探偵と覆面作家
空蝉
それは一夏の恋ではない
仕事場のクーラーが、無情にも黒煙を噴いたのが、三日ほど前のこと。
チリンとも鳴かない風鈴を視界に、私の親友は口を半開きにして、天を仰いで溶けかけている。
「耽美にて面妖なSF小説家『鍵尻尾』が、こんな情けない顔してるって知ったら、ファンが泣くぞ。」
書類のコピーをとっている印刷機に、ご苦労と声をかけ、アミニズムを気取る私に鍵尻尾は向き直り、口角を上げた。
締め切り明けで気が回らなかったのか、剪定されていない垣根のように、伸び切った髭が目立つ。
「俺の正体を見抜いたのは、後にも先にも、あんただけだろうなあ。
こんな小さな小屋で職を収めるには勿体ないよ、探偵さん。」
「探偵っっても、ドラマみたいに死体とか見たりしないぜ。
大半は浮気調査とか、迷い猫捜しだ。」
鍵尻尾は、俗に言う覆面作家と言うもので。
素性はほぼ知られていない、存在することだけが知られている小説家なのだ。
締め切りを死守した後、不摂生に一眠りしては、変なテンションで私の仕事場に顔を見せに来る。
不安定なものを生業としている同士としての縁か、こいつと冗談や悪態を飛ばし合う時間は、嫌いではない。
「探偵さんよ、今日は隣町で祭りをやってるらしいが、俺と一夏の恋でもするか?」
何が悲しくて、青春がごった返してる場所に、君とウォンチューな関係で特攻しなきゃならんのだ。
私が取ってつけたように文学的な拒否をすると、鍵尻尾は少ししょげた。
「そういえば、あんたは俺の小説って読んだことないよなあ。」
彼の作品は、ノスタルジック、喩えるならば祭りの花火みたいな懐かしさに、妖しくも美しい恋愛要素を滴らせたものが多いと、ネットの掲示板で聞いた。
私もそういう作品は嫌いではないのだが、どうも鍵尻尾の正体を知った頃から、無性に彼と作品を混合したくなくて、避けてきた。
こんな難しい話が、こいつに分かるものかと勝手に心の内側でディスりながら、コートハンガーに引っ掛けてあった帽子を取る。
「私は、私しか知らない鍵尻尾と楽しみたい。
ニーズに応えた甘味だけの君じゃ、生まれる一夏も生まれないんだな。」
鍵尻尾は、ほほうと唸り、顎に手を添える。
「あんた、たまに作家よりすげえこと言うよなあ。」
覆面を脱いだ状態の自分に向く好意に、不慣れなことがよく分かる、不器用な照れ隠しをしてみせる鍵尻尾。
私も首の裏の汗疹が、妙にむずむずと痒かった。
アイスクリームを買おうとか、花火は綺麗に見えるかなだとか、気兼ねしない会話に花を咲かせ、二人して示し合わせたみたいな夏を迎え撃つため、夜道に繰り出すのだった。
探偵と覆面作家 空蝉 @hitorigoto
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