六月上旬 その一
今日、ある話が教室中を駆け巡った。
「瑠瀬…! お前、麻林を誘わないのか?」
徹が驚いて叫んだ。徹だけではない。今瑠瀬の班は、そのことに衝撃を受けている。
「他の人って、誰だよ? 瑠瀬が誘えそうな人って誰か、いるか?」
「私には見当もつかないわね」
恵美と由香が首を傾げる。
「もしかして、濃子か?」
朋樹が言った。恵美と由香は、教室の反対側を向いた。濃子が亜呼、純心と話をしている。
「由香、瑠瀬はあの子と、そんなに仲が良いのか?」
「小学校時代はいつも一緒にいた印象ね。朋も覚えてるでしょう?」
「ああ。もし今日麻林が欠席じゃなかったら、大変なことになっていたな」
四人が麻林の席を見た。麻林は今日、熱で休んでいる。
「麻林に何て言えばいいんだよ…」
恵美が困った顔をしている。
「どうして?」
観戦チケットの話は、麻林にはしていない。瑠瀬が聞くと、理由を教えてくれた。恵美たちが麻林に話してしまったらしい。
「まあ、それはしょうがない。俺が麻林に謝るよ」
恵美たちからすれば、瑠瀬が麻林を誘うことは決定事項のようなものだった。あの時すぐに否定しなかった自分にも責任はある。
「おーい、席に着け!」
白石先生が教室に入って来た。朝の会が始まる。今日の一時間目は社会だから、そのまま授業に繋ぐのだろう。
「ん? 何だコレ?」
ホワイトボードを見て、先生が言った。そこには「東京オリンピック」と書いてある。クラスの誰かが朝の会が始まる前に、瑠瀬の話を聞いて書いたのだろう。
「東京オリンピックか…。先生のお祖父さんが存命だった頃、散々話を聞かされたな…」
黒のマーカーのキャップを外すと、先生は質問した。
「最初に東京でオリンピックがあったのは、何年のことだ? これに答えることができたら、夏休み前の期末試験に二点、プラスしてやるぞ!」
みんなが一斉に手を挙げる。その中でも特に勢いのあった生徒を先生は指名した。
「和哉、わかるか?」
「わっかりませーん!」
教室中から笑い声が聞こえる。
「なら手を挙げるなよ!」
「だって先生が答えるだけで二点くれるって言うから…」
「まあ言ったけど…。その前、勇刀はわかるか? 正解できたらお前らに三点だ!」
和哉は両手を合わせて祈りのポーズ。
「一九六四年の、十月十日です…」
勇刀がそう答えると、先生は手を叩いた。
「正解だ! 勇刀、自分だけに六点欲しいか、それとも和哉に三点あげるか?」
「ならば俺だけに…」
そう答えた勇刀の背中を叩いて和哉が叫ぶ。
「おぉぉいっ! 冗談だろぅ!」
「俺も成績ヤバいし、生き残るには…」
和哉が勇刀の肩を掴んでその体をグラグラ揺さぶる。
「冗談だ。ちゃんと二人に三点あげるから。でも安心するなよ? 変な点数を取られると、三点だけでは俺も成績に修正のしようがないんだからな?」
「はぁい…」
二人は力ない返事をした。
「ところで…そうだな。二〇二〇オリンピックも近いことだし、今日は一九六四年の東京オリンピックの話をしよう。授業が進まないとか思って寝たりするなよ? 今日の課題としてレポート課すからな?」
すると、由香が手を挙げて発言した。
「今日休んでいる麻林が不利じゃないですか?」
「うむ、そうだな。ならば誰か、麻林に連絡してあげてくれ。調べるだけでも勉強だ。提出は一週間後、枚数は表紙なしで二枚以上。何で調べたのかも記載するんだぞ? たまに書かない不届き者がいるからな…。まあ、出さない愚か者よりもはるかにマシではあるが…」
課題を説明したところで、先生が語りだした。
「先生は今年で二十六だから当然、当時のオリンピックは映像でしか見たことがない。だけど今現在でも多くの資料が残されているな」
ホワイトボードに開催日の日付を書いた。
「この日が、本来の体育の日だ。今は二〇〇〇年に十月の第二月曜日となっているが…。非常に勘違いされやすいが、一番晴れる確率が高かったのが十日ではないぞ。それは十五日だったが平日だったので、次点の十日が開会式に選ばれたというわけだ」
先生によれば、他にも東京オリンピックが初となることが多い。日本どころかアジアですら最初であり、かつ有色人種国家でも東京は最初の開催地だった。当時としては、出場国が九十三ヵ国・地域と過去最多になった。これはアジアやアフリカの植民地が多く独立していったためだ。
次にホワイトボードに、一九四〇と書いた。
「本当ならこの年に、東京オリンピックが開催されるはずだったんだが、去年教えた支那事変の影響で開催できなかった。みんな知っての通り日本は第二次世界大戦に負けている。焼け野原から急速に復興し、再び国際社会に日本が復帰する重要なイベントでもあったんだ」
さらにホワイトボードに書いていく。
当時の日本にも初だらけだ。新幹線が開通したことこそ有名だが、他にも、新たな高速道路を造成するのに用地が買収できず、空中に道路を造ることになった。これが今日、首都高と呼ばれている。また、江戸橋ジャンクションは日本初の技術である立体ラーメン構造によって柱を減らすことにも成功している。
また羽田と都心部を繋ぐためにはどこかで運河を渡らなければいけないが、高い橋は離着陸の邪魔になる。これは当時の航空法でも禁じられていた。そのため運河の底にトンネルを造る計画になったが、それをするためには一度川を完全にせき止める必要がある。そうすると川から栄養が来なくなり、河口の海苔が全滅してしまうことになるため、地元の漁師が猛反対。最終的には予め陸でトンネルとなる沈埋函を作り、川底に沈めてトンネルとする沈埋トンネル工法によって羽田トンネルが完成。
皇居のお堀の近くにも、建設はできなかった。このために三宅坂ジャンクションが地下に造られた。これは世界初でもある。
「当時の日本にやって来た海外の道路技術者たちはみんな、こう言った。これは私たちには絶対に作れない、と」
これまでに先生の話した内容は、オリンピックが始まる前の日本の建設事情。
「先生、競技の話は何かないんですか?」
クラスの誰かがそう言った。すると先生は、
「競技は確かに目玉でもある。だが、東京オリンピックを陰で支えた人たちがいたということをみんなに知ってもらいたい。それに競技については、みんなが各自、興味を持った種目を調べてみてくれ。先生の話をまとめただけのレポートは受け取らないぞ?」
次の話は、オリンピック期間中に起きた出来事を述べた。
中国で核実験が行われた。日本と中国は当時仲が悪かったために起きた出来事だ。
しかし悪いことばかりではない。ソ連の有人宇宙船であるボスホート一号が東京上空を通過すると「世界中の選手に熱烈な挨拶」を送った。キング牧師のノーベル平和賞受賞が決定したのも、オリンピック期間中だ。
今では当たり前となっている衛星生中継も、この東京オリンピックが世界で初めてだった。
「そうそう、社会の先生として外せないのが一つあるな。一九四三年の学徒出陣が行われた場所は、一九六四年のオリンピックの国立競技場だ。これは戦争のシンボルが平和の祭典のシンボルになった歴史的瞬間だ!」
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