キミに届け

@yamakoki

キミに捧ぐ勝利

窓から差し込む夕日を見ながら、俺はこれからのことについて思いを馳せていた。

明日は夏の甲子園大会の決勝だ。

ピッチャーとしてチームを優勝に導けたら、幼馴染みの間宮 雪まみやゆきに告白しようと思っている。


だから……明日は負けられない戦いだ。

それに俺たちは高校三年生だから、今回の戦いが最後の甲子園だし。


開斗かいと、緊張しているか」

「大橋監督。そりゃ緊張しますよ。何てったって決勝なんですから。一勝の重みが違う」


後ろから声をかけてきたのは、俺たちが通う大浦高校の大橋 陸雄おおはしりくお監督だ。

監督は今年で六十歳になる老将である。


かつては名門の私立高校で監督を務めており、春の甲子園で六回、夏の甲子園では十二回の優勝経験を持つのだとか。


俺たちの高校の監督になってからは、前任者の倍以上の練習メニューを俺たちに課した。

おかげで退部者が続出し、今の部員は十二人しかいない。


そんな状況でも監督は、「夏の甲子園での優勝回数と部員数が一緒だな。縁起がいい」などど笑っていたが。

俺たちにとっては負担が増えるので、たまったものではない。


「明日も開斗に投げてもらうからな。頑張れ!」

「はい。チームを優勝に導けるように。そして自分が納得できるピッチングを出来るように」


監督の激励に対するいつもの返答を返す。

しかし今回は待ちに待った決勝の舞台だから、何か特別感を出したいな。


「そして……監督の優勝経験の回数を増やせるように」


必死に紡ぎ出した言葉を聞いた監督は硬直した後、いつもとは違う笑みを浮かべた。

淡いオレンジ色に彩られた笑顔は優しい。


「俺のことなんてどうでもいいんだよ。重要なのは決勝という大舞台で何を掴めるかだ」

「はい。失礼します」


ずっと心の中に秘めていた思いーー監督を勝たせたいという思いを吐露できた。

それだけで心が軽くなった気がした。


「絹川、明日はストレートで勝負するのか? それとも変化球で勝負する?」

「慎也がいいと思った方で。サインは今までと同じでいい」


今までいたラウンジから自室に戻る途中、キャッチャーの大沼 慎也おおぬましんやに声をかけられる。

ただ、俺は自室で休みたいわけで。


緊張で張り裂けそうな体を早く休ませて、明日は万全の態勢で投げたい。

だって……明日は人生で最大の勝負の日だから。

調子がいい球種で相手打線を封じ込めてやる。


俺は慎也にそう告げると、自室に戻ってベッドに倒れこんだ。

今日の夜は寝れそうにない。

遠足の前の小学生みたいだな、と一人で苦笑するしかなかった。




『プレイボール!』


甲子園中に響き渡っているはずの審判の声がやけに遠く聞こえた。

俺たちは後攻だから、まずは守備からか。

つまり……俺が投げなければならないということになる。


「よし、これまでやってきたことを思い出して限界を超えて頂点を掴め!」

「オウ!」


監督の言葉に声を揃えて返事し、緊張で震える手を隠しながらマウンドに上がる。

あれ……打者までの距離ってこんなに遠かったけ?

これまでの戦いでも登板したことはあるはずなのに、初めて上がったような気がした。


「投球練習するぞ。牧、準備はいいか?」

「大丈夫です! 開斗さんも慎也さんも落ち着いて行きましょう!」


牧 蓮夜まきれんやは一年生のファーストだ。

鮮やかで堅い守備には定評があり、一年生ながら後逸や悪送球を全くしていない。

いつも冷静でチ―ムを落ち着かせる役割も担っている。


「じゃ、とりあえず投げるぞ」


何とか声を絞り出すと、前を向いて思いっきり腕を振りかぶった。

投げたストレートのボールは一定の速さで進んでいき、慎也のミットに吸い込まれていく。

完璧なストライク投球だった。


「いいぞ! その調子でどんどんとアウトを取っていこうぜ!」


口パクで言う慎也に頷き、四球ほどストライクを入れた所で相手バッターが打席に入った。

すると、体が重りを付けられたみたいに重くなる。

緊張しているからだろうか。


『一番、ショート、筒浦くん』


ウグイス嬢のアナウンスが響き渡ると、相手の高校の応援が始まった。

筒浦くんがこちらを鋭い眼光で睨み、バットを試すように数回振って構えの姿勢をとる。

俺はストレートのサインに頷き、思い切って腕を振っていくしかない。


手から離れたボールは慎也が構えていたミットを大きく外れて外角へ飛んでいく。

あわやワイルドピッチの大暴投で灯ったのはBのランプ。


普段ならここで気持ちを切り替えるのだが、今日はなぜか投球に集中出来ない。

心の中が不安と焦燥で埋め尽くされてしまう。


結果、先頭打者に対してストレートのフォアボールを与えてしまった。

筒浦くんが悠然と一塁に向かって歩くなか、心配そうにこちらを見る慎也と目があった。

俺は心配ないというように頷くしかない。

一人のためにタイムを取った結果、仲間の守備のリズムが崩れるのは避けなければ。


慎也は返答を見て、安心したように再びクラブを構える。

しかし……俺の投球が安定することはなかった。


二番打者と三番打者にもストレートのフォアボールを与え、四番打者を迎えた場面。

何とか一球だけはストライクを入れたものの、四度目のフォアボールを出して先制を許す。


続いて対峙した五番打者が試合を大きく動かした。

ストライクを入れようとして甘く入ったストレートが捉えられ、上がった白球はスタンドへ。

ぐうの音も出ないほど完璧なグランドスラムだった。


どうして……どうして、この大舞台で体が思うように動かないんだ!

ノーアウトで五点も取られたという事実を受け入れられず、マウンド上で固まるしかない。


それは他の野手も一緒だった。

誰もマウンドに集まろうとはしないで、『5』と書かれたスコアボードを見つめている。

いつも冷静な牧くんですら無表情で固まっていた。


もはや優勝の夢は絶望的かと思われたその時、慎也と伝令がマウンドに駆け寄ってきた。


「開斗、一旦落ち着けって!」

「最初の大舞台で緊張するかもしれないけど、とにかく落ち着けと監督が言っていました」


――こんな状況でも落ち着くことが出来たらどれだけいいだろうか。

野手への申し訳なさとか不甲斐なさとか悔しさとか……。

色々な感情が複雑に混ざり合って、今にも噴火して溢れてしまいそうなのに。


そんな心情を察したわけではないだろうが、慎也がさりげなく自軍のスタンドを指さした。

俺の目に飛び込んできたのは、一心不乱に祈っている少女だ。


「雪……そうだ、この試合は雪も見ているんだった。彼女に鮮やかな勝利をっ……」

「その意気ですよ。彼女さんのためにもたくさんアウトを取りましょう!」


いつの間にか近寄ってきていた牧が、人懐っこい笑みを浮かべてシャウトした。

釣られて俺と慎也も笑う。


他のチームからしたら異常な光景だろうな。

ノーアウトで五点も取られた状況を打破しようとしているはずなのに笑っているんだから。


タイムの時間が終わり、六番打者と対峙していた時に気づく。

あれ……あれだけ体の自由を奪っていた緊張がなくなっているじゃん。

慎也たちにはお礼を言っておかなくちゃな。


不敵な笑みを浮かべた俺が投げたボールは、大きく落ちるフォーク。

相手は調子が悪いはずの俺から空振りをしてしまったからか、大きく悔しがった。

さあ、真の俺の投球はここからだっ!




九回裏まで試合は進んだ。

俺たちは四点を返しつつ、完璧に復活した俺が無失点で抑えていた。

そのため、現在は一点差まで詰め寄っている。


「見ておけ、開斗。俺がバシッと決めてチームを勝利に導いてやるから」

「打つほうは陸に託した。大量に失点しちゃって本当にゴメンな」


一番打者でセカンドを守る佐原 陸さはらりく

豪快なホームランからバントなどの小技まで、何でも器用にこなすリードオフマンだ。


俺たちと同じく、この試合限りで引退となる。

陸は口角を吊り上げると、項垂れる俺の頭を軽く叩いた。


「それは散々聞いた。お前は黙って俺らに託しておけばいいんだよ」

「そうそう。僕たちが決めますから」

「先輩は緊張の中で頑張ったんですから、ゆっくりと休んでください」


横から口を出してきたのは、二番打者でライトを守る関根 大樹せきねだいきと、三番打者の牧だ。


二人ともヒットを打つのが上手く、“繋ぐ”タイプの一年生。

ゆえに、たくさん出塁して四番に返してもらう役割を果たしているといえるだろう。

そんな三人だったが、牧以外は凡退を喫してツーアウト一塁。


「開斗、チームのエースならもうちょい堂々としていなきゃ。野手が点を取ればいいってな」

「慎也……ありがと」


何とかして後続に繋げたい四番打者は他でもない、大沼 慎也だ。

彼はツーベスを放って、俺たちはツーアウト一塁三塁のチャンスを背負った。


そして五番バッターは……俺だ。

バットを持ってベンチを出るとき、後ろから仲間たちの声援が耳に届く。


「決めてください」

「頑張って。絶対打てるから」

「この試合をヒーローとして終わらせるのはあなたです」

「開斗さん、ファイトです!」

「決めてこい! 開斗なら出来るはずだぞ!」


短い言葉で激励する六番打者にしてセンターを守る二年生、沖 雅也おきまさや

ガッツポーズをしながら笑う、七番打者にしてレフトを守る三年生、三田 勘次郎みたかんじろう

力強くヒーローになれると宣言する八番打者にしてショートを守る二年生、片山 誠かたやませい

シンプルな激励をくれる、九番打者にしてセカンドを守る一年生、東 隆雄あずまたかお


そして……大橋監督。

あなたを勝たせたい思いで頑張ってきたっていうのもあるんだからね。


最後に……とにかく雪に勝利を届けたい。


バッターボックスに入って、相手の投手と対峙する。

辛そうな顔が、一回表で苦しんでいた俺と重なって何ともいえない気分になった。

でも……勝つしかないんだ!


バットに当てた初球は、広く青い空に吸い込まれていく。

視界の端には、盛大に破顔した幼馴染みの雪とチームメイトの姿が映っていた。

俺は興奮する気持ちを抑えながらダイヤモンドを回り始める。


俺の想いを乗せた白球よ。


彼女が待つスタンドまで――届け。

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