女殺し屋のはなし

べてぃ

第1話 人生を変える酒

頭から真っ赤な血液を流したそれに声をかける。しゃがんで首元の脈に触れると、その人は震える唇で何かを伝えようとして、目を閉じたと同時に脈が小さくなり、止まった。


「連続空き巣5件、暴行傷害32件、詐欺48件、恐喝60件.....来世で反省してください」


もう届かないそれに向かって語りかけた後、立ち上がって背中を向け、歩き出す。


この男は沢山の人の幸せ、そして日常を奪った。決して許されざることではない。


時刻は午前2時。暗い路地に自分のヒールの音だけがカツカツとこだましていた。


.


「おはようはなちゃん!」


暖かい太陽の光が降り注ぐ青空の下で、真新しいスーツに身を包んだ彼女、みうは満面の笑みでそう言った。


「おはよう、みう」

「うわぁ、隈凄いよ、眠れなかったの?」


そう言って彼女は自分の瞳の下を指さした。


「最近眠れなくてね〜」


私が苦笑いしてそう言うと、彼女は心配そうに眉を下げてみせた。


「まぁ、入学式だしねぇ。緊張してるんじゃないかな?」

「かもね」


彼女と横に並んで歩く。

今日は大学の入学式。正面玄関からホールへと1歩中に入ると、そこにはどこかぎこちなく談笑している人々が沢山いた。


「にしても、はなちゃんがいてくれて良かったぁ。私どうしようかと思ったよ。」

「私もだよ、あの時みうに話しかけてよかった!」


みうとの出会いは受験後の合格者説明会の時。私は前の席にいた彼女に話しかけた所、思いのほか気が合い、今に至る、という訳だ。


「そう言えば、はなちゃんサークルどうする?」

「あー、私サークルには入らないつもりなんだぁ」

「えー、そうなの!?勿体ない。」

「バイトで忙しそうだから」

「でも、週一だよ?やろうよ〜」

「うーん、考えとく」


お願い、と手を合わせる彼女の根気に負ける。ちょっとだけ気になるし、入ってもいいかなぁ...


様々なパンフレットを片手で貰いながら、ホールの真ん中あたりの席に座る。


「サークルか、」


小さく呟き、パンフレットを指で捲る。そこには幸せそうな笑みでピースをする、若い男女が沢山映っていた。


.


昼間の平和な入学式を終え、今は午後11時。繁華街のビルの地下一階、シャンデリアがひとつしか灯っていない、薄暗く、静かなバーの中。


カランコロンとベルが鳴り、女が入ってきた。


「ニコラシカ」


カウンターへ座るなりすぐにそう言い放った女をちらりと見る。


「...頼めるかしら」


彼女は、思い詰めたように眉を顰めて私をじっと見つめた後、一枚の写真を差し出した。


「浜岡四郎、43歳。浜岡建設の社長よ」


黒い手袋を嵌め、それを手に取って見る。

浜岡建設、確か華町の暴力団と黒い噂のあるあの...


「その男、あの女と別れて私と結婚するって言ったのに、音信不通になったの。許せない。」


そうして彼女は悔しそうに舌打ちをして、金髪の髪をかきあげた。


「...3日後にまたここへ」

「えぇ、」


彼女は椅子から立ち上がると、頼んだわよ、と一言呟いて、バーを後にした。


顔の前に垂らしていた黒いベールを上げる。



私のもう一つの顔は復讐代行



自分では晴らすことの出来ない怨みを代わりに晴らすのが私の仕事。私に依頼をしたい人は、決心という意味の"ニコラシカ"を注文するのが合図になっているのだが...


「これはダメだな」


恐らく先程の彼女の場合、不倫をしていて、彼と結婚の約束までしていたが、奥さんと別れてもらえなかった、というよくあるパターンだろう。


写真を手にとり、じっと見つめる。


一応、依頼があったから調べてはみるが、この依頼は断ることになるだろう。この手の依頼は自分の力でどうにか出来るものだ。私の出番ではない。


スマホを取り出し、連絡先のひとつに電話をかける。


「私、浜岡建設についてお願い」


それだけ告げて通話を終え、バーのドアを開き、OPENと書かれたネオンの光を落とす。


今日は眠れそうだ...


.


「はなちゃん、これ入ろう!」

「えぇ...」


キラキラした瞳でみうは私にひとつのパンフレットを手渡した。


「旅行同好会?」

「そう!月に1回みんなで集まって出かけましょうっていうサークル!」

「へぇ、そんなのあるんだ」


月に1回か...

これなら行けるかもな


「ね、いいと思わない?」

「...うん、入ろうかな」

「やったぁ!じゃあ説明会に行こ!」


.


「入ります!」


青空の下に設営されたテントの中で、開口一番みうはそう言った。


「わぁ、嬉しい!君も入るよね!?」


先輩がグイグイと話しかけてくる。


「は、はい」

「やったぁ!ね、LINE教えて!グループ招待するから!」


断れなかったぁ...


仕方なくスマホを取り出し、LINEを先輩と交換する。


「浜岡先輩ですね!」

「おう!俺は部長してるからよろしくな〜」


...はまおか?


「あの、先輩は何学部ですか?」

「俺はね、経営だよ!将来は親父の会社を継ごうと思っててねぇ。」

「え、お父さんは社長さんなんですか?」

「そうそう!浜岡建設って知ってる?」


やっぱり、この男は濱岡四郎の息子、浜岡研二だ。


「知ってます!凄いですね、部長さん!」

「いやいや、俺はそんなことないよ!」


みうがキラキラした瞳で彼を見つめる。

が、一方で当の彼は、どこか影のある笑顔をしていた。


「あ、もうこんな時間、みう、行くよ」

「え、うわ、バイトやっばぁ、じゃあ、部長さん、また!」

「はーい、待ってるね!」


彼にお辞儀をしてテントを出る。


「部長さん、次期社長かぁ。」

「え、なに、みう狙ってんの?」

「まっさか、チャンスないでしょ」

「わかんないよぉ?」


みうがふふ、と笑う。

なかなかしたたかな女だなぁ...


「でも、社長さんの奥さんとか、夢のまた夢だよねぇ。昼間もソファで寝っ転がってでも生活できるんだよぉ?」

「いやいや、社長夫人だから、色々あるかもよ?接待とか。」

「あー、大変かもなぁ」


みうがうーん、と唸る。

まぁ、実際浜岡建設は大変なことになっているからなぁ。社長夫人はオススメしない。


それよりも、さっきの彼。なにか影のある笑顔をしていた。


「あ、私ここから右だ」

「そっか、じゃあね!」

「バイバイ!」


ふわりと笑う彼女に、ひらひらと手を振る。

にしてもすごい偶然だ。入ろうと思ったサークルの部長が、対象の息子だなんて。


「...つけるか」


歩いてきた道を踵を返して戻る。恐らくあの息子にもなにかある。


.


「あ、母さん?俺。体大丈夫?」


大学の建物の裏で1人電話をしている彼の声に聞き耳を立てる。


「うん、でも無理しないでね、まだ明日は、完全には治ってないんだろ?」


恐らく相手は社長夫人。

彼女は足を怪我しているのか?


「俺も今日も帰れないから、うん、サークル。ごめん.....じゃあね」


通話を終えて彼がはぁ、とため息をつく。


「なんでこんなことに...」


頭を抱えた彼がしゃがみこむ。


「部長、大丈夫ですか?」

「あぁ、大丈夫だ、ちょっと疲れてるらしい」


後輩らしき女に話しかけられて、彼が苦笑いをする。


「今日、帰ってもいいかな?」

「どうぞ、お疲れ様でした!」

「ごめんね、」


彼がこちらへ歩いてきて、慌てて木の後ろへと隠れる。


あの疲れ切った様子、何かあるな。それに、さっきの電話。恐らく彼は昨日家に帰っていない。そして今日も。彼がサークルと嘘をついてまで家に帰らない理由はなんだ?


「あ、部長さん、」

「お、君はさっきの...!」


たまたま出会い頭で会った振りをして話しかける。

「部長さん、大丈夫ですか?なんだか顔色が悪いですけど」

「あー、ちょっと疲れてね、ありがとう。」

「わぁ、それは...お疲れ様です。それじゃあ、失礼します!」

「おぉ、お疲れ!」


すれ違い様に彼の背中に発信機をつける。

これで彼の行動の謎が解けるだろう。


.


家に帰ってスマホで発信機の行方を見つめる。この方向、華町の方だ。


黒いスカートに着いたシャツ、首元はリボンで締め、その上に黒いフードを被る。そして最後にリボンの真ん中に赤いブローチをつけ、手袋をはめれば...


これが私のいつもの"仕事"着。暗い夜を飛び回るには黒い方が色々と好都合なのだ。


ヒールブーツを履いて、家の鍵を閉める。


ここ、中央区は、4つの街に分かれている。北の華町、東の白川町、南の絹浜町、西の咲蘭町、と東西南北に別れており、私が住んでいるのは北の華町である。


薄暗い鉄の階段を下まで降りると、1階の居酒屋のおばちゃんが丁度赤提灯の明かりをを落とそうとしているところだった。


「あらはなちゃん、今日もお仕事?」

「うん!今日はバー休みにするから!」

「了解、いってらっしゃい!」

「行ってきます!」


狭い裏路地を駆け抜ける。発信機の位置は華町1番の繁華街。


目の前が明るくなる。


「着いた」


時刻は午後11時半。

華町は俗に言う眠らない街、この時間になってもネオンはきらきらと煌めき、腕を組んだ男女が多く歩いていた。


スマホを取り出し、発信機の位置を確認し、その方向を見る。


「いた...」


建物の影に隠れて様子を伺う。彼はとあるキャバクラ店の出入口をじっと見つめていた。すると、その出入口から1組の男女が出てくる。よく見ると、その男女は浜岡研二と例の女で、彼が近づこうとする。


「っ、やば」


慌てて人混みに紛れ研二に近づき、その腕を掴む。


「...あれ、君は」

「あー、えっと、」

「っあ、あ!いない...」


私の腕を振りほどき、慌てて彼があたりをグルグルと見回す。


「見失ったじゃん!...って、君に言っても無駄か...」


はぁ、と大きな溜息をつき、彼が頭を抱える。


「実はね、父さん浮気してるんだよ。それでずっと父さんのことつけてたんだ。そしたらここにたどり着いて、それで問いつめてやろうとおもってて...でも、失敗しちゃった」

「そう、ですか」


...正解だ。

恐らく彼が今濱岡四郎と接触したところで、奴らの後ろにいたガードの男に捕まえられて終わりだ。それに、浜岡建設は黒い噂もある。息子とはいえ身の危険が迫る恐れもある。


...仕方ない、か


「...着いてきてください」

「え?どこに?」

「いいから」


研二の腕を引き、走り出す。

さっきからガードがチラチラとこちらを見ている。


「先輩、つけてるのバレバレですよ」

「え?」

「2人の後ろにいたガード、ずっとこっち見てましたから」

「っでも、俺はあんな男見たことなー」

「でしょうね、あれは正式な護衛の者ではないと思いますから」

「はぁ?あんた何言って」

「しっ、静かに」


路地に入って彼と物陰に隠れる。


「いたか!?」

「...いません」

「ちっ、面倒な息子を持ったな...」


やはり付けられていたか


何かを言おうとした彼の口を手で塞ぐ。

あれは多分華町2番手の傘見組の連中。厄介なことになったな...


私の手が届くのは1番手の梁間さんの所だけ、傘見は関わりがない。


足音が消えて静かに立ち上がる。どうやら彼らは去ったらしい。


「声、出していいですよ」


そう言うと彼ははぁぁ、と大きな溜息をつき、私の後ろをゆっくりと歩いてきた。


「あの、あれなんなんですか?」

「あれは華町の暴力団、傘見組の連中です。危ないので関わらないようにしてください。」

「は、はい...」


先輩なのに何故か敬語になっている研二をちらりと見る。彼は先程とは打って変わって、どっと疲れたような顔をしていた。


明かりの落ちた提灯の横の地下へと続く階段を降りる。


「あの、ここは?」

「入ってください」


バーの扉を開け、彼を中に入れたあと鍵を閉める。


「浜岡建設社長、浜岡四郎さんのご子息、浜岡研二さんですね。」

「あ、あの、君はサークルの」

「はい。で、どうして研二さんはあそこにいたんですか?」

「...最近母さんが階段から転落怪我をしたんだ。」


階段から転落...


「警察は事故ってことで処理したんだけど、どうも引っかかって。それに、父さんは骨折で入院してる母さんの所に1度しか見舞いに来なくて。不審に思ってつけてみたら...」

「女がいた、と。」

「あぁ、元々この浜岡建設は父さんの父さん、俺のおじいちゃんが作った会社で、今の社長、第3代の社長は父さんなんだけど、実質的な経営は母さんがしているんだ。つ」

「じゃあ、浜岡社長は名ばかりの社長、ってこと?」

「はい、母さんは社長の次に偉い専務という立場にはあるんですが、最近は母さんが社長の仕事もしている状態で...本当は母さん、過労で階段から落ちたんじゃないかと思ってるんだ。それに、父さんが仕事をしなくなった時期と、家に返ってこなくなった時期は一緒。きっとあの女が何かを吹き込んだんだ。だから、俺が父さんに改心してもらうようにあの女との写真を撮って...」

「脅そうとした、と」

「けど...」


確かにあの場に傘見組が一枚かんでいたのは想定外。なにか裏で動いているのか...?


「あのー、」

「...はい?」

「あなた、何者なんですか?」

「...詳しくは聞かない方がいいです」

「はは!俺は浜岡建設の息子ですよ?俺の情報網をなめない方がいい。俺にかかれば君なんか1発で大学にいられなくなー」


スカートで隠していた太もものホルスターから拳銃を取り出し、彼に銃口を向ける。


「...は、なにそれ、本物?」

「見てわからないんですか?あ、自慢の情報網を駆使してお調べになったらどうです?」

「...」


黙りこくった彼に溜息をつき、銃口を下ろす。一般人を脅すほど胸糞悪いものは無い。


「命の恩人にはちゃんと感謝した方がいいですよ。」

「え?俺もしかして」

「はい、あのまま突入していたら今頃海の底ですかね」


はは、と研二が苦笑いをした。

ったく、このおぼっちゃまは...


ガシャン、とポストに何かが入れられた音がしてドアの方へ向かう。取り出し口には茶色い封筒が入れられており、アルファベットの"G"と書かれた封蝋が押されていた。


「実は私、あなたの会社について調べていたんです。」


封蝋の隙間にペーパーナイフを差し込み、封を開け、中に入っていた資料に目を通す。

...なるほど。


「浜岡建設と傘見組には華町の再開発事業を巡って取引があっているようですね。これは公にはできないもの。ちゃんと証拠もあります。」

「...まさか、父さんが暴力団と関わりがあるって言ってるのか?」

「えぇ。」


彼が慌てて資料に目を通すと、みる見る顔色が変わっていく。


「...マジかよ」

「それからこちらですが、」


もう1枚資料を取り出す。


「浜岡建設の経営状況、あまり芳しくないようですね。」

「え、黒字じゃん」

「ここ、よく見てください」


とんとん、と指先で収入源表の一部を指さす。


「出処不明の収入かなりあります。あ、ここもですね。例えばこのテナントビル立て替え依頼。調べたところこんな建造物は存在してなかったんです。ここも、大規模リフォームとなっていますが実際には特に変わっていませんでした。恐らくこれは傘見組からの送金、あらまぁ、これはダメですね、完璧アウトです。」

「そ、そんな...」


研二が頭を抱える。


「他にもありますよ、社員の残業代未払い問題。こちらは労基に通報されるまで時間の問題でしょう。それから社長のセクハラ、パワハラ、経費の使い込み、他にも探れば探るほど色々と出てきました。」

「ちょ、ちょっと待った!分かった、分かったから、さっきの言葉は悪かった、許してくれ。」

「...これくらいにしておきます」


とんとん、と資料の端を揃えて鍵付きの棚に直す。さすが彼の資料、ひとつも情報に曇りがない。探り屋の名前は伊達じゃないな...


「で、私から提案です。」


すっかり項垂れてしまっている彼がげっそりとした顔で顔を上げる。


「契約しましょう、私とあなたで」

「けい、やく?」

「えぇ、」


黒いフードを脱ぎ、グラスを2つ取り出す。


「これらの公にできない資料、私は目を瞑りましょう。」

「え?」

「私はあなたを守ります。今のあなたはかなり危険な状況、はっきり言って、いつ傘見の傘下の者があなたに危害を加えるか分かりません。そこで、私があなたの護衛につき、何があってもあなたを守ります。」


冷蔵庫から白ワインとカシスリキュールを取り出し、グラスに注ぐ。


「その代わり、あなたは私の言う通りに動いてください。あなたが私に背いた瞬間に契約は破棄、例の情報をマスコミに流します。」


グラスの中身をクルクルとかき混ぜたあと、彼の目の前にグラスを差し出す。


赤いグラスが彼の瞳の中で揺れる。


「あんた、酷い女だな」


そう言って彼はグラスを奪い取り、一気に流し込む。


「...サークルの部長は、差し出された酒は絶対に飲むんだよ」

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