第60話 準備万端

 優姫としいかが光龍大社に戻ったときには、あゆみたちは既に着替えを済ませていた。あゆみはティーシャツ姿にピチピチのジーンズ、その上からはふりふりのエプロンを重ね着している。新妻というには幼過ぎる顔だが、どこのメイド喫茶でお給仕しても人気が出そうな愛らしさを存分に見せつけた。


 あゆみだけではない。普段はオシャレをしないアイリスも、長く乱れていた髪を丁寧に櫛でとかして、後ろで一つに束ねている。黒い輪ゴムがチラリと見えてしまうのは金髪ならではのご愛嬌で、その上からはリボンのついた輪ゴムがしっかりと巻かれている。そしてそのリボンの位置までが既に修正されているのだから、相当に時間をかけて念入りに支度をしたのだということが、誰の目からもわかる。


「遅かったじゃないの。あんたたちも早く着替えなさいよ!」


 そう言うあおいからして、若い女性の色香を漂わせ、キッチンに立つ準備をしているのだから、優姫の心が踊らないわけはない。キッチンは女の城である。優姫がまだ金魚だったときに、明菜が言っていたと太一がはなしたことがあった。太一は料理をしている最中にちょこまかされたのでは迷惑だと明菜に体良く追い出されただけなのだが、それを理解していない優姫にとっては、キッチンが女の城であるということが、真実に思えていた。もっとも、太一でさえ理解していないのだから、無理はないのだが。そしてこの日、いよいよ自分も入城するのだと思うと、一刻も早く着替えを済ませて先輩城主たちと肩を並べたかった。


 優姫に用意されていたエプロンは、ふりふりなのはあゆみとお揃いなのだが、淡いピンク色をしていた。しいかと互いに結び合ったが、気合いが入り過ぎていたのか、入城して早々にあおいに結び直されることになった。


「ったく。あんまりキツイと、かえって動きにくいんだから!」

「すみません。女の城に入るのに、身だしなみは重要かと思って、つい……。」

「ふん、先に言えばいいじゃない。そんなの知らないもの!」


 対照的な優姫としいかの反応だった。それがかえって優姫としいかのいつもと変わらない反応だったから、あおいがクスリと笑った。優姫もしいかも笑顔でそれに応えた。


 薄力粉 3000g・ベーキングパウダー 小さじ25杯・チョコレート 6000g・水 3500cc・サラダ油 1500cc・卵大 200個・グラニュー糖 2500gそして塩。これからケーキ屋さんでも始めるのかと思うぐらい大量の材料だ。その横には大小いくつものボウルや泡立て器が並べられている。あゆみが作ろうと思っていたショートケーキではなく、チョコレートシフォンケーキを作るための材料と道具だった。香りのことを考えると、たしかにこちらの方が破壊力がありそうだ。


『まりえをあまい香りで誘き出す作戦』は準備万端に整った。

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