まぼろしのフランクフルト中央駅
中川 弘
第1話 まぼろしのフランクルト中央駅
短期の仕事で、南ドイツのフランクフルトに滞在していた時でした。
その日、朝一番で電話があり、都合で本日予定されていた昼間の予定をキャンセルしたいと相手先から連絡があったのです。
こんな時、つまり、海外にいる時、私はこのような事態に遭遇したときのために、オプションを常に用意していますから、電話での声は、残念そうな様子をあらわにし、では、翌日にとか、あるいは、ランチではなく、ディナーではいかがですかと相手への敬意を忘れずに返答をするのです。
しかし、空いた時間を、はて、どのプランで実行するか、心の半分はそちらの方へと向かっているという寸法なのです。
このように、丸一日、自由時間ができれば、ここは異国の地、見聞を広めるのに何を憚る必要があろうかと、私は、プランの一つに用意してあったハイデルベルグ古城に出かけることにしたのです。
ところが、この日、私は、ちょっと不安にならざるを得ない二つの経験を、思いの外、体験することになったのでした。
一つは、ハイデルベルク古城でのことでした。
立ち入ってはいけないところに、どうも、私は入ってしまったらしく、そこの管理者らしきドイツ人に、大きな声で叱責を受けたのです。
無理を通すつもりなどまったくなく、こちらに落ち度があるのだから、叱責は甘んじて受けるとして、それにしても、明らかに外国人、それも旅行者とわかる東洋人に、あのような罵声は如何なものかと、そんな経験であったのです。
近くにいた、アメリカ人らしき旅行者も私に同情をしてか、肩をすくめていました。
もう一つは、その小旅行からフランクフルト中央駅に戻ってきた時です。
ホームに降り立った瞬間、私、異様な雰囲気を感じ取ったのです。
革ジャンを着た若者たち、半袖のそこから出ている太い腕には刺青が施されています。そして、何やら旗を振りかざし、互いに怖い顔をして罵り合っているかのようです。
ところが、列車に乗り合わせた多くのドイツ人乗客たちは、何食わぬ顔でその若者たちのそばを通り過ぎていくのです。
私は、訳も分からずに、しばし、ホームに佇み、いったい何事が起こっているのかと革ジャンの刺青をした青年たちを注視したのでした。
そして、ナチスがこの国を席巻した時のあの熱狂かしらと、あり得ない想像さえも巡らしたりしたのです。
きっと、ハイデルベルグ古城で、入ってはいけない所に入ってしまい、叱責を受けたあの謹厳なドイツ語が頭に残っていたに違いありません。
なんということもないことも、存外、人の心には作用をするものです。
ホームの向こうに、ナチスの軍服を着た将校が兵士を従えて、乗客から外国人を見つけては収容所に送っているのではないかと、つい先ほど、大きな声で叱責を受けたことが、私の心に作用にして、私は萎縮してしまったのです。
革ジャンを着た若者の集団から一人の男が、ホームの端に佇む私の方に、その長い足を大きく開いて、やってきます。
私には、その革ジャンの若者が、次第に、襟に、重ね稲妻のあのSSのマークをつけたナチス親衛隊の将校に見えてしまったのです。
その兵士は、Takahara Takaharaと、私に向かって言いながら、近づいてくるではないですか。
そして、ヤーパンという声も私には聞こえてきました。
この日、アイントラハト・フランクフルトの試合が行われ、アイントラハト・フランクフルトが勝利し、Takaharaが得点を挙げたというのを、後で知ることになるのですが、その革ジャンの若者は、Takaharaと同じ国から来たらしい、そのような顔つきの私を見つけて、近寄ってきたのでした。
実に切羽詰まった、ドキドキとする経験でした。
もちろん、その刺青を腕に施し、革ジャンを着た青年と握手をし、友好を保ったことは言うまでもありません。
ドイツ人も、なかなか、熱い奴らだと、そんなことを思って、私は、フランクフルト中央駅の近くに取ったホテルへと戻っていったのです。
こんなことを書くと、ドイツ人は怖い、あのナチスの時代のままだと誤解を与えてしまいそうですが、実は、ドイツでは友好的な関係を多々構築してできていたのです。
だいいち、どこでも、誰もで、英語が完璧に通じるのです。
街の文房具屋さんでも、花屋さんでもそこに働く皆が、英語を理解し、しゃべってくれるのです。
それに何より、私たち日本人には、幾分好意的な面もあると思っているのです。
もちろん、かつては、枢軸国として、一緒の仲間であった意識がきっと、彼らにはあるのだと思っているのです。
今度一緒にやるときには、あのイタリアは抜きにやろうではないか、なんてジュークをかつて私は聞いたことがあります。
弱い、すぐに降伏するあの国は除いて、日本とドイツでもう一旗揚げようというブラックジョークです。
それにしても、なぜ、あのサッカーの熱狂の中に、ナチスの面影を私は見てしまったのかと不思議でならないのです。
もちろん、ハイデルベルグ古城での叱責に端を発していることはこれまで述べてきた通りですが、それ以上に何かあるのではないかとそんな思いがふつふつと沸き起こってきたのです。
きっと、私の中に、ドイツへの偏見がいまだにあるのかも知れません。
そんなことを思うと、アジアの国々の中に、かつての軍人が闊歩し、強大な軍事力を誇示した日本への、そのようなイメージをいまだにもつ国があっても仕方があるまいと思ったりもするのです。
人の心の中には、ぬぐい去ろうとも、ぬぐいきれない思いというものが、くっきりと刻み込まれるものなのです。
ロンドンに向けて旅立つ朝、私は、ホテルを出て、フランクフルト中央駅構内を散歩しました。
列車から、多くの人々が吐き出され、職場に向かっていきます。
私、その光景を見て、丸の内の、あの東京駅の中にいる錯覚を覚えたのです。
この人たち、私たちをよく似ていると、生真面目で、几帳面で、何事も懸命に物事を行う人々なんだと。
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