第58話 帰郷

 そこは、村に一つしかない小さな宿だった

。俺は簡素な部屋の扉を開けようよとしていた。


 躊躇うように後ろを振り返ると、イバトとクレアが笑顔で頷いていた。俺も頷き返し、扉を開け宿屋を出た。


 俺は故郷の村にいた。ネテス老人の風の呪文で、俺は五年前まで住んでいた村に舞い戻った。


 俺は歩きながら周囲を観察する。記憶に無い家がかなり増えていた。どうやら村はささやかや発展を遂げでいるらしい。


 俺は歩き慣れた道を辿り、ある家の玄関前で立ち止まった。扉のペンキは五年前より色褪せていた。


 そう。俺は五年前に妻と一緒に住んでいた家の前に立っていた。


 風の呪文で移動している最中に、イバトとクレアは俺に言った。故郷に戻り、別れた妻と話し合えと。


 俺は即座に断った。だがイバトとクレアは食い下がり俺に説得を続けた。少年少女の終わらない叫び声に俺は根負けし、ネテス老人に故郷の方角を教える得る事となった。


 俺の肩の治療の為に一度別の街に移動し、その後に一行は俺の故郷に降り立った。


 ネテス老人は俺達を送った後に、再び風の呪文で飛び去って行った。去り際に、クレアに髪が伸びたら是非譲ってくれと頼み込んでいた。


 俺はドアノブに手を伸ばし途中で固まった

。何度頭の中で考えても、妻に何と言えばいいのか思いつかなかった。


 その時、ドアが内側から開かれた。俺の心臓は激しく揺れ動いた。俺の目に、五歳くらいの子供が映った。


 それは男の子だった。俺を見上げるその黒い瞳は、自分の子供の頃の目に瓜二つだった


「······おじさん誰?」


 子供は無防備な表情で俺を見ていた。俺は舌が。いや、身体全体像が凍りつき言葉を発せられなかった。


「ハセム?誰が来たの?」


 家の中から女の声がした。その声は、俺の記憶にある声だった。黒髪の女が玄関に姿を見せた時、俺はどんな表情をしていたのか自分でも分からなかった。


「······エリク?」


 五年前は腰まであった長い髪は、今は肩迄の長さだった。かつての妻は、驚いた表情で俺の名を呼んだ。


「······ミレダ。突然済まない。今更迷惑だと重々承知だが、一言だけ君に詫びたかったんだ」


 俺は両目を伏せ、弱々しくかつての妻に懺悔する。妻からどんな罵詈雑言を浴びせられるか、俺の心臓は怯えきっていた。


「······エリク。貴方が私達に定期的に人を使って送ってくれた金貨。お陰で私とハセムは随分と助かったわ。ありがとう」


 妻から発せられた言葉は、恨み言では無く感謝だった。俺はその言葉を受け淹れる事が出来ず頭を振る。


「俺は最低の事をした。身重の君を置いて逃げた。恨まれて当然なんだ。礼を言われるような人間では無い」


 俺は再び目を伏せると、俺を見上げる子供と目が合った。その瞬間、俺は両目から涙を流した。


「······ハセムって名前よ。あの後無事に産まれてくれて今年で五歳。エリク。貴方の子よ


 俺はハセムを。我が子を見ながら涙が止まらなかった。


「貴方を陥れた役場の上司は捕まって王都に送られたわ。この村で貴方を悪く言う人はもう誰もいないのよ」


 ミレダの言葉に、俺はようやく顔を上げる事が出来た。


「······エリク。中に入らない?貴方の使っていたカップはまだあるわ」


 俺は頭の中が真っ白になった。気付いた時

、俺はミレダの言葉に従い住み慣れたかつての家の中に入って行った。


 俺は椅子に腰を降ろし、ミレダが淹れてくれた紅茶を口にした。そしてそれから、俺達はこの五年間の事を互いに話し始めた。


 子供用の椅子に座るハセムは、俺とミレダの顔を交互に見ながら俺達の話を聞いていた。


 膨大な量の会話は、夕暮れ時になっても終わらなかった。俺はイバトとクレアの事を思い出し、一旦宿に戻った。


 部屋に二人の姿は無かった。机の上に二枚の手紙が置かれていた。それは、イバトとクレアの置き手紙だった。


『エリクのおっさんへ。家に入れて貰えて良かったね!おっさんはいい大人なんだから、後は上手くやりなよ。短い間だったけと、

おっさんと組めて色々勉強になったよ。あ、俺が勇者になって俺の名前を聞く事があったら、仲間だって自慢していいからね!じゃあ元気でね!    

              イバトより』


『エリクのおじさんへ。後をつけてごめんなさい。でもイバトも私も心配だったの。これで安心して旅立てるわ。おじさんに言われた通り、これからは素の自分をさらけ出して自分の居場所を作って行きます。おじさんも奥さんと子供と居場所を作ってね。お元気で

            

              クレアより』


 クレアのたどたどしい文字は、きっとイバトに教えて貰いながら書いたのだろう。魔族の少女が人間の文字を人間に教えられながら必死に書く光景を思い浮かべ、俺は思わず笑ってしまった。


 二人の手紙の追伸にはこう書かれていた。

イバトとクレアは行動を共にし、ザンカルの国に向かうらしい。


 暫くそこに滞在し、イバトはザンカルから剣を習い。クレアは魔法の勉強をするそうだ。クロシード達は今頃どうしているのか。


 俺はホケットの誘拐理由を思い出していた

。モナコの神託によると、ホケットは勇者になり得る逸材らしい。


 クロシードはそんなホケットを誘拐し、有能な人材を育てる組織に高く売りつけるつもりだった。


 だがホケット少年は普通の人間だと分かると、クロシードはホケットを人質として扱うようになった。


 だが、モナコの神託は正しかった。白き竜を従える勇者ホケット。ホケットが勇者として世界にその名を轟かせるには、あと七年の歳月が必要だった。


 俺は後に知ったが、勇者と呼ばれる者にしか発動出来ない力があるらしい。それは手にした剣に光を纏わせる力だ。


 人はそれを光の剣と呼んだ。そしてそれは

、人間でしか扱えない力らしい。人間と魔族の混血児であるイバトに、光の剣を発動させる事は不可能と思われた。


 その事を知った時、イバトは絶望するだろうか。それとも持ち前の能天気さでその絶望を乗り越え、名を上げる冒険者になりおおせるだろうか。


 俺は後者である事を願った。クレアはどうだろうか。居場所を見つけたらそれで満足するだろうか。


 それとも本当に魔王と呼ばれるまで魔力の探求を追い求めるのか。どちらにせよ、あの泣き虫は簡単に直らないだろうと俺は確信していた。


 少年少女はこれから数え切れない壁にぶつかり、その数の分だけ挫折するだろう。だが

。それでも。危なかっしい足取りでも。


 イバトとクレアには自分の夢を叶えて欲しかった。俺は心からそう思った。


 夕日が完全に沈み、俺は再びミレダとハセムの待つ家に戻った。だが、玄関前に立つとまた身体が固まる。


 そう容易く五年間の空白が埋められる筈が無かった。その時、再びドアが内側から開けられた。そこには、ハセム立っていた。


「おじさん。ママが夕飯だって言ってたよ」


 ハセムとミレダの言葉は、俺の中の凍りついた空白の時間に、春のような暖かい風を送ってくれた。


「ああ。今行くよハセム」


 俺は息子と共に、我が家の食卓に向かった

。空白の時間を、少しずつ埋めていく為に。



 


 

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