第17話

 微細びさいなチェーン状の泡を幾筋も浮かべるワインに、少女は恐る恐る口をつける。


「なんかしゅわしゅわするね」

「そのしゅわしゅわも中世ヨーロッパにはなかったものです」

「やっぱり理屈っぽいね」

「ふっ、すみません。実は僕の両親もこういった世界観の住人でしてその反発なのかつい指摘したくなる。童話の世界に逃げ込むような生き方が嫌で楽園地帯に移り住みましたが……太陽も最新科学の恩恵も欲張りにその両方を享受して純粋に快楽を追い求める生活はそれはそれで懐疑的になってしまい、それで……」

「このマッシュポテト。クリーミーで濃厚、ちょっと酸っぱくてへんてこな味がして美味しいね。こんなの初めて!」

「……ですね。VRでも味の意外性は演出できますがそれも計算上の…………やめておきましょう。文字数が多すぎて嫌われそうだ。ともかく今回クエストに参加できたことを、僕は非常に感謝しています」

 Pちゃんはワインを一口飲んだ。


「私もネックレスをもらって感謝している」

「気に入って頂けてよかった。……恐らく皆さんのクエストは全人類にとって役立つものだ。宗教には興味ありませんが、自分の世界観だけに閉じこもったり快楽を追い求めるだけでは生きている意味がないと僕は常々考えています。そりゃあ、量子コンピュータ、光コンピュータ、有機バイオコンピュータの複合体であるマザーAIに僕の知性なんか及びもつかない。だけど、AIも全能ではない。きっと一介の研究者が他者の役に立つことだって、かならずやあることでしょう。そうです。そんな知的好奇心の翼を広げることが僕の生きがいであり、日常としてのエートスなんです」

 Pちゃんは更にワインを飲んだ。


「この大きな肉団子のお肉はなんのお肉だろ? 立体印刷じゃないよね。この香草のピューレをつけると、すっごくぴったりワインにあうよ」

「たぶん巨大ヘラ鹿でしょう。ここいらの主要な肉はそれか白銀ネズミの二択です。彼らは寒冷にも適応して夏場には地表の大部分を占める永久凍土にさえ、餌を求めて生息範囲を広げます。永久凍土の高台に生える一年草を目当てにね。だから夏場は旬ではないのです。旬は餌をたらふく食べて、ひょうが降ってくる直前の秋の終わりの戻りヘラ鹿が最高だと言われています…………あれ? 本当ですね。美味しいです」

 ぐびぐびぐびぐびぐびぐびぐびぐびっ!







「Pちゃん、大丈夫?」

「すみません……」

 少女は酔ってふらつくPちゃんを支えた。



「あれ? おかしいな~以前に飲んだときはこんなにならなかったのに」

「体調によるよ。私も寝不足だったから心配したけど、ギルドの互助会で眠ったから大丈夫だったみたい」


 少女はバルーンまでPちゃんを送っていくことにした。

 街の外に出るとき、もはや顔なじみとなった門番が、恭々うやうやしく少女に一礼する。


「今は昔。もうその赤い鎧を見て意味をくみ取る者は少ない。でも、知っている人はいる。さっきの門番のようにね。僕は歴史が好きなので、グラディエーターの意義もレジスタンスの愚かさも良く分かっている。セレンさん。ヒックッ……セレンさん。

この世界でもっとも大切なことはなんだと思いますか?」


「世界全体のカロリーは誰が作り出しているか!(キリッ)だね」

「………………流石です! セレンさん」

 少女は教授の受け売りがたまたま当たったので小さくガッツボーズした。


「核融合炉の実用化で、人類は永遠のエネルギーを手に入れた。それだけじゃない。マザーAIは、海底に太陽を作り出した。海底から放たれる光で植物プランクトンが光合成することで地上で失われた食物連鎖を復活させた。いまや海は地球の歴史上、もっとも豊かでもっとも多様な生態系を維持している。そして全ての生物は例外なくその恩恵に預かっている。だからこそ、その循環を守ることが……ヒッック」

 二人はバルーンにたどり着いていた。

 夕日が遙かな永久凍土を赤く染め上げ、二人を照らした。


「ごめんなさい。喋りすぎました」

「別に構わないよ。楽しかったから。ネックレスありがと」

「安物ですけどね」

「ずっと気になってたの。赤いのっぺりした胸板が。付け方がわからなくて鏡の前で当ててみただけだけど、すっごくいい感じ」

「…………今、付けてあげましょうか?」

「え、いいの? そだね。教授もアルフェスも付け方がわからなそうだし」

「かしこまりました」

 














              「ちゅッ♡」



                !?






「……あっ! あゎゎ、すみません。あんまり夕日が綺麗だったので、つい」


「? 別に構わないよ」









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