第2話「少女返死」

 晩夏を感じる冷たい秋風が、僅かに開いた車窓から吹き込んできた。


心做しか聴こえてくる蝉時雨や照りつけるような太陽の光も、どこか衰えてきているような気がする。


「もうそろそろ着きますわ、宗介様」


後部座席に座る僕に助手席の和服姿の美少女がチラリと目配せしてきた。

彼女の名は狗甘 柚月葉(いぬかい ゆずは)。

テレビでも有名な占い師の父親を持つ少女。


実はかなりの霊能力者でありながら、その正体を周りには隠している。

歳は十八と若いが、その佇まいや立ち振舞など大人顔負けで大学生である僕など、この柚月葉ちゃんにはまったく頭が上がらない。


「ふあぁぁ!何だ、もう着いたのか?」


両手を伸ばし僕の隣で大きな欠伸を漏らす男性の名は、狗甘 冬弥(いぬかい とうや)さん。


柚月葉ちゃんの実のお兄さんだ。

歳は僕より一つ上で、その端正な甘いマスクのおかげで女性からの人気は高い。

だが本人はそういった事には無関心で、その情熱の本流を全てオカルトへと向けてしまっている。

実際に数々の心霊関係の依頼をこなしてきており、警察が捜査していた、怪異による女子高生失踪事件などを、解決に導いたと噂されるくらい、地元では有名な人だ。


数年前、僕はこの二人と出会った。

血に染まった桜降る場所で……。

とある怪奇現象をきっかけに僕は柚月葉ちゃんのお願いもあって、宗介さんの助手をする事になった。

途中僕が大学を進学する事になって一時的に連絡は途絶えたが、今はまたこうして時間が空いた時に、こうやって二人のお供をしている。


正直この二人といると、僕は楽しくて仕方がなかった。

日常では決して味わえない不可解な非日常。

恐ろしくも悲しい出来事もたくさんあったが、現実と紙一重の危うさが僕を魅了してくるのだ。

そしてこの三人の関係性も、それに起因している。


猪突猛進だが情に熱く困っている人を放っておけない、頼りになるお兄さん肌の冬弥さん。

幼さの中にも妖艶な色気を併せ持ち、実はその身の内に人を畏怖させる程の力を秘めた少女、柚月葉ちゃん。


二人といると、とにかく退屈はしない。


退屈はしないのだが……。


「ふああぁ」


「あら……大きな欠伸が聴こえたのでさぞかしブサイクなトドでもいるのかと思いましたが、兄様(あにさま)でしたか……」


柚月葉ちゃんが振り向きもせず淡々とそう言った。


「ゆ、柚月葉?、お兄ちゃん、さずがに車にトドは載らないと思うな~はは、は……」


頭を掻きながら冬弥さんは苦笑いをこぼしている。


「お嬢様、着きましたよ」


突如、運転席から渋みのあるダンディな声が響いた。


白銀のオールバックに透き通るようなサファイアブルーの瞳。

狗甘家の執事、前田さんだ。


アイルランド系のハーフで歳は知らないが、見た目は五十代ぐらい。

年季の入った皺が、その渋さに磨きを掛けており、いかにもバトラーの名に相応しいと僕は勝手に思っている。


本来は冬弥さん達のお父さんのお付きらしいのだが、そのお父さんが長期の夏休みという事で、急遽日本にいる冬弥さん達の世話係として来日したらしい。


「長旅ご苦労さまでした前田。さぞお疲れでしょう。少しお休みなさいな」


柚月葉ちゃんがねぎらいの言葉を掛けると、前田さんは少し目を伏せた。


「お嬢様がまだ小さい頃から、私はお嬢様のためなら何なりとお世話させて頂こうと誓った身です。例え南極でも、運転してみせますよ……」


いや、南極は車じゃいけないだろ……。


それにしてもなぜこう狗甘家の人々は柚月葉ちゃんに甘々なのだろう。

冬弥さんは極度のシスコンだし、前田さんは終始こんな感じだ。

この分なら間違いなくお父さんも……。


「おい宗介ボサッとすんな、置いてくぞ」


声に振り向くと車は駅のロータリーに停車しており、冬弥さんが車の外で僕を呼んでいた。


実は、さっき僕が退屈はしないのだが……と言ったのを覚えているだろうか?


そう、退屈はしない、この二人といると、しかし……。


車を降りて駅を見上げる。屋根に掲げられた看板には「鎌倉駅」と書かれていた。

島式ホーム1面2線を有する地上駅。階段部はエレベーターやエスカレーターが設置されており、その側には飲食店やコンビニが立ち並んでいた。


本当に来てしまった……古都、鎌倉に。


最初に聞いた時は半信半疑だったが、まさか本当にここまで連れて来られるとは。

大学は今夏休みだから大丈夫だが、そういう問題でもない気がする。

実際正気ですかと冬弥さんに物申すと、「ホテルとっといたから」と即答されてしまった。


「やあ、柚月葉ちゃんに冬弥君」


突然、駅の方から冬弥さん達を呼ぶ男の声が聞こえた。


振り返ると、そこには和服を着た四十代位の日傘をさした男性と、前田さんと同じ白銀色の短い髪をした若い女性が、こちらを見つめ立っていた。


「鷹臣様……」


柚月葉ちゃんは男性の方にそう呼びかけ、深々と頭を下げてみせた。


冬弥さんもそれに習うようにして頭を下げる。


「いやあ、いいからいいから良く来たねみんな」


鷹臣と呼ばれた男性はニコニコとした顔で僕らの前までやってくると、ねぎらうように冬弥さんの肩をぽんぽんと叩いた。


「大きくなったな冬弥君、父君にそっくりだ」


「お久しぶりです鷹臣さん!」


珍しく冬弥さんが子供のように顔を輝かせている。


「ご無沙汰しております、鷹臣様」


「やあ柚月葉ちゃん、相変わらずお母様に似て美しさに磨きがかかってるね」


「あら鷹臣様、相変わらずお口の上手いこと……ふふふ」


袖口で口元を軽く押さえ、柚月葉ちゃんが鈴の音のような笑みをこぼす。


「いやあ嘘じゃないよ?なあ冬弥君」


「まあ柚月葉が可愛いのは間違いないっす!ところで鷹臣さん、ソレは?」


冬弥さんが鷹臣さんの持っていた日傘を指さして言った。


「ああこれ?ほら最近流行ってるでしょ?日傘男子って、知らない?」


「何が日傘男子だ気持ち悪い」


突如、隣りにいた白銀色の女性が、鷹臣さんを睨みつけた。


切れ長で鋭い目つき、綺麗な顔をしていて、柚月葉ちゃんとはまた違った美人さんだ。

言葉使いに多少問題がありぞうだが。


「伊織君……君ね、今全国の日傘男子を敵に回したよ?」


「ふざけるな、お前が気持ち悪いと言ったんだ」


睨み合う二人、この二人は一体……?


「あの鷹臣様、そちらの方が今回の依頼者の……?」


小首を傾げ尋ねる柚月葉ちゃんに二人は慌てて向き直った。


「申し遅れました……私、神埼 伊織(かんざき いおり)と申します」


頭を下げる伊織さんを見ていると、


「ああ、この髪ですか?」


と、伊織さんは、はにかむようにして僕に聞いてきた。


「あ、いや綺麗だなと思いまして……」


「はは、ありがとうございます。アルビノなんです私、目もほら」


伊織さんが自分の目を指さしてみせた。


確かに、瞳の色が赤い。初めてみた。


アルビノ、または先天性色素欠乏症とも言われている。

動物学においては、メラニンの生合成に関わる遺伝情報の欠損により先天的にメラニンが欠乏する遺伝子疾患がある個体の事を言うらしい。


「えと、そちらの男の子は……?」


鷹臣さんが僕の方を見て言った。


「あ、そ、宗介って言います、よろしくお願いします」


「ああ、君が冬弥君の助手……いや、柚月葉ちゃんからは色々と聞いているよ、なるほど君があの……」


そう言って鷹臣さんはニヤニヤしながら僕をじろじろと見回した。


一体柚月葉ちゃんは何を話したんだろうか……。


「おい鷹臣、ここじゃなんだし、そこの喫茶店にでも」


伊織さんがロータリー横にある喫茶店を指さして見せた。


「そうだね、じゃあ柚月葉ちゃん達も」


鷹臣さんの言葉に冬弥さん達は頷き、皆で喫茶店に入る事にした。


軽やかな鐘の音と同時に店に足を踏み入れると、心地よいエアコンの風が僕らを撫でるように流れていた。


その日の気温は32度、真夏の厳しいこの時期に、この環境は天国だ。


僕らは六人がけ窓側のテーブルに着くと、若い女性ウエイトレスに飲み物を注文した。


暫くし飲み物が全員分運ばれてきたのを確認して、おもむろに伊織さんが僕らを見回し口を開いた。


「この度は、私の依頼にわざわざ鎌倉まで出向いて頂き、ありがとうございました」


言ってから伊織さんは深々と頭を下げる。


「いえ、他たっての鷹臣様からのお願いもありましたから。鷹臣様はお父様の、昔からの古いご友人なんです、それに私達兄妹の退魔師としてのお師匠様でもあるんですよ」


僕をチラリと見て柚月葉ちゃんが微笑んだ。


少し気恥ずかしくなりながらも「なるほど」と僕は返事を返す。


「うちの親父は海外にいる事が多かったからな、幼い頃はこの鷹臣さんが俺達の親父代わりでもあったんだ」


冬弥さんはそう言って再び顔を輝かせた。


なるほど、冬弥さんの表情にはそういった訳があったのか。


「伊織君は僕の馴染みの喫茶店の常連客でね、普段なら絶対に僕にお願いごとなんてしない彼女が、僕にどうしてもと頼んできた依頼なんだ、ここは一つ何とかしてあげたいと思ってね」


「そのお願いっていうのは?」


冬弥さんが鷹臣さんに尋ねた。


「まあ僕も拝み屋のはしくれだ、だいたいのものなら僕一人でも良かったんだが……伊織君?」


鷹臣さんの言葉に伊織さんがコクリと頷いてみせる。そして重苦しい口を開いて話し始めた。


以下は伊織さんの話の内容だ。


伊織さんは鎌倉の実家にある老舗の人形師の娘だそうだ。


高校三年生の頃、とある事件が原因でここ地元の鎌倉を離れ、東京の大学に進学したらしい。


その事件とは、ある人形に纏わる悲惨な過去だった。


伊織さんがまだ中学生の頃、祖父が亡くなった。

その祖父の遺品から、伊織さんに似た白銀色の髪をした一体の人形が出てきたらしい。


その人形を祖父が自分の為に作ったものだと思った伊織さんは、人形をたいそう気に入って可愛がっていた。一歳年下の妹が、貸してとお願いしてきても断るくらいに溺愛していたのだとか。

そんなある日のことだった。

人形を目にした父親が突然伊織さんからその人形を取り上げてしまったのだ。

そしてその日から、何かがおかしくなったとのこと。


「父は性格も何もかも変わってしまいました。人形を溺愛し、家族には目もくれず、いつも人形と一緒で、それに対して何か言おうものなら突然大きな声で怒鳴りつけてきたり……母も妹も、そんな父を遠ざけるようになっていました。そしてあの事件が起きたんです」


そこまで言って伊織さんは顔を伏せてしまった。


「その事件っていうのは?」


冬弥さんが尋ねると、伊織さんは再び顔を上げ、結んでいた口を僅かに緩めて言った。


「実家で火事が起きたんです」


「火事?」


聞き返す僕に伊織さんが頷いてみせる。


「酷い火事でした。父のお弟子さん達が運び出せるものを外に出している最中、私は母によって家から逃げる事ができましたが、トイレに行っていた妹だけが逃げ遅れてしまったんです」


「妹さんは無事だったんですか?」


それに対し伊織さんの顔は曇っている。


「父が……父が燃え盛る家の中に助けに入ったんです。私と母は父と妹の無事を祈っていました。暫くして父が炎に包まれた家から飛び出してきました、妹を抱きかかえて」


「よ、良かった」


僕は安堵の溜め息をついた。だが、伊織さんの顔色は晴れないままだ。


すると、伊織さんは躊躇うように口を動かし、やがて意を決したようにして言った。


「抱えられていたのは妹じゃなく、人形だったんです……」


──ガシャンッ!!


突然店内に響く音に、僕は椅子をガタリと揺らした。


「す、すみません」


床に落として割ったグラスを拾い集めながら、ウエイトレスが頭を下げている。


静まり返る店内。重苦しい空気が店内に立ち込めた。


気まずくなり、ふと窓に目をやると、先程まであれだけ晴れていた鎌倉の空に、暗澹たる雨空が上空を覆い尽くしていた。


鎌倉の街に暗い陰りが落ちてゆく、僕にはそう見えて仕方がなかった。



喫茶店での話し合いも終わり、僕達はまた車に乗り込んだ。

件の人形の足取りを追うためだ。

火事の一件以来、人形は伊織さんのお父さんの兄、伊織さんの伯父の元に一時的に預けられたらしい。


しかも、その叔父さんの家も火事で焼け落ちてしまったらしいのだ。

人形はその火事のどさくさに紛れ行方不明となっているのだとか。


人形の手掛かりでもあるその叔父も火事で亡くなり、唯一の人形の目撃者も途絶えたかのように思われたが、一つだけある情報が伊織さんの元に寄せられた。


叔父が亡くなる前日に、とある古書店を訪れていたらしいのだ。

そしてその古書店の持ち主が、何と柚月葉さんと知り合いなのだと。


「着きましたわ……」


柚月葉ちゃんの声と共に、車がゆっくりと止まった。

釣られて後ろから着いてきていたタクシーも同じ様に停車した。


車から下りると、タクシーから降りてきた鷹臣さんが


「ここかい?」


そう言って柚月葉ちゃんを見た。


「ええ……」


こくりと首を傾げて返事を返す。


柚月葉ちゃんは古書店と書かれた木造の看板を見上げ店の中へと入って行く。

僕らもその後に続いた。


「いらっしゃい……ませ……?」


古めかしい店内、カウンターには僕と同い歳くらいの男性が居た。

どうもこの店の店員さんのようだ。


「あら……あなたが柊様のお孫様で……?」


柚月葉ちゃんごその店員さんを見て言った。


「あ、はい、柊は俺の祖父の名前ですけど……あなた方は?」


「申し遅れました……私、以前柊様に、」


柚月葉ちゃんがそう言いかけた時だ


「柊さんから話しは聞いているよ、人形の話だろ」


「雫……居たのかって、えっ?人形?」


突然奥間から現れた美少年に、店員さんは驚いている。


「あっし、失礼しました、こいつは僕の同居人で雫って言います」


「申し遅れました、雫と言います。それで先程の続きですが、」


「おい雫ちょっと待ってくれ、一体何の話だ?爺さんだけなら分かるけど、雫もこの人達の知り合いなのか?」


「なんだい君は……今はそれどころじゃない事くらい察しなよ……」


「察しろって……無茶言うなよ」


「あ、あの落ち着いてください、ぼ、僕らは人形の話が聞きたいだけなんです」


僕は見かねて二人の間に入った。


「そうそう、こっちも時間がねえんだ、悪いけど知ってる事教えてくれないか?」


冬弥さんがそう言うと、二人は顔を見合せた。


「よ、よく状況が飲み込めませんが、とりあえず俺達が知ってる事なら……そもそも人形って?」


「君もよく知っている人形だよ……夜中に家を訪ねに来た、あの気味の悪い人形だ……」


「あっ……!あの人形……あ、あれは、」


店員さんは雫と呼ばれた美少年に言われ、何か苦々しいものを思い出すかのように話し始めた。


それは、とある中年男性が持ち込んだ古書の入った紙袋が原因だったらしい。


査定を頼まれ預かっていた紙袋に、小汚い木細工が紛れ込んでいた。


その夜、この古書店に突然少女の声をした人形が現れ、木細工を返せ返せとせがんできたらしい。


翌日もまた同じ様にその人形が現れ、返せとせがんできたため、紙袋に紛れていた木細工を手渡すと、人形は嬉々とした笑い声を上げながら立ち去ったという。


にわかには信じられない話だが、柚月葉ちゃん達と過ごす間に、僕は色々な不思議な体験をしてきた。

それを踏まえればありえない話ではない。


「木細工?」


それまでじっと話に耳を傾けていた伊織さんが急に口を開いた。


「ええ、木細工です……だよな雫?」


「ああ……と言ってもあれはからくり人形等に用いられる要の歯車だったよ。しかも……」


そう言って雫さんは顔しかめて再度口を開いた。


「銀色の長い女の髪の毛が、ぐるぐると何重にも巻かれていた。古い血のり付きでね」


「銀色の……!?」


僕は思わずそう口にしながら伊織さんを見た。

銀色の長い女の髪の毛……。


彼女と同じ銀髪。

しかし伊織さんの髪は短くまとめられている。

長いという規格には当てはまらない。


でも銀髪何てそこら中にあるものでは無い、だとしたら……。


頭の中で必死に考えている時だった。


「すまない、ちょっといいかな?」


鷹臣さんだ。いいながら軽く会釈し懐からスマホを取り出した。


「はい鷹臣ですが……はい……えっ?はい……分かりました。伊織君には私から伝えます、はい、では……」


何かあったのだろうか。

鷹臣さんが神妙な顔をしている。


「伊織君、君のお父さんのお弟子さんからだよ。人形が……見つかったらしい……」


「まじっすか鷹臣さん!よっしゃ、これでそいつをぶちのめしに行けるな!なあ宗介!!」


何故か話を聞いて冬弥さんはヒートアップしている。

腕をぐるぐる回して僕の肩を思いっきり掴んできた。


「痛っ!え、ええ……」


対して伊織さんの顔はどうも複雑な様子だ。


一部始終を静観していた柚葉ちゃんはやる気満々の冬弥さんを見てクスクスと笑みを零してはいるが、これは心からの笑いではないと僕には直ぐにわかった。


彼女の持つ深い闇が本性を覆い隠し、笑顔とは対極に何かを思案しているような顔に、僕には見えたからだ。


「どうする伊織君……?」


「行くに決まっているだろう……アレとは決着を付ける……そう誓ったんだ、父にも、妹にも……」


「だね……柚月葉ちゃん達も準備はいいかい?場所は伊織君の祖父が暮らしていた旧家だそうだ」


「祖父の……?」


「ああ、君の祖父はだいぶ前に亡くなっているらしいけど、今もお弟子さん達が人形師として管理しているんだろ?」


「あ、ああ……でもなぜ祖父の家にアレが……」


「さあね、行ってみれば分かるさ」


そう言って鷹臣さんは伊織さんに肩を竦めて見せた。


伊織さんはそれに黙って頷くと、古書店の店員さんに振り向き、


「どうも、お仕事中お邪魔して本当にすみませんでした。このお礼はいつか必ず、」


「い、いえ、そんなお礼だなんて、な、何かよく分からないけど、とにかく問題が解決するといいですね」


「真夜さんを紹介してあげたら?彼女なら解決してくれるかもしれない」


そう言って雫さんは店員さんを見てニヤリと笑って見せた。


「なな、何で真夜さんが出てくるんだよ!」


真夜?誰の事だろう?

首を傾げていると、


「とりあえず先を急ぎましょう」


伊織さんの切羽詰まった言葉に、僕達は本来の目的を思い出し、店員さん達に再度頭を下げ店を後にした。


外に止まっていた車に乗り込んだ時だった。

遠く離れた所に、此方をじっと見つめる一人の着物を着た女性が視界に入った。


かなりの美人だと一目で分かる。


柚月葉ちゃんも人並みならぬ美しさだが、こちらを見ている女性、あれは人とは思えないような……。


「宗介様……」


「えっ……?あ、ああ何?」


女性に見とれていた事にハッとして柚月葉ちゃんに返事を返す。


「綺麗な方ですね……」


うっ……やはり見られていたようだ。


「そ、そうだね……はは」


慌てて頭を掻いて取り繕う。


すると柚月葉ちゃんがボソリと零すように言った。


「あれは人……いえ……狐……?」


「えっ?き、狐……?」


「なるほど……あれが真夜……ですか……」


「真夜……?」


先程、雫さんが口にした女性の名前だ……。


「面白いお店……事件が解決しましたら、また是非よらせて頂きたいですわね、宗介様」


「そ、そう……だね」


柚月葉ちゃんは僕の返事にくすりと小さく笑って車に乗り込んだ。


僕はもう一度女性の方に目を向けたが、そこにはもう誰もいなかった。


「宗介、もたもたすんな!」


助手席から冬弥さんが急かしてくる。


「は、はい」


さっきのは一体……。


不思議な違和感を感じつつ、後ろ髪を引かれる思いで僕は車に乗り込んだ。


街道を抜け走る事三十分程、前を走っていた伊織さん達を乗せた車が停車した。

目の前に見える古い瓦屋根、趣のある邸宅。

大きな門の前には道着を着た数人の男性が待ち構えている。

おそらくここが鷹臣さんが言っていた、伊織さんの祖父の家で間違いないだろう。


「お嬢様……くれぐれもご注意を……ついでに冬弥様も……」


「い、今ついでって言わなかったか?……ま、まあ……お、おう!」


運転席から心配そうにこちらを見守る前田さんにお礼を言って、僕らは車を降りた。


「伊織さん!」


門の前にいたお弟子さん達が伊織さんの元に集まってくる。


「皆さん……人形は今どこに?」


伊織さんがそう聞くと、お弟子さん達は事の一部始終を話してくれた。


今朝、いつものように宅内の掃除をお弟子さん達が手分けして行っていた所、その一人が異変に気が付いたらしい。

階段下に大きな横穴が開いており、何事かと穴を覗くと、そこには地下に通じる通路があったのだとか。

今までそんな地下何てある事自体知らなかったお弟子さん達は、その地下に降りてみる事にした。

そして先に大きな広間を見つけ中に入ると、あの人形が眠るようにして息を潜めていたらしい。


「地下……そんなものがこの屋敷に?」


伊織さんが信じられないといった様子で聞き返すと、お弟子さん達も困った顔で全員頷き返した。


「そいつは今地下に居るんだな?よっしゃ、後は俺に任せとけ!人形何て俺の気合いの拳で、」


「ふふふ……相変わらず脳みそが筋肉の塊ですわね兄様は……」


「な、何だと柚月葉!」


「見てくださいまし……人形の結界でございます。恐らくお弟子さん達の侵入に気付いたのでしょう。このまま入れば直ぐにあやつに探知されてしまいます……勿論、兄様も気付いていらっしゃったと思いますけども……」


「えっ?あ、ああ、勿論知ってたぞ!な、なあ宗介?」


「はは、そうですね……」


仕方なく冬弥さんに僕は頷く。


「で、でも結界って……あの漫画やアニメなんかに出てくるアレですか?」


確かにこれまでも不思議な体験をしてきたが、もはやここまで来るとファンタジーだ。


すると、鷹臣さんが僕の肩をぽんと叩いて教えてくれた。


「結界って言うのはある意味意志の具現化さ。言霊ってやつかな。何人も寄せ付けない強い意志が形を成す、その意思が常軌を逸していればなおの事ね」


常軌を逸した強い意志、恨みや怨念にも左右されるものだろうか……。


「私が先に入り、結界を解除していきます。兄様達は私が合図をしたら中に……」


「お待ちください……」


僕たちを呼び止める声、伊織さんだ。


「はい、どうかなさいましたか?」


柚月葉ちゃんがそう聞くと、伊織さんは頷き口を開いた。


「祖母の……祖母の事でお話があります……」


「祖母?」


僕がそう聞き返すと、伊織さんは少し躊躇しながらも話だした。


「私の祖母は、私の母を産んで直ぐに、行方不明になったんです……そしてその祖母は、私と同じ先天性のアルビノだったそう……です」


「ええっ!?」


思わず驚きの声を上げてしまった。


人形の歯車に巻き付いていた伊織さんと同じ銀髪。

そして誰も知らない地下通路。

行方不明の祖母……。

段々と話がきな臭くなってきた。


「祖父はたいそう祖母の事を愛していたそうです……ですが祖母の方は貧しい農家の出だったらしく、半ば強引に祖父の元へ嫁がされたのだと、親類から聞いた事があります……それを苦にして祖母は祖父の元から去ったのだと、私は聞かされていましたが……」


伊織さんはそこまで話すと、唇を噛むようにして口を閉じた。


行方不明の祖母と人形。

何か関係があると、伊織さんも薄々気が付き始めているみたいだ。


「鷹臣様……」


柚月葉ちゃんが沈黙を破るようにして言った。


「ああ、持ってきているよ。今回はこのためにわざわざここまで来たようなものだからね」


頷く鷹臣さんの手には、丁寧に布で巻かれた長物が握られていた。


「それは?」


僕が聞くと、鷹臣さんはそれを柚月葉ちゃんに渡し、


「霊験あらたかってね」


そう言って口端で笑って見せた。


「感謝します……鷹臣様」


柚月葉ちゃんは言いながらその長物の布を剥ぎ取った。


「あっ……か、刀……!」


そう、それは一振の立派な刀だった。


鞘には龍の彫り、金粉塗りの装飾が施されていて、それがかなり高価なものだと一目見て分かる。


「いざ、参りましょう」


柚月葉ちゃんはそう言うと、鞘から刀を抜いて門へと向かった。


「伊織さん、道案内を……鷹臣様と宗介様は合図があるまで……」


「う、うん!」


大きく頷くと、柚月葉ちゃんは刀を前方にかざし、何やらぼそぼそと言い出した。


「あの子の力はもはや僕を超えているよ。いやはや大したもんだ……」


「えっ?」


鷹臣さんの言葉に僕が聞き返した瞬間、突然門の方から突風が吹き荒れた。


思わず顔をしかめると直ぐに風は止み、


「行きますよ……」


柚月葉ちゃんがそう言い、伊織さんは力強く頷き、先に進む柚月葉ちゃんの後を追った。


「柚子葉ちゃん達……大丈夫ですかね?」


「今は信じるしかねえな……」


僕の質問に冬弥さんは拳を強く握り締め答えた。


冬弥さんも本当は柚子葉ちゃん達が心配なのだろう。

しかし柚子葉ちゃんの言う通り、今の僕や冬弥さんが行ったところで足でまといなのは目に見えていた。


そういえば……。


「あの、すみません」


「はい、なんでしょうか?」


僕はふと先程伊織さんが話していた事を思い出し、お弟子さん達に声を掛けた。


「伊織さんの亡くなった祖父って、どんな方だったんですか?」


「ああ、神崎 玄龍様の事ですか?玄龍様はとても厳格な方でした。特に人形の事に関しては誰よりも厳しく、そして誰よりも人形を愛しておられました」


人形を……。

あの人形はそもそも伊織さんの祖父、玄龍さんの形見。

だとしたら、その玄龍さんも人形を溺愛していたのかもしれない。


「その、今屋敷にいるあの人形って誰が作ったもの何ですか?」


「私も兄弟子からしか聞いてないので詳しくは知りませんが、行方不明になった奥様の事を偲び、玄龍様御本人が作られたものだと、前に聞いた事があります」


「行方不明になった奥さんの?」


「はい……元々無理やり結婚させられた身でしたから、奥様はこの家を飛び出し、何処か知らない土地へ逃げたのだと……玄龍様は亡くなる寸前まで奥様の事を思っておられましたから」


「それを悲観して玄龍さんは奥さんに模したあの人形を……」


それにしたってあの人形の恨みは根深い気がする。

全ての原因があの人形にあるとしても、なぜあのような災厄を振りまくのか……。

そしてこの屋敷に戻った理由も分からない。

何故そこまでしてこの家に固執しているのか……。


「どうした宗介?あんまり考えても仕方ねえぞ?大概の物事は筋肉と気合いで片付くもんだ、はははは」


とりあえず脳筋の冬弥さんは放っておくことにして、僕は屋敷に向き直った。


が、その時だ。


「不味いな……」


鷹臣さんが苦虫を噛み潰したような顔で言った。


何かあったのだろうか?


「ど、どうかしたんですか?」


「結界が解かれる反応を感じていたんだが、どうも意図的に弱められていた節がある……」


「そ、それってつまり?」


「奴に誘い込まれた……って可能性があるね。逆に門の結界がかなり強まってる……」


「そんな……!」


僕は急いで門に向かって走った。

しかし、


「な、何これ…!?」


体が前に進まない。

まるで目の前に見えない壁でもあるかのように。


「くそっ!何とかならねえのか鷹臣さん!」


冬弥さんが叫ぶ。


「やれやれ……人使いが荒いねえ、年寄りは労るものだよ?」


鷹臣さんはそう言うと、門にある見えない壁の前に立ち、両手をかざし何やらブツブツと唱え始めた。


その瞬間、バチッと言う火花が舞ったかと思うと、目の前の空間が、僅かだがぐにゃりと歪に曲がった。


「こ、これは……?」


「少しだけなら干渉できる……僕も一応拝み屋の端くれだからね……だがっ……くっ」


鷹臣さん顔が苦痛に歪んでいる。


「歳かな……これ以上は……!」


どうやら結界とやらがこれ以上開けそうにないみたいだ。


が、


「おおおりゃああああっ!!」


「と、冬弥さん!?」


突如、背後から雄叫びが挙がったかと思うと、冬弥さんが僅かに開いた結界の穴に両手を入れ無理やりこじ開け始めたのだ。


「言ったろ宗介!世の中のだいたいの事は、筋肉と気合いでどうにかなるって!!」


結界の穴が見る間に開き始めた。


「はははは……君の才能も馬鹿にはできんな」


冬弥さんの行動に、鷹臣さんが思わず苦笑いを零す。


「行け宗介!俺達が開いているうちにお前だけでも行ってこい!行って柚月葉を……!!」


「と、冬弥さん……はい!」


僕は二人の気迫に押されるようにして結界の穴を潜り抜け、振り返らず全力で屋敷の中へと走った。




屋敷の中へ入ると、僕はお弟子さん達が言っていた階下の横穴を探し回った。


広い屋敷の渡り廊下を何度か通り過ぎると、人一人分が通れるくらいのボロボロになった横穴を発見した。

壁は無惨にも鈍器で砕かれたかのようにして破壊されている。


間違いなくここだ……。


僕は慎重に穴をくぐり抜けると、道沿いに沿って歩いた。

壁はだいぶ古く崩れ掛けだが、明らかに人工的に作られた空洞だ。


これを作ったのはやはり伊織さんの祖父、玄龍さんなんだろうか?


簡易的に取り付けられた蝋燭には火が点っている。

おそらく柚月葉ちゃん達だろう。

この奥にいるのは間違いなさそうだ。


道は少し下り坂になっており、進む度に空気が淀み重く感じる。

額に滲む汗を手で拭いながらさらに奥へと足を進めると、


「ここは……?」


突然、僕の視界に今までの閉鎖的な空間と違って、広い空洞が飛び込んできた。


蝋燭の火が奥までは照らしてはくれなかったが、目をじっと凝らして中を観察していると、


「伊織さん……!?」


奥の方で地面に横たわる伊織さんの姿を発見した。


急ぎ駆け寄り伊織さんの体を起こす。


意識は無いが息はある。

怪我もしていないようだ。


安堵し更に奥に目をやると、暗闇の中で一瞬、何かがきらりと光った。

続いて小さな火花のようなものが飛ぶ。

奥から人影がこちらに迫ってきた。


「柚月葉ちゃん!?」


それは、先程鷹臣さんが渡した刀を持った柚月葉ちゃんだった。

僕に気づいたようだが、此方には目もくれず突然その場でしゃがみこむ。

瞬間、柚月葉ちゃんの頭上を何かが横凪に凄い速さで通り過ぎた。

柚月葉ちゃんの髪が数本ふわふわと宙を舞う。


「い、今の……?」


そう一言発したと同時に、暗闇から赤く光る緋色の両目がギョロりと浮かんだ。


人間ではない。

獣とも違う異様な光。

赤い残像が暗闇の中蠢き、柚月葉ちゃんを捉えている。


闇に目が慣れてきたのか、その朧気な輪郭を目で捉えることができた。


人間の少女程の大きさ。

手足は異常に細く枯れ枝を思わせるが、その両手は鋭く尖っている。


緋色の瞳を宿した顔は能面のような表情で、長く伸びたざんばらの髪は、暗闇でも分かるくらい美しい銀髪だった。


「これがあの人形……!?」


僕は思わず息をのんだ。


「宗介様、伊織さんを連れて早くここから、」


柚月葉ちゃんが言うのと同時に人形が宙を舞った。


──カキン


金属がぶつかり合う鈍い音が部屋に響く。


鋭く突き出された人形の爪を、柚月葉ちゃんが刀で凌いだ。


「柚月葉ちゃん!!」


「早く!!」


僕の声をかき消す様な柚月葉ちゃんの声に、思わずたじろいでしまった。


「くっ!す、直ぐ戻るから!!」


破れかぶれに言い残し、僕は言われるまま伊織さんを担ぎあげると、柚月葉ちゃん達を背にし元来た道を引き返した。



伊織さんを肩に担ぎ何とか横穴を出て渡り廊下まで辿り着く。

途中息を切らせ呼吸を整えていると、廊下の向こうから足音が聞こえてきた。


「宗介!」


冬弥さんだ。


「冬弥……さん?」


「大丈夫か!ってそれどころじゃねえようだな」


冬弥さんは僕の代わりに伊織さんを担ぎあげると不安そうな顔で僕を見た。


「柚月葉は……?」


首を横に振って僕は答えた。


「くそっ!おい宗介ちょっと代わ、」


「僕が行きます!」


「お、おい宗介!?」


「直ぐに戻ると約束したんです!」


すると冬弥さんはしばらく考えた後に、


「はあっ……わかったよ」


「冬弥さん……」


「ただし、必ず柚月葉を連れて帰って来い!でなきゃお前をぶっ飛ばす!」


そう言って冬弥さんはぼくの胸を軽く小突いてきた。


「は、はい!約束します!絶対に連れて帰ります!」


僕はそう言い残すと、振り返り再び穴の中へ飛び込んだ。


「男見せろよ宗介!」


背後から冬弥さんの威勢のいい声が響いた。


その声に押されるようにして、僕は駆け出した。


下り坂を一気に下り、ただひたすら走った。

だが、中腹を越えた辺りで突然異変が起きた。


なんだか蒸し暑い。

肌がチリチリするような違和感。

奥の方を見るとやけに明るい。


さっきまではあんなに暗かったはずなのに……。


嫌な予感がする。


僕は駆け出すと一気に先程柚月葉ちゃんがいた場所まで戻った。


「なんだ……これ?」


舞い散る赤い粉塵。

バチバチと音を立て燃え盛る壁や天井。


黙々と黒い煙が見える。

火事だ。


直ぐに辺りを見渡したがあの人形も柚月葉ちゃんの姿もどこにもない。


この奥にいるのかもしれない。


急がなければ煙が回ってしまう。


考えてる場合じゃない。

先へと僕は進む事にした。


道は急に狭くなり、慎重に通り抜けると、そこは古い座敷牢のようになっていた。

中には畳が八畳分敷き詰められていて、箪笥や本棚などが横倒しになっており。入口は開け放たれている。


中を確かめようと入口に近付くと、


「柚月葉ちゃん!!」


いた、柚月葉ちゃんだ。

駆け寄り確かめると息はある。

抱き支える僕に気が付いたのか、柚月葉ちゃんが薄らと目を開けて僕の方を見た。


「宗介……様」


「良かった……助けに来たよ」


「ありがとう宗介様……」


柚月葉ちゃんが潤む瞳で僕に訴えかけた。

透き通るような綺麗な瞳。

精気を宿したその目に、僕は思わず見とれてしまう。


「さあ……ここから出ましょう宗介様」


柚月葉ちゃんはニコリと微笑み、僕の背中に両手を伸ばす。


だが……何かが変だ……。

何かがおかしい。


「どうされましたか、宗介様?」


真っ直ぐな瞳で僕の顔を覗き込み問いかけてくる。


「違う……」


ボソリと僕は言った。


「えっ??」


キョトンとしながら柚月葉ちゃんは答えた。

年相応の可愛らしい顔だ。

だが……。


「僕の知っている柚月葉ちゃんの瞳は……そんな真っ直ぐな目をしていない」


「何を……?」


柚月葉ちゃんの言葉を遮るようにして僕は口を開いた。


「柚月葉ちゃんの瞳は……感情の見えない……まるで暗闇の中、怪しげな火が灯るような目だ……僕は……僕はずっとその危うい目に魅了されてきたんだ……!」


確証はない。

ただそれだけだ、それだけだが、僕が柚月葉ちゃんに想い焦がれるには十分な理由だった。


「お願い!私が柚月葉よ宗介様!!」


「何となく……なんとなくだけど分かった気がする………」


「え……?宗介様何を……?」


「伊織さんのお祖母様はこの屋敷を逃げようとして玄龍さんに捕まった……そしてこの座敷牢に閉じ込められて亡くなったんだ……そして、そのお祖母様を忘れられず、玄龍さんはお祖母様の遺体を使って人形を作った、奥さんに生き写しの人形を……」


「な、何を言っているの宗介様?」


「けれど、玄龍さんは気づいた、自分が何をしたのか、そして……お前なんかが、あの人の代わりになんかなれないって!」


「やめろおおおっ!!」


鬼のような形相、柚月葉ちゃんの両腕が突然僕の首にしがみついてきた。

そして真綿を閉めるように僕の首に指の爪が食いこんでいく。


「ぐっ!?お前は悔しかったんだろ!何者にもなれず、愛してくれていた玄龍さんにも捨てられた!だ、だから誰かに大切にされたい!例え誰かの命を犠牲にしても!!」


柚月葉ちゃん、いや、柚月葉ちゃんの姿をした人形の腕を掴み、僕は腹の底からぶちまけるようにして声を大にして言った。


「黙れぇぇえええっ!!」


人形の腕が僕の腕を物凄い力で跳ね除けた、


「しまっ!?」


そう零し言った瞬間、


「そのまま後ろに倒れ下さいませ……」


背後から凛とした声が鳴り響く。


言われるまま僕は咄嗟に後方へと体を倒す。


──ヒュン


銀色に鈍く光る白人の刃が、僕の鼻先を掠めるようにして一閃した。


宙を舞い、ドスンと音を立て転がる人形の首。


視線を背後に向けると、そこには所々血染めになった着物を纏い、刀を鞘に収める柚月葉ちゃんの姿があった。


「ありがとうございます……宗介……さ」


「え?ゆ、柚月葉ちゃん!?」


ぐらりと、糸の切れた人形のように膝を着く柚月葉ちゃんを、僕は急いで立ち上がり抱き抱えた。


「良かった柚月葉ちゃん……さあ帰ろう……みんなの所へ……」


炎の影が目を閉じた彼女の頬に揺らめく。

僕は柚月葉ちゃんを担ぎあげると、屋敷の出口へと向かった。




幸いにも、火のまわりはそれほど早くもなく、僕と柚月葉ちゃんは何とか無事に外へと出る事ができた。

が、何やら外が騒がしい、それにいつの間にか外は雨が降っていた。

どうやら火を食い止めてくれたのも、これのおかげなのかもしれない。


「柚月葉!!」


血相を変えた冬弥さんがこちらに駆け寄ってきた。

その周りには鷹臣さん、そして伊織さん、お弟子さん達や防火服を着た消防士、警察官、それに救急隊員までいる。

これはかなり大事だ。


「大丈夫か!?」


食い気味に柚月葉ちゃんの顔を覗き見る冬弥さん。


「あらやだ。不細工なゴリラかと思ったら兄様じゃないですか……クスクス」


柚月葉ちゃんが目を覚まし小さく微笑んでみせた。


「うんうん!今はお兄ちゃん何言われても怒らないからな!無事で良かった柚月葉……」


「はい……ご心配お掛けしました、兄様、そして鷹臣様も」


「はは……年甲斐もなく少し張り切りすぎただけだ、こっちは心配ない、柚月葉ちゃんが無事で何よりだよ」


鷹臣さんは片手をひらひらさせながら椅子に座り、ふうっと大きくため息をついた。


僕は柚月葉ちゃんを冬弥さんに任せると、救急隊員に手当をされていた伊織さんの元へと向かった。


僕に気が付き頭を小さく下げ、苦笑いを零す伊織さん。


「あれがお祖母様でなくて良かった……それが唯一の救いだ……」


そう言った伊織さんの顔は、スッキリしているにもかかわらず、どこか悲しげにも見えた。


祖父が起こした罪から生まれた一連の悲劇、それを彼女はこれからも背負っていかなくてはいけないのだろう。

ただ、これ以上の悲劇を食い止めることができた事が、彼女にとっての救いになればいいと、僕は降りしきる雨空を見ながら願った。



エピローグへと続く。














                                                                     




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