剣戟の雷霆 -冒険者始めてみました-

渡良瀬りお

第1話

 16歳の誕生日を迎えたその日は、冬を超えて暖かくなり、雪が溶け花達が芽吹き始めた頃だった。

 穏やかな空気に踊るように、中世的な住宅街を小鳥達が舞って行く。

 道の真ん中を人工河川が渡って、反対側にあるパン屋さんが開店の支度をしている。

 花壇の花は朝露の為か、花弁に水滴が並んで、風で揺らぐと落ちてゆくのだ。

 朝からこんなにも活気の良い街を、泥んこまみれの少年が、道を駆け抜けて忙しい。

 街灯だったり木箱だったりを、まるでアスレチックかの様に跳ねて駆ける少年。

「またか、元気な奴だ」

 どうやら、この街ではかなりの有名人らしい。皆彼を見ては微笑み、または呆れたような優しい笑みをこぼしていり。おはようっと声を上げ、道に並ぶおばさん達に手を振って、愛想を振りまいているのだろう。

 そんな彼、ラウム・ベレッタは家に着くと同時に、声を張り上げた。

「じいちゃん、俺、冒険者になる!」



*-*


 その日は曇りだった。

 山の向こうに見える蒼穹。しかし頭上は重く分厚い灰の天井で、いまにも押しつぶされそうな、そんな勢いだったのだ。

 吹き下ろす肌寒い颶風がその感を余計に思わせた。

 しかし、ラウムはそんな日にも関わらず、”修行”と称した自己流の特訓を欠かさずに行っていた。

 手に二本の棒を持ち、木の枝から吊り下げた握り拳程の的に切りかかって行くのだ。思い切り振りかぶるのだが、ほんの僅かしか掠めない。そんな連撃を繰り返す。

 どうやら手元が狂って鈍いこなしを晒した訳では無いようだ。

 掠めた的は、若干痙攣したかの様に震える。がしかし、大きく揺さぶられる事は無い。少しでも空を切れば、または内を抉れば、残念な結果になるのだろう。

 そんな珍妙な技を披露しているのだが、実は物凄く繊細な技術である。

 前述した通りの生憎の空模様と風で、より高度で卓越した手捌きを要する為、ラウムのこの技は、曲芸紛いの一種の達人芸だった。


 額の汗を拭った頃には、既に日は暮れ始め、曇天もまた、より一層その影を濃くしていた。

 修練場とは名ばかりのちんけな場所ではあるが、一応これでも街郊外に構えた小屋としては上々だろう。雨宿りだったり一日そこらの宿泊くらいなら、問題は無い。はずだ。

 およそ数百メートル後方に見える石塀や柵で囲まれた街の外は、広々とした緑の大地が広がっている。街を襲う魔物対策に『アリストパネスの篝火』が灯っているのだが、遠くからでも美しい輝きを放っているのが見て取れる。

 篝火の庇護下にあれば安泰であるが、その他は例外なのだ。

 斯く言う小屋も当然その例外に当たる為、魔物の襲撃は後を絶えないのである。

 とは言っても、こんな辺境の街に、武勇を立てる様な悪なる魔物は住んでいない。小石が当たっただけで逃げ伏せる弱い魔物の方が多い。

 それに、日が出ている間はラウムが空の下で棒を振るっているのだ、その無駄のない筋肉を見て襲い掛かってくる様な魔物であれば、既にこんな土地から出ていってるだろう。


 井戸から地下水を汲み上げて、汗を流すために軽い水浴びをしたラウムの肌は鳥の様になっている。この天気で上裸になればさも当然である。敢えて風邪をひこうと言うのならばまだしも。

 麻の布でその濡れた肢体を拭くラウムの肩に、一つ水滴が垂れた。

 ぴちゃんと弾けた水滴を、髪からのものだと思っていたが、頭上に同様の感覚を覚えたラウムは天を仰ぐと、映る雨雲から、しきりに雨が降り出した。

 慌てて小屋に入ったラウムは、震える体で取り急ぎ炉に火をくべたのだった。


 雨脚が強まる。

 風が吹く。

 窓を叩くような音で小屋内は支配される。


 ここから、ラウムの物語は幕を上げるのである。



”-”



「・・・寒い。寒すぎるだろ」

 炉の前で肩を震わせながら、弱弱しく愚痴を垂れた。

「台風、かな。結構強いなあ」

 窓を見つめて呟く。

 コン、コン。ザザン、ザザー・・・。コツン。

「あ~あ。明日誕生日だって言うのに、こんな寂しい小屋で、こんな悪天候で。じいちゃん心配するだろうな」

「明日には雨、止んでるといいな」

 そう言って、ラウムは毛布に包まったのだった。



 ズシーン・・・ズシーン・・・。

「・・・」

 ズシーン・・・ゴロゴロ・・・ズシィーン・・・。

「う・・・ん・・・」

 ズシーン・・・。ドンっ・・・ガラガラ・・・ザァー・・・っ。

「うる・・・さいなぁ・・・」

 小言を溢すも、ラウムの眠りは深かった。

 この騒音以前に、雨やら雷やらで相当にうるさいのだ、今更別の物音で敏感に目を覚ませと言う方が難しい。

 ズシィーン・・・ズシィーン・・・!

「なん・・・だよ・・・。こんな時間に・・・んっ。はぁ。うるさいなぁ・・・」

 それでも、その地鳴りは治まる事は無く・・・。

 と言うより、その地響きがどんどんと大きくなっているのだ。迫ってくるような、どこか、不安を感じる何かが、少しづつ、大きく。

「森の大木でも倒れたのかな・・・。にしては規則的な音だけど・・・」

 徐に立ち上がったラウムは、寝ぼけ眼をゴシゴシと擦りながら、窓の方へと歩みを進める。

 雷が光って目障りだったこともあって、カーテンは閉め切っているのだ。

 戸を開けて濡れるのは面倒だ、窓から外の様子を窺いたいのだろう。

 ふら・・・ふら・・・と、覚束ない足元で徐々に窓へと近づいていくラウム。


 そして、カーテンに手を掛けた時、不意に思ったのだ。

「そういえば、もう音止まっ・・・た・・・」


 途端、ラウムの眠気はどこかへ吹き飛んでいた。

 形相を変え、すぐに護身用のグラディウスを2本、ソードラックより握りしめた。


 そこで。


 ズシィーン!!バアァァァァン!


 小屋が崩壊する音と共に、が姿を現した。



 ひどい雨だ。炉の火は既に消火された。


 この化け物は、何だ。



 醜い相貌に、血腥い獣の臭い。人や鬼の成れの果てと言われれば合点が行く。

 灰色の皮膚に巨大な体。目は血で膿んでいて、牙は風化した様な、ドス黒い輝きを放つ。

 手に持った棍棒もとい、巨木で、この小屋の天井を消し飛ばしたのだろう。


 驚きで立ちすくみ呆けていたラウムをよそに、そのが巨木を振りかざす。

「危なっ」

 ドスンっ!

 間一髪と言ったところか。どうにかその追撃を躱したラウムだったが、小屋はとうとう見るに堪えない廃墟と化した。

「うわあ・・・俺の修練場が・・・」

 着替えた服はもう既に汚れていた。寝癖だってこの雨でとうに直っていた。

 修練場の有様に落胆を模した表情のラウムは、キッとその怪物を睨んだ。

「おい化け物。どうするんだよこれ」

 右手のグラディウスの矛先を怪物に向け、低い声音で問いを投げた。

 しかし、当然返答は無く。

「・・・そりゃそうだ。会話なんてできっこないに決まってるじゃないか。理性を失ったバーサーカーだもんな。みるからに」

「こういう日を厄日って言うらしいぞ化け物。俺の築き上げてきた物を無かったことにしやがって・・・。くう、なんっか腹立ってきた!」

 グルルルル・・・と唸る奇形の化け物。

「しっかりと落とし前、つけさせてもらうからな」


 鬼紛いが再び巨木を天高らかに掲げる。

 喝采を浴びた大司教の如く鳴り散らす雷鳴が、鬼紛いを後押しするかの様に風が吹く。

 そして、振り下ろされるのである。馬鹿力に任せた、傲慢な攻撃。


 その一撃が、ラウムの脳天に直撃――――

 ――――したかに見えたが、チャキンっ!と言う音と共に、化け物の拳がずれ落ちていた。


 噴き出した血から、饐えた臭気が漂い、ああ、本当に腐ったような臭いだなと、ラウムは感じていた。


「グワアアアァァアァ!ガアアァァアアァ!」


 狼狽え悶える鬼紛い。理性の無い化け物が、更に理性を無くしたように身悶え、辺りを粉砕して忙しない。

「危な、危ないってば」

 飛んでくる塵を適当にあしらうラウムの元に、化け物の左拳が物凄い速さで迫って来ていた。

「もう、めんどくさいなあ!」

 その殴打を軽いこなしで躱し、

「そい!」

 右手同様、拳をぶった切る。

「グオオォォオオォォ!?」

「暴れるなよもう・・・。血が飛ぶ。てか拳が落ちてるのってグロ!」

 余裕な様子のラウムの元に、捨て身覚悟だろうか。猛進する鬼紛い。

「よし。いい覚悟だな」

 大きく口を広げ、このままラウムを噛み砕く勢いの鬼紛いにラウムは。


「皮剥ぎ」


 奇妙なポーズでそう呟き、鬼紛いが彼を喰らった。


 

 と思った矢先、鋭い閃光が鬼紛いの顔に走った。

 ブシャァン!と言う血しぶきと共に、鬼紛いのつらがスライスされた様にずり落ちていった。

「俺の勝ちだ化け物」



 そして、夜が明けるのである。

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