第11話 『帰り道』
「何か、今日はやけに疲れた気がする……」
全身にのしかかるような疲労感を携えて、
今までに感じたことのないような疲労感や倦怠感で、学校を出てからすこぶる肩が重い。
元々軽い頭痛持ちの智悠だが、今はいつも以上に頭が痛いし、繰り返し前に繰り出している足も、一度立ち止まればもう一歩も動かせないんじゃないかと思うくらいに重い。
普段なら自転車を飛ばして三十分くらいで到着できる通学路なのだが、生憎今日の智悠は自転車通学ではない。
諸事情により今朝はバスで通学した智悠は、高校最寄りの停留所からバスに揺られることしばらく、自らが住まう町に戻ってきていた。
バスの到着時間との兼ね合いもあり、自転車よりも数十分ほど長い道のりだったが、今日ばかりはバス通学を選択して正解だったと思う。
こんな不安定な状態で自転車を漕ぐなど、またぞろ交通事故に遭ってもおかしくないだろう。
短期間で二度も死ぬなんて、死んでも御免である。
「……まあ、あんなことが続けばそりゃあ疲れるわな」
自嘲的な苦い笑みをこぼし、さながら町を徘徊するゾンビのように重たい足取りで歩を進める。
この疲労感は身体的なものというよりは、おそらく精神的なものだろう。
今日一日だけで、今までの人生では考えられないほどアグレッシブな出来事がたくさんあった。
それもこれも全ては————
「大丈夫ですか、智悠さん。何だか今にも死にそうな顔をしていますけれど」
智悠とは対照的に、隣を軽い足取りで歩く、金髪の少女が元凶なのだが。
万が一もう一度死んでしまったら、もう蘇生はできませんからね、と身の毛もよだつ恐ろしいことを平気で言うのは、
今日はこの悪戯な少女に散々振り回される一日だった。
天上の存在にもかかわらず、転入生として突如下界に降臨し、何食わぬ顔をして智悠のクラスで生活していた金髪碧眼の幼い女神。
半ば彼女の企みに巻き込まれる形で、智悠は『人助け』なんて曖昧な任務に従事することとなり。
その流れで、黒髪の痴女———もとい美女が支配する『有志部』なんて、これまた曖昧でよくわからない奇天烈な部活に入ることになった。
今までの学校生活では考えられない大きな環境の変化に、まだ心と身体が追いついていないのかもしれない。
「仕方ないとはいえ、初日でこの調子じゃあ前途多難だな……」
呟き、遠くを見るように上空に目を向ける。
時刻は十八時を少し回った頃。
夕間暮れを迎えた町は徐々に夜の顔を覗かせ、家々には既にまばらな明かりが灯っていた。
高校に入学して以来、こんな時間に下校することは初めての経験で、見慣れたはずの町並みにもどこか新鮮さを感じる。
夜闇が迫る遠くの空を眺めつつ、身体が小さいハナの歩幅に合わせながらゆっくり歩いていると、
「そういえば、
そのハナが横から話しかけてきた。
「ああ、それなら本人が先に帰って良いって言ってたぞ。何か色々やることが残ってるらしい」
雪菜が言うには、有志部の本格的な活動は明日の放課後から始めるらしい。
有志部の部室を訪れる前、既に校舎の案内をあらかた終えていた智悠とハナはそのままの流れで一緒に校舎を出ることとなり。
部室前で二人と別れた雪菜は、本校舎にある職員室へと向かって行った。
何でも、部員が二人増えたことで、手続きやら顧問への報告やら、部長としてやらなければいけないことがあるようだった。
「それって、むしろ私たちがやらなければいけないことなのでは?」
眉間に皺を寄せたハナに、頷きを返す。
「僕もそう思って、手伝おうかって言ったんだけど、先輩、『これは私の仕事だから』って言って譲らなくてさ」
上機嫌で廊下を歩く黒髪の上級生の後ろ姿が思い出される。
きっと、今までずっと一人で活動していた彼女にとって、後輩ができたことが何よりも嬉しいことなのだろう。
だからこそ、部長らしいことをしたい。
その彼女の気持ちを蔑ろにできるほど、智悠は心を捨てたつもりはない。
念願の部活メイトができて有頂天な上級生の意を、ここは汲むべき場面である。
「それに、あんまりしつこく言うと、『そんなに私のお手伝いをしたいだなんて、智悠君ってば顔に似合わず積極的なんだから、うふふ』なんて、ここぞとばかりにからかわれるだろうからな」
「無駄に物真似が上手いですね……」
伊達に長い付き合いではない。
彼女がどんな場面で何を言いそうなのか、これでもある程度は心得ているつもりだ。
しかしそうは言っても、やはりあの黒髪美女の考えていることは良くわからず、掴みどころがないのもまた事実。
掴みどころがあるのは大きなお胸とお尻だけである。
「智悠さん、鼻の下が伸びていますよ」
「おやおや。僕ともあろうものが、これは失敬」
なんて他愛ないやり取りを交わしながら、二人は夕暮れに沈む町を歩いていく。
「………あっ、そうだ。先輩って言えば」
と、雪菜に会話の話題が及んだところで、ふと思い出したことがあった。
「ハナ、最初にあの人に会った時、凄く警戒していたみたいだったけど、あれは何だったんだ?」
「……ああ、そのことですか」
ハナと雪菜のファーストコンタクトは、側から見ていてもどこか剣呑な雰囲気があった。
雪菜の方は普通だったが、問題なのはハナの方。
雪菜を見るや智悠の陰に隠れ、敵愾心とはいかないまでも、警戒心を宿した目で彼女のことを見ていた。
あの時は素っ気ない返事ではぐらかされてしまったが、ずっと心に引っかかっていたのだ。
ハナは恥ずかしそうに頬を朱に染めて、
「いえ、大したことではありません。ちょっと、あの方の雰囲気が知り合いに似ていたものですから」
「知り合い?」
「はい。それが、あまり得意ではない知り合いでして」
「ふぅん……?」
あの上級生に似ている人って、一体どんな人物なのだろう。
いや、女神の知り合いということは、別に人とは限らないのか。
その辺りも含めてもっと詳しい話を聞きたかったが、苦虫を噛み潰したような彼女の表情を見れば、これ以上の詮索は憚られた。
どうやら本当に苦手な相手らしい。
「でも、いざ話してみたら全然違いました。あの人とは違い、篠宮さんには崇高な理念がありましたから」
「崇高な理念、ね……」
確かに、彼女が二人に語って聞かせた有志部の訓示は、崇高なものと言えるだろう。
とはいえ、
「あの先輩の人柄に関して言えば、崇高とは程遠いけどな」
「いや、えっと………それは、まあ………否定はできません」
ハナは頑張ってフォローしようとしたみたいだが、彼女の振る舞いを見て気高く尊いなど到底思えまい。
擁護の言葉は続かず、尻すぼみになって消えていった。
と、そのタイミングで、ちょうど智悠の住む家が見えてきた。
二階建ての一軒家。
特筆すべき点のない平凡な自宅の前で、二人は向かい合う。
「そういえば、ハナって住む場所とかはどうなってるんだ? ホテルでも取ってるとか?」
あれほど入念なプロフィールを作成していたのだから、てっきり人間として暮らす場所もどこかに確保していると思っての質問だったが、ハナの返答は意外なものだった。
「いえ、住む場所は決めていません。あくまで私の目的は学校生活ですから、それが終われば普通に天界に戻りますよ」
「いや、あなたの目的は僕の監視でしょ」
「でした」
舌を出して微笑んだ女神は、やがてその瞳をそっと閉じると、おもむろに胸の前で両の手を握り合わせた。
「………?」
突然の行動に首を捻った、その直後。
「————」
彼女を中心にして発生した眩い白光が視界を覆った。
光は次第にその強さを増し、彼女の姿は全く視認できなくなる。
思わず目をつぶること、数秒。
「では、智悠さん。———また明日」
耳に届いたのは、再会を望む女神の声。
それを最後に眩しさは収まり、次に目を開けた時には、もうそこにハナの姿は————
「—————あ、あれっ?」
————なくなってなどいなかった。
「ちょ、ちょっと待ってください」
もう一度、同じように彼女は手を合わせる。
今度はより強く———天高く祈りを捧げるように。
再び発生した白い光(心なし強さが増している気がする)は、しかし同じように消えゆくだけで、何も変化は起こらない。
「あ、あれー? おかしいなー? こうすれば天界に帰れるはずなんだけどなー?」
口調が崩れていることにも気づかず、徐々に額に冷や汗を浮かべていくハナ。
その後、およそ何十回にわたって彼女を包む光は瞬いては消え、瞬いては消えを繰り返したが、女神の姿は、いつまで経ってもそこに残されたままだった。
「………」
「………」
二人の間に流れるのは気まずい沈黙。
「えっと………あの、どうします?」
「…………グスン」
気遣わしげな少年と、半泣きの少女。
そんな二人に残された選択肢は、ただの一つだけだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます