五月下旬 その六

 先に草むらに落とした物を探した。

「あったぞ濃子! このリップクリームで間違いないな?」

 濃子が頷いた。これで落とした物は全て拾った。

「じゃあ、俺の家に戻ろうか。あそこなら落ち着いて話ができるよ」

 三人は喫茶店に向かった。

「これが噂の…」

 銅がそんなことを呟いた。

「噂になるほど、名店なの?」

 瑠瀬が鍵を開けながら聞いた。

「いや、そういう意味では…」

「…違うのか」

 ちょっと残念だ。

 四人用のテーブル席に案内し、三人分のコップを用意した。まだ完全に信用したわけではないので、瑠瀬と濃子が隣同士になって座り、銅には向かいに座ってもらった。

「快く受け入れてくれて有り難い。まずは自己紹介をしよう。ワタシはあかがね源治げんじ。二十五歳だ」

 でも二人は、そんな事を聞きたいのではない。それは源治もわかっていた。

「アナタたちが知りたいのは、ワタシのこともそうだろうが…。平祁のこともだろう。しかし先にワタシのことを聞いてくれないか?」

 断る理由がないので、源治に喋ってもらった。

「信じられないことだと思うが、聞いてくれ」

「何を?」

「実を言うとワタシは、この時代にはまだ生まれていない」

「はあぁ?」

 二人とも驚いて、大声を出した。しかし嘘を言っているようにも見えない。

「ワタシが生まれるのは今から十年後、二〇三〇年のことだ。そして二〇五五年からワタシは今の時代にやって来た」

 それが本当なら、源治は未来人ということである。言葉で理解しようとすると、ますます嘘っぽく聞こえる。しかし源治の言葉を聞くと、騙そうと思って喋っているとは思えない。

「どうして未来からやって来たの?」

 濃子が聞いた。

「それは…。濃子、アナタを守るためだ」

「はい?」

 余計に理解に苦しみそうだ…。だが源治は一つ一つ話してくれると言った。

「言ってしまおう。ワタシの名前は偽名ではあるが…ワタシは瑠瀬と濃子の間に生まれた子だ」

「!」

 何を言っているんだ…。瑠瀬は言葉も出ない程驚いた。濃子の方を見ると、ポカーンと口を開けている。

「簡単な話だ。二人は将来、結婚して子供を授かる。それがワタシだ」

 確かに言ってしまえば、そうではある…。

「私が瑠瀬と結婚するの? できるの?」

 濃子が尋ねた。

「そうだ。だが、私が生まれて二か月後に、アナタは亡くなってしまう…」

「え?」

 今度は声に出せた。

「濃子が、死ぬって…? じゃあお前もやっぱり平祁の味方じゃ…?」

 源治は激しく首を振った。

「安心してくれ。それだけは絶対に、ない」

 この、瑠瀬と濃子が質問して源治が答える形式は、余計な誤解を招きかねない。源治は、まずは黙って何も尋ねずに、自分の話を聞いてくれと言った。

「まず…。今年、東京でオリンピックがある。それに瑠瀬が観戦しに行く。その時に一緒に行くのは濃子」

 濃子が、少しだけ嬉しそうな表情を浮かべた。

「そして、今までの会話もそうなのだが、これより先も他言無用にしてもらいたい。そのオリンピックで、化学テロが起きるんだ」

「なんだっ…」

 瑠瀬は自分の口を手で塞いだ。突っ込んでは余計に話を乱すだけだ。

「それに二人は巻き込まれてしまう。瑠瀬は無事だが、濃子はこの時、逃げ遅れて後遺症を負ってしまうんだ…」

 それを聞いた濃子から、笑みが消えた。

「後遺症に苦しみながらも、濃子は必死で生きる。瑠瀬も濃子を必死に支える。濃子の母は借金を背負い、瑠瀬の親は店を畳んでもっと稼げる仕事に就く。当然、ここの骨董品は全部売却されてしまう。それでも足りないから、瑠瀬もその両親も、借金をすることになる」

 源治の未来は、簡単に想像ができそうだ。でも、あまり良い未来でもなさそうだ。父が趣味で集めた物を全てお金に換えなければならないなんて…。そこに飾られている甲冑に目が行った。

「症状が大分治まったところで二人は結婚してワタシを産む。しかしそれがきっかけで後遺症がぶり返して悪化し…。そこから先は止そう。これが原因で、瑠瀬も生きる気力を失ってしまい、病院通いになる」

 つまり源治の話はまとめると、こうだ。

 瑠瀬は濃子とオリンピックを観戦に行く。そこでテロに巻き込まれ、濃子が負傷する。その後遺症と身を削って戦いながら、瑠瀬と濃子は結婚し、子供が生まれる。だがその後すぐ、濃子は死んでしまう。そして自分は、恐らく精神的におかしくなってしまう。

 瑠瀬は首を振った。濃子と結婚して子供も生まれるといっても、そんな未来は実現して欲しくない。

 濃子の方がことは深刻だった。自分は麻林に勝ったとしても、その代償が大き過ぎる。あと十年で自分は死ぬ。おまけに瑠瀬の手元には、子供以外何も残らない。これでは瑠瀬を不幸にするだけである。

「幸いワタシが高卒で就職したので、瑠瀬と日々生きて行くには困ってはいない」

 それが源治が言う、未来。そこに光はなく、あるのは絶望だけだった。


 受け入れるのに時間がかかった。いや、受け入れたくなかった。だけどもこうして、未来から来たと源治は言う。

「…本当に未来から来たの?」

 濃子が疑問をぶつけた。

「ワタシを警察に突き出してみるか? 絶対に何も出て来やしない。DNA鑑定でもしてみれば、二人の子供とすぐにわかる」

 ハッタリのようには聞こえない。きっと本当だ。源治は本当に、この時代の人間ではないのだ。

「じゃあ一つ、聞いていいかい?」

 瑠瀬は一々確認を取った。源治が許可を出したので遠慮なく聞いた。

「鉄平祁は、何者なの?」

 源治の話した未来には、平祁が出て来ない。それは何を意味するのか…。

「すまないが、平祁に関してはワタシも推測の域を出ない。簡単に言えば、知らない」

「ちょっと待てよ? アレが初対面じゃないだろう?」

 第三調節池でのやり取りは少なかったが、お互いを知っているように聞こえた。

「初めて会ったのは、ワタシがこの時代にやって来た日…二日前だ。その時までワタシも、存在を認知できなかった」

 二日前と言えば、平祁が瑠瀬と濃子の前に現れる前日。源治によればその時、一戦交えたらしい。その時に決着がつかなかったから、さっきも足止め出来ると考えたようだ。

「でも短剣をどうやって処理する気だったの?」

 濃子の問いかけにハッとなったのは、瑠瀬だった。

「あの短剣は、そこの甲冑の腰にあるのと同じヤツのはずだ」

 席を立ち、甲冑に近づく。そこであることに気がつく。

「なんだよ、短剣…ちゃんとここある…じゃ、な……い……か……………」

 いや。平祁が持っているはずなのだ。ここにあってはおかしいのだ。

「平祁が店の中にいる!」

 瑠瀬が叫ぶと、濃子が反射的にテーブルの下に潜った。

「落ち着け! 二人とも! ここで焦っても意味はない!」

 源治がなだめる。

「この状況をどうやって? 平祁が濃子を殺す機会をうかがっているかもしれないんだぞ?」

「ワタシの意見を言わせてもらおう」

 源治が言う。

「恐らくは、平祁はワタシと同じ立場の人間だ」

「平祁も未来人ってこと?」

 テーブルの下から濃子が顔を覗かせて言った。

「でも源治がさっき話した未来では、平祁は出て来なかったじゃないか? それに濃子は十年後に、死んで、しまう…んだろう? 何で今の時代に殺しに来る必要があるんだ?」

「それは…あくまでもワタシの推測だが、平祁は別の未来からやって来たのではないだろうか? その未来では、今の甲冑はまだ手元に残っているのだろう」

「別の、未来?」

 源治が無言で頷いた。

「その未来は、どうなってるの?」

「それはワタシにも、わからない。しかし、平祁の行動からある程度は察することが可能だ」

「と言うと?」

「濃子を殺そうとしただろう? 平祁の未来では、濃子に生き残っては不都合が生じるということだ。もしかするとさっき話したテロで、帰らぬ人になってしまうのかもしれない。そして瑠瀬のことを襲おうとしなかった点から、瑠瀬が死んでも不都合だということだ」

「でも私、あと十年しか生きられないんでしょう…?」

 濃子が悲しげな顔をして言う。

「その十年ですら、平祁には邪魔なのかもしれない」

 源治が冷静に分析した。

「でも俺を殺せないのは?」

「父親は瑠瀬なのだろう。親を殺せば自分の存在そのものが成り立たなくなってしまうからな」

「親が瑠瀬って。それは、源治のことでしょう?」

「だからワタシと同じ立場と言ったのだ。総括するなら、ワタシと平祁は、母親が違うだけでそれ以外は全く同じなのかもしれない。だからお互いに不都合な存在。どちらかしか存在できないのだ。故に平祁はこの時代に来て、ワタシの存在を消すために母となる濃子を始末したかったのだろう」

 話がややこしくなってきた。瑠瀬たちは一旦休憩に入った。

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