第62話

 俺の名はナミフル。ナミはお菓子。フルは沢山とか一杯って意味。お菓子一杯。


 甘ったるくて軟弱で今一いまいちだが、産まれるより先に卜者ぼくしゃが決めたので仕方が無い。


 それに、Casablancaカサブランカは燦々と輝く太陽が一杯フルで、漁師の俺には大漁フルがなにより。 


 蜂蜜酒を鱈腹たらふく飲んで文字通り腹も出てきた。肥えた太鼓腹フルこそ、一人前の証し。



 

 つまり、フルってのは何事においても縁起がいいのさ。子供はまだ三人だが、女房のお腹にはもう一人いる。俺も女房もまだ若い。十年後には村でも指折りの子沢山になっていることだろう。てな訳で、俺は稼がなきゃならない。言葉や理屈なんてのは流されていく。稼ぎは流れていかない。俺が死んでもそこに留まり家族を守る。


 女房は美人だ。なかば、さらうように手に入れた。だから命を捨てても悔いはない。

 惚れた女に命を燃やす。それ以上の男の生き甲斐ってのがこの世にあるものかい?


 なんで俺はライバル達が居ない沖へとぎりぎりまで船を漕ぐ。だからあんたは俺の船を選んだのだろ? 知っているか? 海ってのは真っ平らでその先の果ては垂直の崖なんだ。斧でぶった切られたように、そこからは滝のように海が落ちていく。

 怖くないか……だって? そりゃぁ……怖いさっ!


 けどさ、退屈な人生はごめんだ。永遠の命は苦役だ。燃え尽きぬ魂は拷問だ。


 ユートピアはすぐにディストピアに腐っちまうぜ。そんな人生はまっぴらだ。


 それじゃまるで、羅針盤を無くした彷徨う船さ。えー、羅針盤? 羅針盤? 


 ……………………あ、この時代にはそんなのないの? あそ。




 こほっ。

 兎も角、俺は命懸けで船を漕ぐ。な~に心配いらない。あの丘に建つジッグラト

(日乾煉瓦を用いて建てられた巨大な聖塔)が……そうそう、あの桃色にぬめぬめと光っているあれさ。あれがせいぜい蟻んこに見えるくらいまでだ。そこがリミット。

 信じられるか? あれは巨大な象を十匹も重ねた高さなんだぜ?

 まったくビックマンってのは大したもんだ。

 俺は漁師として一芸に秀でた『グレートマン』だが、いつか蓄財してでかいことを成し遂げる『ビッグマン』になりたいものさ。


 へ? ビックマンが誰かわからない? そういやあんた変な布切れ被って暑くないのか? カサブランカは光に満ちている。太陽がいっぱいだ。村にいても白壁の照り返しで目がくらくらするってぇのに……いったいどこから来たんだい?

 ほ~フェニキア。そりゃまた随分遠くからきたもんだ。ふむふむ。貿易をしたくてここまで来たが、みんな素っ裸で誰が偉い人だか判らない。貿易ってのはなんだ? 旨いのか? ふむふむ。だから沖から大きな家を探そうとこの船に乗ったが、塔以外どれも同じでそれも見分けがつかない。どうやら旨い物ではなさそうだな。どうにもあんたとは話が噛み合わない。フェニキアってのは、よっぽど田舎らしい。

 そんなの当たり前。ビッグマンとて、体は一つ。なんで大きい家が必要なんだ? 

 身につける物も同じ? だからそんなのに違いなんて……そうだ、このピアス。

 イカすだろ? 長老に気に入られて特別に貰った。綺麗な飾り石を見てくれよ。

 ん、長老がビックマンなのか? 違う違う。長老は知恵者だ。何でも知ってる。

 

 あーわかったわかった。あんたもしつこいな。俺がビックマンに会わせてやるよ。ったく、目印なんかなくったって、風格でわかりそうなもんだが……人望があるからビックマンだ。蓄財を集めて井戸を掘ったり橋を架けたりするのが役割エートス…………


 あっ! うっかりピアスを落としちまった。あんたがうるさく喋るからだぜ。随分と沖だ。どうする……下は砂地だ潜って拾いに行くか? へ? 透明の石なら持っているから代わりにやろうだって? 馬鹿野郎。あれは特別な石なんだ。【太陽の石】

 曇りや霧の日でも石を覗けばあら不思議。二つある点印の濃さが同じに見えるまでクルクル回すと太陽の位置が判るって代物だ。しょうがねぇ。やっぱ取ってくるか。ありゃ? 水面に長老の顔があるぞ!? おいおい。なんだおい。クラゲが集まってくるみたいに長老の顔がどんどん増えて……どんどん増えて……どんどん増えて……


 

「すぐにションベンに行きなされっ!」



 その声を合図に、ナミフルはローションの中で、ゆっくりと目を開ける。

 静かに上体を起こす。髪からローションが滴り、カプセル内部が波打つ。

 それから夢遊病患者のように床をベトベト濡らしながらトイレに向かう。

 


 ジョンジョロリンジョンジョロリンジョンジョロリンジョンジョロジョンジョロリンジョンジョロジョンジョロリンジョンジョロジョンジョロリンジョンジョロリン 景気の良い水音が暫し続いた。



「長老? …………教授」

 トイレから戻ったナミフルは惚けたようだ。


「ふむ」

「これが仮想現実か……あやうく膀胱が破裂するところだった」

「普通はローションの中で排泄もするんじゃよ。綺麗に分離されて回収されていく。半年ほど居てもなんの問題も無い。電気パルスで筋肉も落ちることはないのでな」

「夢とは随分と違うんだな」

「夢とはまったく違う。あちらでも眠る必要はあるので、リアルとして場所と時間を移動しただけと考えるほうが正しい。紀元前10世紀頃の……」

 教授の声をぼんやりと聴きながら、ナミフルは机の上の地球儀を指でなぞった。


「海の向こうはスペイン」

「ふむ。元に戻れば地名などは自動翻訳されますが、位置はそれで正しい」

「父親としての実感があった」

「そりゃそうじゃろう」

「愛する女が……愛していた」

「仮想とは言え現実じゃからのぅ」



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