二つの未来

杜都醍醐

某日未明

 渡良瀬遊水地は全域が常に水で満たされているわけではない。谷中湖には水の青が広がってはいるが、あえて低く作られた調節池が存在する。まだ梅雨の季節ではないので、第三調節池も草原と言われれば誰も疑わない。

 夜風が木々を揺らす。その木の下に男が一人。首を左右に動かし、辺りを見回している。

 やがてその視界に、またある男が入った。

「やはりここにいたか。この時間を選んだのには、何か理由があるのか?」

「それはワタシも聞きたい。アナタがそうであるように、ワタシも選んだとしか答えられないな」

 睨み合う二人。虫の音色だけが響き渡る。

「聞くまでもないと思うが、名前を伺っておこう。オマエ、何という?」

 男は淡々と答える。

あかがねとでも言っておこう」

「ふん。ならオレは、くろがねだ」

 再び沈黙が二人を包んだ。夜空に浮かぶ満月が、雲で隠れようとしている。ただでさえ辺りが暗いのに、余計に拍車をかける。

 雲が完全に満月を隠した時、鉄が走り出した。腰には中世時代の短剣を身に付けてはいる。しかしそれは使わない。自身の拳を信じ、それで殴りかかる。

 捕捉できない動きではない。銅が少し動けば、楽にかわすことができたぐらいだ。拳は銅の後ろの木に命中した。鉄もそれをわかっていたのか、あまり力を込めていなかった。

 逃げた銅に鉄は追い打ちを仕掛ける。かわし切れなかった銅は、鉄の拳を手の平で受け止め、掴んだ。

「鉄…。ワタシに敵うとでも?」

「オレはオマエなんぞ敵ではないと考えるが?」

 拳を掴んだまま、銅は鉄を押し、倒した。倒れた鉄も受け身を取ってすぐに立ち上がる。

 今度は蹴りを入れる。銅は避け切れず、両腕を交差して防いだ。

「やはり。オマエは…」

 間髪入れずに腕を振り回す鉄。自分でもどの軌道を描くべきかわかっていない乱暴な作戦であるが、それがかえって銅に避けることを困難にさせた。

 数発を受けた銅は、反撃に出た。まずは体当たりで鉄の体制を崩すと、彼の頬に拳を命中させた。

「ワタシはアナタには負けられない。それだけは絶対に譲れない」

 赤く腫れた頬を押さえながら、鉄は少し距離を取った。銅も自分の手を痛めたのか、指を開いては閉じ、を繰り返している。

「オマエには歴史はないのか? それを紐解けばすぐにでもわかることだ。銅器は鉄器に勝てない」

 この状況で鉄がそれを言っても説得力に欠ける。だが銅は黙っていた。

 今度は鉄が構えた。そして走り出す。指を握らずに伸ばして手刀を作り、それで銅に切りかかるのだ。

 当然銅は防御の姿勢を取る。だが鉄は、走り出して銅に向かって行く中、一度だけ立ち止った。その一度が銅の計算を狂わせた。

「セイ、ヤア!」

 左の手刀は防がれたものの、右は銅の首に見事に当たった。

「うぐ…」

 これが手でなく短剣だったら、喉を切り裂かれて間違いなく死んでいたであろう。

 今度は銅が首を撫でながら言う。

「確かに鉄器の方が硬いかもしれない。しかし、名誉ある祭典において、金、銀ときたら銅と決まっている。鉄は一般において、余程のことがない限り表彰に使われない」

 この言葉を受けても鉄は、一歩も引こうとしない。

 左手を水平に伸ばすと、鉄は言った。

「本当に名誉などあるか? この地には、未だに鉱毒…足尾銅山の置き土産が残っている。ここで農作物を作ることは叶わない」

 鉄の言う通りである。現に遊水地付近の農地では、稲作をするために毎年化学薬品を撒かなければいけない。

「やはりワタシとアナタは、お互いに不都合な存在なのだな。ならば我が未来のために、消えてもらおう」

 銅が走り出す。

「それはオレの台詞だ!」

 鉄も前進する。そしてぶつかり合う二人。拳が、手刀が、蹴りが交差する。一方が殴れば一方が殴り返し、一方が切りかかれば一方が切り返した。蹴りは一撃こそ重いものの、避けられた上で足を掴まれると弱くなる。だが二人は躊躇うことなく足を上げた。

 さらに激しくなる二人。顔や手は所々が腫れ、体や足は泥まみれになっている。それでもなお、やめようとしない。


 段々と空が明るくなってくる。もう日の出なのだ。ここまで時間にして二、三時間といったところだろうか。流石に銅も鉄も、ボロボロである。驚いたことに、どちらかが一方的に勝ってはいない。二人の体への傷も負担も同等。両者共に自身の分身と戦っていたかのようだ。

 遊水地近くの農家で、鶏の鳴き声がした。その声をきっかけに、二人は距離を置き、自分の状況を理解した。

 急に、銅が反転して走り出した。このままやり合っていても、勝負がつかない。それではいくら時間をかけても無意味だ。ならば他の方法で鉄に勝つ、もしくは鉄の目的を邪魔すればいいだけの話。

 しかし今逃げられるかどうかは、鉄の反応に全てがかかっている。もし追ってきたら、これ以上戦えそうにない銅に勝ち目はない。

「どうだ…?」

 後ろを振り向く。そこに鉄の姿はない。急いで周囲を見回すと、奥の方にこちらに背を向けて遠ざかっていく人影が一つ。

「鉄…。アナタもワタシと同じ考えか」

 決着がつけられないと悟ったのは、銅だけではなかった。

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