第68話

 ――王宮の間――


 虹色の髪はポニーテールに括られている。シャンディーことテルルは、エジプトの漠なる大地に聳えるピラミッドの一室で独り怪しげな儀式を行っていた。石版の上に雪の結晶のようなフィンランディアの細長い瓶と湯気の立つ自家製のブレンド紅茶とナッツ入りのロシアンクッキー。それと趣味かどうか定かではないが、トルストイ『戦争と平和〈四〉』なる一冊を恭しく供える。

 わざわざクレオパトラの衣装を身につけての辛気臭い日課を滑稽だと思うけれど、テルルは苦笑するでもなく、終えれば満足げに玉座へと腰を落ち着けるのだった。

 

 ピラミッドが作られた往時のエジプトは、緑豊かで森林を有し、水の豊富な地域であったようである。なので寒冷化した地球でそれを再現することは不可能であって、それゆえ『ピラミッドはいかに作られたか』その謎を解くことは極めて困難である。  

 だが困難であるほど都合の良いこともある(人生は永遠なの)謎が解けなければ、退屈することもない。ここは、そんな風に極めて屈折した世界感の街なのである。

 テルル本人は『如何に?』ではなく『なんの為に?』こそ重要だと考えているが、美貌で選ばれたことに満足し、余り深くは詮索せず、この街の人々が充実した検証を執り行える雰囲気作りのために、日々淡々とクレオパトラの役目をこなしていた。


 やがて供えられた供物くもつは、石版の上で徐々に半透明になり、消えた。

 理屈はよくわからないが、教授の臨終の際、頼まれたことであるのでこれも深くは考えない。思うに、もしかすれば教授は未だどこかで生きているのではなかろうかと漠然と願うだけだった。教授の指示通りに、赤ん坊のナミフルの成長を想像し大枚をはたいてはいるが、本も適当に選んでいるだけなのである。


 教授に頼み事をされたのは、それが初めてだった。いや……初めてではないけれど頼まれるのはパーティーに必要な物資を調達したり先々の根回しをするような事務的作業ばかりだったので、個人的な用事を切実に頼まれたのは、やはり初めてだった。




「店番は退屈じゃないかのぅ」

 

 テルルは眉を顰める。時間も遅いのでリップス堂に客はなく店主も欠伸をしながら奥に引っ込んだのでゆっくりできると思っていたのに……


「爺。メゾンに帰ったんじゃなかったのかい?」

「ちょっと散歩に出掛けたついでに店に戻ってきた次第です」

「ふんっ」

「ふんっ、とはご挨拶ですな。エジプトは快適ですか?」

「寒いね」

「楽園地帯からは近いようですが、そうですか……寒いですか」

「なんのギャクだい。この地球上に寒くない場所などあるもんかい」

「ですな」

 教授は帳場の上に腰掛けた。

 猫は片目を開け、教授を見る……テルル本体は王宮の間で紅茶を啜っていた。


「あのお方は、一体どこからやって来たのでしょう」

「ふんっ! もう一つの地球を覗いたのかい」

「それは想定済みですしょうな。わざと覗かせ、わしに偽装工作をやらせるのが目的だったのでしょう?」

「…………どうも人造人間ってのは知恵が回るから始末が悪い」

「恐らくはその工作を終えれば、わしはお役御免。部外者は排除してまでが計算上は最適解なのでしょうな」

「? ……あんたも物好きだね。本当に永久凍土に行くつもりかい?」

「どういうわけか……そうなりそうですのぅ」

 目の前に、気づかぬうちに紅茶が置かれていることに教授は目を丸くする。


「ビックリさせて質問に答えないのは、光コンピュータの使徒の特徴ですな。まずは質問に答えるのが筋でしょう。彼は宇宙から来たのですか? それとも凍った川を、つるつるこっこつるつるこっこ……流れた桃から生まれたのではなかろうのぅ?」

「小難しいね」

「なるほど。質問に答える気はないと仰っている。明快! あなたは欲張りですな。グラディエーターを辞めてもマザーAIに依頼されたクエストパーティーに所属し、本体は漠なる大地。様々な世界感を自由に生きる。そして可愛いジュニアの行く末を見守ることもまた大切なアナタのエートス……欲張りすぎですな。どうしてアナタはグラディエーターを辞めることになったのでしょう? 恋をしましたか?」

「わざわざ喧嘩を売りに舞い戻ってきたのかい?」

「いえいえ。少しお喋りがしたかっただけです。これからパーティーメンバーとして一緒に苦楽を共にする仲間ですからのぅ」

「呆れた。老人の身で本当に参加するつもりかい。クエストほど危険はないにしても永久凍土だよ? それよりあんたはどうして生きている? 疾っくに寿命だろう?」

「それが自分でもさっぱり。生まれはアイルランド分割の地下空間。と言っても工場の試験管の中ですがのぅ。三百年ほどで老人になり、それから千年ほど子育てなどをしておりました。その頃は人造人間を盛んに生産しておったので、貢献を鑑み、まぁ有体に言えば余っていたものですから、定年退職として後は死ぬまで自由に気ままに暮らすことを許されました……が、死なないのデスっ!」

「チッ! どうしてこう人造人間ってのはどいつもこいつも詰まらないギャグを言うのかねぇ」

 猫は腹を向けて寝転がり、……テルルの本体は石版を悲しげに眺めている。


「わしらは若返りはしませんからのぅ。脳の容量はとうに一杯で、新しいことは何も入ってこない。昔のことばかりを思い出しておりました。何千年も……なのにわしはわし自身にどうやら使命を与えられたようなのです。つまりわしは既に当事者であるようなのです。『レジスタンスは霧が晴れるように消えた』これは最近の出来事で、ずっと疑問だった。人類が人類であることの証明。反逆が、なぜ消え去ったのか」

 教授は猫の目を貫き、遠く三千キロ離れた王宮の玉座に座るテルルを見つめた。


「それを知ることが、わしのエートスであるらしい」






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