第59話 手をこまねいて

 太一の処置が余程的確だったのか、冷蔵庫の性能が良かったのか、一連の作業で犠牲になった金魚は1匹もいなかった。まりえを見失ったことを優姫が報告をしたときになって、太一はことの重大さにようやく気付いた。金魚を救おうと齷齪した太一だが、まりえのことは救えなかった。


「ま、しばらくしたら、何事もなかったかのように、戻ってくるっしょ!」

「そうね。まりえは結局はマスター命だから!」

「日供祭が終わる頃を見計らって戻ってくるに違いないわ」

「だと、良いのですが……。」

「ちょっと、優姫……。」

「!」


 らしくなかったのが優姫で、心配なのがそのまま表情に出て、発言につながっていた。他の巫女たちも一抹の不安を感じながらも、深く落ち込んでいる太一を庇い、なるべく明るくしていたのだ。それを、あおいに諭され、優姫がはっとなったときには、太一の側も表面上の立ち直りを見せていた。


「じゃあ、おやつの時間にしようか!」


 太一はそう言って、その場を盛り上げた。周りもそれに同調して、妙な盛り上がりを見せた。虚しい盛り上がりだった。


 おやつの買い出しには優姫としいかが向かった。


「マスターったら、私たちのことをバカにしてんのかしら!」

「しいか、そんなことは……。」


 まだ落ち込みが激しい優姫に、珍しくしいかがはなしかけた。そしてそのあと、しいかは40匹の金魚たちのために太一がしたことが、いかに的確だったかを、珍しく素直にはなした。


 優姫が不意にクスリと笑った。それを見たしいかは途端に物静かで斜に構えたようないつものしいかに戻っていった。優姫はそれを見ていて、また笑った。


「しいか、もう私は大丈夫だから」

「ふーん、そう……みたいね……。」


 優姫は気付いたのだ。落ち込んでいる自分を、どれだけ必死になってしいかが励ましてくれていたかということに。そして、そんなことができるしいかも、落ち着きを取り戻しているに違いないのだということに。だから、2度笑った。それは儚い笑顔ではあったが、しいかにしてみれば、意を汲んでくれたことが充分に伝わり、嬉しい気持ちになっていた。


(まりえだって、きっと大丈夫!)


 ガード下を潜るときに黄色い電車が通るとガタガタと揺れるのとは違い、優姫としいかの心には、一切の揺らぎがなくなっていた。


 優姫は、おやつの買い出しにあたって、あゆみにお願いされていたことがあった。それは、ショートケーキの材料を買うことだった。既製品を買うのではなく、キッチンで手作りすることで、あまい香りを光龍大社中に充満させて、お腹を空かせたまりえを誘き出そうという考えなのだ。


「でも、女の子7人と男の子1人の分だったら、これくらいで充分だよ」

「そうではないのです……。」


 お店の人に、優姫はいちいち丁寧に事情を説明した。そうしていくうちに、お店の人は優姫が可哀想に思えた。だから、2・3日では食べきれない量の材料を持たせてくれたり、よりあまい香りのする製法が書かれたレシピをおまけしてくれたりした。


 こうして、『まりえをあまい香りで誘き出す作戦』が幕を開けた。

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