第13話 『真綾の謀略』

「今日から私たちとハナさんは家族になるんですから、自分の家だと思って存分にくつろいでくださいね!」


 ハナを加えた和やかな団欒は、真綾まあやの温かな歓迎の言葉で締め括られた。


 その言葉を受け、ハナはにこやかに微笑み、改めて「よろしくお願いします」と頭を下げる。


 家に上がった当初は緊張と不安———あとはおそらく、申し訳なさで浮かない顔をしていたハナ。


 しかし、真綾お手製の絶品料理を一緒に食べ、他愛ない雑談で親睦を深めた今は、まるで旧知であるかのように気さくに接するようになっていた。


 流石は小日向こひなた家が誇るコミュニケーション能力お化け、小日向真綾。


 その名に恥じぬ陽だまりのような笑顔で、真っ直ぐ一直線に友情を編んでいく。


 未だにクラスメートの名前すら覚えられていない智悠ちひろには、一生かかっても、それこそ死んでもできない芸当である。


 あれだけテーブルを埋め尽くしていたご馳走も難なく平らげ、三人がおしゃべりしながらリビングでくつろいでいると、


「あっ、そうだ、お兄ちゃん」


 と、真綾が智悠に話しかけた。


「ん? どうした?」


「お風呂もう沸いてるから、先入って良いよ」


「え、良いのか?」


「うん。退院して初日だし、疲れたでしょ? 帰ってきた時も、何か今にも死にそうな顔してたし」


「あっ、それ、私も思いました」


「お、おう、そうか……」


 見られた二人どちらにも言われるくらい自分が死にそうな顔をしていたこともそうだが、それ以上に、帰宅直後のあの状況で真綾が兄の疲労度に気づいていたことの方が驚きだった。


 智悠が交通事故に遭って以来、何かにつけて過保護になった真綾。


 勉強は不得手で普段の言動はアホなくせに、家族への細やかな気配りは忘れないその思慮深さは、間違いなく彼女の美徳だ。


「ほんと、よくできた妹だな……」


「ん? 何か言った?」


「キュートでラブリーな、マイスィートエンジェルシスターって言ったんだよ」


「プリティーが抜けてるよ、お兄ちゃん」


「まだ付け足すのかお前は!?」


 ここらで歯止めをかけておかないと、これが小日向兄妹のお決まりのやり取りとして定着してしまいそうな気がする。


 気恥ずかしいやり取りはそれっきりにして、お言葉に甘えて智悠はお風呂をいただくことにした。


 一番風呂を存分に堪能し、今日一日で溜まりに溜まった疲労を一気に洗い流す。


 好物ばかりの食事に温かい一番風呂。

 まさに命の洗濯だ。この調子で寿命も延びて欲しい。


 一年と言わず、いつまでも。


 そんな感じで満足気分に浸ったまま、波乱万丈な今日がやっとのこと終わろうとしていた頃。


 ———事件は起こった。


 全く、今日という日はどれだけの試練を智悠に与えるのか。


 きっかけは、風呂上がりの真綾が放った何気ない一言だった。


「あっ、そうだ、お兄ちゃん」


「今度はどうした?」


「いや、別に大したことじゃあないんだけどさ———ハナさんの寝る場所ってどうするの?」




* * * * *




 時刻は零時過ぎ。


 深夜と呼ぶにはまだ早く、夜と言うにはもう遅い、そんな曖昧な時分。


 健全な高校生なら床に就いているであろう時間帯に、ここ小日向家はけたたましい喧騒の最中にあった。


「……おい、真綾」


「なあに? お兄ちゃん」


 その中心にあるは二つの影———兄と妹。


 両者の瞳に宿るのは、抑えきれぬ敵意の炎。


 お互いを視線で牽制し合いながら、一組の兄妹が至近距離で対峙している。


 メラメラと燃え盛る情動のままに、口を開いたのは兄だった。


「お前、本気で言ってるのか?」


「うん、もちろん」


「お前は本気で———ハナをで寝かせるって、そう言ってるのか?」


「イエス、フルコース」


「それはオフコースだが………そうか」


 馬鹿な妹の肯定の言葉を咀嚼し、ゆっくりと飲み込む。


 そして一拍、考えを整理するような間を置くと。


「———いや、それはまずいだろっ!」


 日付が変わる静謐な時間帯に、智悠の悲痛な叫びが響き渡った。


 そう———智悠を襲った事件とは、ハナの寝床問題である。


 成り行きに任せて、なし崩し的にここまできてしまったけれど、小日向家にハナを匿う以上、寝る場所の確保は真っ先に考えるべきことだった。


 三大欲求———食欲を満たせば、次なる課題は睡眠欲だ。


 留学生という嘘を抜きにしても、女神である彼女をそこらに転がしておくわけにもいかない————バチ当たりもいいところである。


 智悠としては、食事を通して距離を縮めた真綾の部屋で、女の子二人仲良く一緒に寝てもらおうと思っていたのだが、彼女から返ってきたのは拒否の言葉。


 そして、智悠の部屋に寝かせるという、およそ信じられない突飛な代案だった。


 二階、『♡まあや♡』と可愛らしいプレートが掛けられたドアから顔だけを出した真綾は、智悠の叫びに顔をしかめた。


「えー、だって、お母さんたちの部屋で寝かせるわけにはいかないじゃん。ましてやリビングなんて論外だし」


「だからお前の部屋で良いだろ」


 同世代の高校生、しかも女の子に両親の部屋を使わせるのに抵抗があるのは理解できる。


 況やリビングをや、だ。


「お前、よく部屋に友達泊めたりしてるだろうが。何を今更渋ってるんだ?」


 コミュニケーション力に長けた真綾には友達が多い。

 月に何回かのペースで同級生の女の子を家に連れてきては、夜通しパジャマパーティーを開催しているほど。

 毎度毎度いろんな女子を連れてくるので、智悠は同学年よりも一年生女子の顔の方が覚えているまである。


 智悠の言葉を受け、真綾は深々と息を吐く。


 夜の暗がりでもはっきりとわかるくらい、その表情は呆れに満ちていた。


「はぁ………いい? お兄ちゃん。これはチャンスなんだよ」


「は? チャンス?」


「うん、そう、チャンス。耳の穴掃除してよく聞いてね」


「お決まりの台詞をマイルドにするな。言ってみろ」


 続きを促すと、真綾は人差し指を一つ立てた。


「残酷なことを言うようだけど、ほら、お兄ちゃんってモテないでしょ?」


「残酷なのはお前だ。お前自身だ。もう少しオブラートに包めよ」


「おにぃ〜ちゃんって〜モテないでしょ〜」


「ビブラートで包むな。深夜に美声を響かせるな」


「真面目な話に戻すけど。ビブラートって技術次第で意図的に出せるし、それで加点を量産できちゃうから、カラオケの採点って本当の意味で歌の上手さの指標にはならないと思うんだよね」


「ビブラートの真面目な話になってるじゃねえか」


「え? 今ってカラオケ談義の時間じゃないの?」


「違うわ。でも、あんまり震わせると安定性がなくなって結局点数は下がるから、あながち機械を騙せるとは限らないんじゃね」


「なんと、まさかのお兄ちゃんもノッてきた。カラオケだけに。でも、なるほどねー………ところで今度ハナさんと三人でカラオケに行く話に戻るけど」


「そんな話は一切していない」


「あれ、どんな話だったっけ?」


「僕がモテないという話だ」


 言ってから、しまったと思った。


 真綾はしてやったり、とでも言いたげな顔でニヤニヤ笑っている。


 完全に一杯食わされてしまった。


 やるせない怒りの感情が込み上げるが、いい加減夜も更けてきた。


 妹の憎らしい笑顔は後でこねくり回すとして、ここは話を本筋に戻すことにしよう。


「で、結局、チャンスってのはどういうことだよ」


「お兄ちゃんとハナさんの仲を私が取り持ってあげるってことだよ」


 神妙な面持ちで、真綾がこちらの疑問にようやく答えてくれた。


 何とか真面目な話ができそうで一安心といったところだが、しかしその内容はとても安心できるものではなかった。


 鼻息荒く、真綾は自分の考えを力説し始める。


「お兄ちゃんは昔から何一つ浮いた話がなかったからねー。このままだと私が養ってあげるしかないのかなって思ってたところに、あんな可愛い人が来てくれたんだもん」


 しみじみと言って、自室の真向かい、智悠の部屋に目を向けた。


 閉じられた扉の奥には、二人の家族会議が終わるのを待っているハナがいる。


「これはもうハナさんにお兄ちゃんを貰ってもらうしかないと思ったんだ。だから妹として、お兄ちゃんのお手伝いをしてあげようと。これは妹の愛だよ?」


「違う、余計なお節介だ」


 可愛らしくウィンクをする真綾に、彼女の考えを聞いた智悠は冷静なツッコミを入れた。


 起きてすらいない兄の色恋のために、出会って間もない同級生の男女を同じ部屋で寝泊まりさせようとしている妹。


 何て危ない奴だ。一体誰に似たのだろう。


「ていうか、ハナさんを連れてきたのはお兄ちゃんなんだから、お兄ちゃんが責任を取るのは当然でしょ?」


「ぐぅ……」


 何とかして真綾を説得しようと思考を巡らせていた智悠だったが、痛いところを突かれてぐうの音しか出ない。


 この妹は基本的にアホだが、そういうところに頭が回るあたり、地頭の良さはあるのだ。


 確かに、事前に何の説明もなしに勝手にハナを家に上げたのは智悠自身。


 のっぴきならない事情があったとはいえ、智悠は真綾に嘘をついてまでハナを匿ったのだ。


 智悠側でどうにかしなければいけないというのも筋が通っている。


 正論に何も言い返せない智悠が悔しく歯噛みしたところで、


「じゃあそういうことだから、おやすみ。後はお二人でごゆっくり〜」


 と言って、真綾はバタンとドアを閉めた。


 そして———ガチャリと。


「あっ、お前、鍵閉めやがったな! ちょっと待て、まだ話は終わってないぞ!」


 いくら筋が通っているとはいえ、やはり年頃の男女を一つ屋根の下に二人にするわけにはいくまい。


 女神であるハナを年頃と言って良いのかは判断が分かれるところだが、そうでなくともあの美貌だ———何が起こるかわからない。


「おい、開けろ! 開けなさい! お袋さんも悲しんでるぞ!」


「ついさっき、そのお袋さんから『今日は帰れない』って連絡がきたよ!」


 ロックされたドア越しに、真綾のくぐもった声が聞こえてきた。


 刑事ドラマ的な説得はあっさりと失敗。

 だが、智悠はめげずに吠える。


「さすがにまずいって! 高二の男女が同じ布団はまずいって!」


「私の友達、高一で彼氏と同じ布団で寝たことあるって言ってたよ!」


「進んでんなあ、お前の友達!」


 妹の交友関係が少しだけ不安になってしまった。


「手始めに添い寝してみたらハマっちゃったってさ!」


「それはもう手遅れだ!」


 訂正、妹の交友関係がかなり不安になってしまった。


「お兄ちゃんも頑張りなって! 大丈夫、明日の朝、お兄ちゃんが大人の階段を上ってても、私全然気にしないから!」


「よし、今すぐそこから出てこい、まずはお前を階段から突き落とす!」


「何食わぬ顔で一緒に朝ご飯食べてあげるから!」


「何か食ってんじゃねえか!」


「お兄ちゃんがお風呂に入ってる間に、ベッドメイキングもしといてあげたから!」


「おお、それはありがとう、じゃねえよ! 用意周到過ぎるだろ! 一番風呂を譲ってくれたのもそれが理由か!」


「あとはお兄ちゃんがハナさんとメイキングってね!」


「この時間帯に洒落にならない下ネタはやめろ! 何がエンジェルシスターだ、お前は紛うことなきデビルだよ!」


「だからさっきも言ったじゃん、ちゃんと責任は取らなきゃ!」


「責任の意味が重過ぎる!」


 その後も、にっちもさっちもいかない押し問答は続き、決着がついた頃には既に午前一時を回っていた。


 明日もいつも通り学校がある。

 流石にそろそろ寝ないといけない頃合いだ。


 結局、真綾を説得することは叶わず、今夜は彼女の要らぬ気遣いを享受しなければいけなくなってしまった。


「はあ………」


 肩を落とし、真綾の部屋に背を向け、向かいの自室のドアを開ける。


 そこには、扉越しに二人の言い合いを見守っていたハナがいて。


 智悠は肩を竦め、やれやれと首を横に振り、


「———というわけで、ハナはここで寝ることになった」


「あなたたち、途中から絶対にふざけてましたよね?」

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