ネコ

T_K

ネコ

「またこの感情か。最近こればかりだなぁ」



ネコは“哀しみ”が詰まった感情の欠片を拾ってそう呟いた。


ネコはその感情の欠片を摘まんでパクっと口に放り込んだ。


身体中に哀しさが広がっていく。


ネコの眼からポトリポトリと涙が零れ出した。


溜まった哀しみの感情が一気に溢れだしてしまった様だ。



「あぁ、また拾いなおさなきゃ・・・」



ネコには感情がなかった。


無くなってしまったと言った方が正しいかもしれない。


幼い頃、大切な人に裏切られ、そのショックで全ての感情を失ってしまったのだ。


感情を失ってからは、その時持っていた名前も捨て、


自らを“ネコ”と名乗る様になっていた。



感情を失ってから、ネコに変化が表れた。


感情の欠片が見える様になったのだ。


それからというもの、ネコは毎日の様に感情を拾い集めていた。


感情を拾い集め、自分に取り入れれば、


失ったはずの感情が微かに蘇る感覚があったからだ。


ただ、それは感情を取り戻したいからなのか、昔を懐かしみたいからか、


それとも自分という存在を確かめたいからなのか、


ネコ自身にもわからなかった。



「おはよう、ネコ」


「あぁ、ランドリー。おはよう」


「ちゃんとご飯食べてるか?」


「うん。一応」


「で、今の感情は?」


「少し哀しいかな」


「そっか。なぁ、感情の欠片ってどんな風に見えるんだ?」


「グミってランドリーわかる?」


「グミ?グミってあのグニグニしてる柔らかい食べ物のこと?」


「そう。あんな感じの小さいグミが落っこちてるんだ」


「へぇー!なぁ、感情の欠片ってどんな味がするんだ?


いつも食べてるんだろ?


グミみたいにやっぱり甘いのか?」


「味はあんまりないかな。楽しい時は少しだけ味がすることもあるけれど」


「そっか。食べてみたいなー。感情の欠片」


「ランドリーは食べなくても良いでしょ。いつも楽しそうだし」


「ははは。確かに、食べなくても良いかも。でも食べてみたいんだよ」



ランドリーはネコが唯一話す友達だ。


幼いネコを心配して、ランドリーは時々こうして会いにやってくる。


特に用事があるわけでもなく、ただ話すだけなのだが、


ランドリーは、少しでもネコの気分転換になればいいなと思っていた。


ネコに気分という感情があれば、の話だが。



「なぁ、ネコ。今日が何の日か知ってるか?」


「知らない」


「ヒントは、これだ」



ランドリーの手からはキラキラと輝く星のオーナメントが下げられていた。



「星?」


「あぁ、判らないか。クリスマスだよ。クリスマス」


「クリスマスって何?」


「なんだ、ネコ、君はクリスマスを知らないのか」


「知らない」


「クリスマスってのは・・・あれだ。美味しいものが食べられる日だ」


「へぇ、そうなんだ」


「きっと感情の欠片も沢山落ちてるよ。なぁ、ネコ。


街へ行ってみないか?ネコにクリスマスを教えてあげるよ」


「うん」



ランドリーとネコは街へとくり出した。


街中はキラキラと輝きを放ち、そこかしこかで楽しそうな音楽が流れている。



「わぁ」



ネコは思わず声をあげた。


感情こそ、そこまで露わにしてはいないが、ネコは心底驚いていた。


街の電飾によるキラキラとは別に、沢山の感情の欠片が降り注いでいたからだ。


それは、普段まず目にすることのない、とてもカラフルで美しく、


思わず見とれてしまう程の感情の欠片だった。



「こんなの初めてみた・・・」



それは、ネコにしか見る事の出来ない景色。


楽しさ、嬉しさ、喜び・・・。プラスのエネルギーに満ち満ちた感情の欠片達。



「なぁ、ネコ。何が見えてるんだ?」


「そこら中に感情の欠片が溢れてる。凄くキレイなんだ。まるでグミの海みたいだ」


「グミの海・・・。それって美味しそうの間違いじゃないか?」



ネコは感情の欠片を1つ手に取ると、口へパクッと放り込んだ。


食べた瞬間、ネコの中で何かが弾けた気がした。



「喜びの欠片。それも今まで味わったことのないくらい強力な」


「喜びか。良かったな、ネコ」


「え?何が?」


「楽しそうだ」


「そう・・・なの?」


「うん。楽しそうな顔をしてる。ネコもこんな顔出来たんだな!」


「どんな顔か、判らないよ。自分の顔は見られないもん」


「んー。あ。あそこのディスプレイに写るかも。ネコ、見てきなよ」



ネコはディスプレイへと歩き出した。


足の運びは心なしかいつもよりとてもリズミカルだ。


恐々とネコはディスプレイを覗き込んだ。


そこにはいつものネコの顔があるだけだった。



「いつもと変わんないよ」


「そうかー?楽しそうに見えたけどなー。


もしかしたら、さっきのが本当のネコの顔なのかもね」


「本当の自分・・・か」



ネコはまたパクッと欠片を一欠け口に含んだ。


ネコの中で、やっぱり何かが弾けた気がした。



「ランドリー」


「んー?なんだ?ネコ」



ランドリーはどこから貰ったのか、大きなチキンを頬張っていた。



「クリスマスって、楽しいね」


「美味しいの間違いだろ?」



ランドリーは豪快に笑ってみせた。


ネコもそれにつられてニコッと笑った。


今日はどれだけ笑っても、笑い足りないくらい欠片を食べられそうだ。


ネコとランドリーは、その後、暫くの間、街を歩き回った。



翌日、ランドリーと別れたネコは、昨日の街へと出掛けることにした。


もしかしたら、また昨日と同じ欠片の雨が見られるかもしれないと思ったからだ。


しかし、ネコの期待とは裏腹に、街の景色は一変していた。


感情の欠片こそあるものの、どんよりとした、


気味の悪い色の欠片ばかりが、そこにはあった。


ネコは、1つだけ欠片をパクッと口に放り込んでみた。


何やらイヤな感情がネコの身体を走り回った。


ネコはとぼとぼと歩いては、適当に感情の欠片を拾い集めた。


楽しい感情も、嬉しい感情もあったはずなのに、


どれだけ食べても満たされなかった。



「なんだ、いつもと同じじゃないか」



ネコの中で、何かが壊れ始めていた。



ネコが5歳になったクリスマス。


街中をフラフラとぎこちなく歩くネコの姿があった。


まるで死体が彷徨うかの様に。


ネコは既に自分を失い掛けていた。


ネコの周りには、クリスマスらしい、カラフルな感情の欠片の雨が降り注いでいる。



「ん?あれは、ネコか?」



ランドリーは橋の上から、フラつくネコを見つけた。



「おーい!ネコ!」



ネコは声がする方へとゆっくり振り向く。



「あれは・・・」



ランドリーは橋から滑る様にネコの元へと降り立った。



「やぁ、ネコ。久しぶりだね」


「君は、ランドリー」



数年ぶりの再会でネコは心から喜んだ。いや、喜びたかった。


だが、既に喜びの感情は使い果たしていた。


ネコは何とも言えない表情を浮かべている。



「ネコ?どうしたんだ?」



ネコの顔を見て、ランドリーは一瞬怪訝な表情になったが、すぐにハッと見開いた。



「あぁ、もしかして、“喜び”の感情が無くなったのか?」


「うん」


「どおりで。よし、一緒に探しに行こう!」


「あぁ、うん」



ネコとランドリーは連れ立って街を散策し始めた。


ランドリーには感情の欠片は見えない。


ただ、一緒に歩いているだけだが、ランドリーはネコが心配でたまらなかった。



「今日はクリスマスだ。きっと沢山の感情の欠片が落ちてるに違いないよ」


「うん・・」



ネコはランドリーの気遣いが嬉しかった。


ただ、その嬉しさを伝える事は疎か、表情に出すことすら、


今のネコには出来なくなっていた。


仮に、ネコが喜びの感情を1つ持っていたとしても、


マイナスの感情を取り入れ過ぎており、


もう心から喜ぶことができなくなっていたからだ。


そんなネコを知ってか知らずか、ランドリーは必死になってネコに言葉を掛けた。



「ネコ!この辺りなら感情の欠片がありそうじゃないか?」


「あそこのお店の前ならあるんじゃないか?」


「ほら!ネコ!こっちだこっち!」



ランドリーの姿を見て、


ネコは自分が変わらなければならないかもしれないと思い始めていた。


が、どうしてもその決心をすることが出来なかった。



「ランドリー。もう良いよ」


「ネコ、何言ってるんだよ。もう少し探せばきっと感情の欠片が見つかるって。


俺にも見えたら、手伝えるんだけどなー」


「もう・・・構わないで」



何も伝わらない、何も伝えられないネコの眼を見て、


ランドリーは掛ける言葉を失ってしまった。


その場から立ち去るネコの背にランドリーは叫んだ。



「またな!ネコ!」



ランドリーは全身を奮い立たせ、ネコに想いを伝えた。


フラフラと歩くネコが振り返る事はなかった。



気が付くと、ネコは路地裏の壁でもたれ掛かっていた。


もうウロウロする気力も体力も尽きかけていた。


暫くすると、ネコの隣に誰かが腰を下ろした。


ネコはその誰かの方へ、ボンヤリとではあるが目をやった。



「私はノア。あなたも独りなの?」


「・・・」


「私も独りなの」


「・・・」



ノアにそう告げられたが、ネコはどう応えたら良いかわからなかった。


声を絞り出す事すら、今のネコには難しかった。


ノアは顔を伏せ、うずくまっている。


ネコは遠くを見やった。


街にはクリスマスらしく感情の欠片の雨が、降り注いでいる。


ネコもふと視線を落とした。


暫しの沈黙が続く。


不思議な事に、ネコの中で、1つの感情が生まれ始めていた。



「なんだろう・・・この感じ」



ただ、この子の為に、何かしてあげたい。


それは、純真な感情だった。


やがて、その感情はどんどん大きく、


強くなっていき、その想いだけが、ネコを支配した。


ネコはノアにゆっくりと近付き、ノアの手にそっと自分の手を重ねた。


ネコの瞳からは1粒だけ涙が流れた。


ノアはハッとした顔をネコに見せ、それからギュッと抱きしめた。


やがてノアの瞳からも涙が零れ落ちた。


ノアの涙がネコの頬を伝い、口元へと流れた。


ネコはその涙をペロリと舐めた。


しょっぱかった。


でも、ただしょっぱいだけじゃなかった。


なんだか身体がポカポカしてきた。


ノアとネコは、もう少しだけ強く、お互いをギュッと抱きしめた。


ネコの周りには、いつのまにか感情の欠片が沢山散らばっていた。


ネコは目を瞑って、もう1粒だけ、涙を流した。


ネコが目を開けると、さっきまで沢山散らばっていた感情の欠片が、


跡形もなく消え去っていた。


ネコの周りだけではない。


遠くに降り続いていた、欠片の雨さえ、全く見えなくなっていたのだ。



「もう、欠片を探さなくても良いんだ・・・」



ネコはノアに聞こえないくらい小さな声でそう呟いた。



街には楽し気なクリスマスソングが流れている。


その様子をランドリーは微笑ましく遠くから眺めていた。

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