊が弾け、水流が押し流し、大地はひび割れた。

 

 初撃は上々の戦果を挙げた。そう思っていた帝国軍は己の見識の甘さを痛感した。


 魔物の群れは先頭の仲間を盾とし、倒れた仲間を踏み台にしてなお進撃を続けたからだ。


 「……なんて奴等だ」

 

 帝国軍の後方でそれを見ていた軍団長は考えを改める必要を感じていた。彼は北方より襲来するのは魔物軍であり、烏合の衆だと思っていた。しかし実情は全く違う。敵は軍ではなく群であり、彼奴らの戦略も戦術も人のそれとは根本から違う・・・・・・、ということを。


 魔術師に第二波を放たせるため号令をかけようとしたちょうどその時、戦場は動いた。


 魔物側から魔法攻撃があったからだ。


 ただちに魔術師たちは防御壁を構築して被害の軽減を図る。前衛の重装歩兵たちも盾で身を隠すようにしてその身を護った。


 その隙を突くように、戦場に影が差した。


 翼持つ魔物たちが群の後方から飛び立ち、すさまじい速度で南へ迫ってきたのだ。


 この動きにいち早く反応したのは弓隊だ。上空から急襲を掛けようとするものを中心に狙い撃ち、次々と射落としていく。


 だが、敵もただ落とされていくだけではない。比較的に大きな体をした魔物の背には何匹かの小型の魔物が乗っており、彼らは帝国軍の陣中に飛び込み混乱を起こしていた。


 既に敵の先鋒がこちらの先陣と接敵するまでに時間はなかった。


 しかし先陣には混乱が生まれており、敵は勢いに乗っている。さらに魔物による魔法で先陣は大きく動きをとれず、魔術師たちも防御から攻撃に転じることは難しい。弓隊も上空から迫る敵の対処で手いっぱいだ。


 このまま両軍の衝突が起きれば、先陣が壊滅してしまう。投石機をフル稼働させて敵群に石礫せきれき五月雨さみだれのごとく浴びせているがその影響は軽微だ。


 何とかしなくてはならない。


 戦場にいる人間の誰もがそう思いながら有効な手立てを打つことが出来ないでいる中で、一つの部隊が飛び出していった。


 100に満たない騎兵の集団がまるで一つの生き物のように駆けていく。彼らは帝国軍の後方からみるみるうちに前線まで至ろうとしていた。それを見ていた投石機部隊は一旦、その手を止めた。


 石つぶての雨が止んだことに気を良くした魔群がさらに勢いを増そうとしたその横っ面に騎兵の群れが突き立った。敵の真ん中に切り込んだというのにその勢いは留まることを知らず、さらに圧力を強めながら周囲の魔物を屠っていく。槍で突き、斧で砕き、戟で首を刎ね、馬で潰し、散々に群を横一線に食らいつくしていった。


 この部隊こそ帝国でも精鋭と知られている遊撃隊“グレイブ”である。部隊長であるアルバート・レギンは敵陣から抜け出た自部隊を振り返って脱落者の数を確認する。予想に反して脱落したものはおらず、皆、いい顔をしていた。勝ちを驕ることなく、緊張を解くでなく、覇気に満ちた戦士の顔だ。


 ついでアルバートは自陣の方へと顔を巡らせた。自軍は既に態勢を整えなおしているが、いまだに魔術師部隊も弓部隊も敵への対応に追われているようだ。


 ならばやるべきことはひとつ、そう結論付けたアルバートは頭上でハルバードを一回転させると今度は敵陣から魔法を繰り出す一群に狙いをつけた。


 そうしてアルバート達、グレイブ隊は再度敵群に突撃を開始した。今度はそれに呼応するように重装歩兵隊が前進を開始して魔群に圧力をかけはじめた。


 後押しを受けたグレイブ隊は今度は敵中枢に向かって斬り進んでいく。丁度半ばまで来た頃であろうか、自部隊の勢いが徐々に落ち始めたのに気が付いたアルバートは敵群から抜け出るべく層の薄いほうを裂いていった。

 

 外に出てきたところでアルバートらグレイブ隊が見たのは当初の思惑通りに半包囲を完成させた自軍とドンドンと瓦解しながら逃走を開始していく魔物の群れだ。


 勝敗は決した。後は時間の問題だというのは誰の目から見ても明らかになっていた。


「引くぞ」


 その一言を発したアルバートは馬首を巡らせて自軍の後方へと進み始めた。


「いいんですか、こんなに簡単に引いてしまって」


 手柄を取り足りない、とでも言いたげに副官が不満げに言うがアルバートはにこやかに笑う。


「手柄ってのはな、立てすぎれば顰蹙ひんしゅくを買うもんだ」


 ほどほどが大事なんだよ、手を振りながら先を行く部隊長の姿に部隊の誰もが戦場とは思えないほどの笑顔を浮かべながら付いていった。

 

 

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